ラナと竜の方舟
作::新藤悦子/絵:佐竹美保
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刊行日 2024/04/18 | 掲載終了日 2024/04/10
ハッシュタグ:#ラナと竜の方舟 #NetGalleyJP
内容紹介
気がついたら、沙漠の町の前に立っていたラナ。隣にいた男の子ジャミルは「竜に乗って空を飛んできた」と言いますが、ラナは、いつ、どうやって来たのか覚えがありません。
その町は、沙漠のオアシスだったのが、いまでは人には見えない〈蜃気楼の町〉になっていました。竜は、いのちの危険にさらされている子どもを救いだして連れてきていたのです。
故郷から逃げ出そうとしていた自分も、危ないところを助けられたのだろうか? そうだとしても、これからどうすればいいの? どこへ行けばいいの? どう生きていきたいのか、ラナは自問します。
イランやトルコなどの中近東に造詣の深い著者が、死の危険と隣り合わせの子ども達への思いをこめて綴った、方舟の町を舞台にした物語。
おすすめコメント
この世界に重なっている竜の世界。これは遠い世界の出来事ではなく、今の時代に生きる生身の子どもたちを描いたファンタジーです。
この世界に重なっている竜の世界。これは遠い世界の出来事ではなく、今の時代に生きる生身の子どもたちを描いたファンタジーです。
出版情報
発行形態 | ハードカバー |
ISBN | 9784652206171 |
本体価格 | ¥1,600 (JPY) |
ページ数 | 191 |
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閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
おそらくは〈現代〉と地続きなハイファンタジーの世界。
竜使いが一時の休息をとる〈竜の方舟〉は、本来は無人の都市。なら、マジュヌーンの〈竜の方舟〉たる都市は、なぜこんなにもたくさんで様々な人々が暮らしているのか。それもみんな生き生きと。きっとそれは〈画伯〉と彼が描いたこの無人の都市のおかげ。それを見た竜使いマジュヌーンが、竜の〈人を助ける〉性を手助けするだけの〈寂しさ〉に気づき、その先の〈人と交わる〉ことに価値と幸を見出したから。だから、マジュヌーンの〈竜の方舟〉には活気があり、竜によって助けられ、ここに住む〈決心〉を自ら行った人々の口からでる言葉には、これほどの重みがあるのだろう。
新たにこの門をくぐったジャルミとラナ。〈現代〉にはそれぞれが来た場所として思い当たるところがある。どちらも、争いと苦しみと死がある場所。今の世界には、それから逃げられないところが数えられないほどある。だからこそ竜は助け、更にマジュヌーンは住むべき場所をまた開いたのだろう。
この心豊かな〈竜の方舟〉での経験の中、ジャルミはもといた所に戻る決心をする。そんな場所でもジャルミには大切な人が、大切な約束があるから。だから、それを手助けしようとするラナも思い出す。あの場所は苦しみだけではなかったことを。楽しかったことだってちゃんとあったことを。
そして、マジュヌーンの導きとラナの歌の手助けでジャルミは竜に乗って再び飛び立つ。「どこに着くか分からない」竜の旅。でも人の意思、人の願いほど強いものはない。だから、読んでいて不安になることはなかった。
そしてラナの気持ちも変わっていく。大切なのは、〈今〉を生きること。それを手助けしてともに歩んでくれる人々が、マジュヌーンの〈龍の方舟〉にはたくさんいる。だから慌てず、未来に向かって歩んでいって欲しい。見張りの塔のてっぺんで一人暮らす、そしてこれほど親しく話した経験はないだろうマジュヌーンもまた、それをきっと望んでいる。
苦しみに満ちた今の世界から助け出す、竜と竜の使い手。更に、いっときの安らぎと考える場を与える龍の方舟。今の世界に本当にあって欲しいと願ってしまう物語だった。
世界の紛争や災害から逃れて、蜃気楼の町「竜の方舟」へと運ばれてきた人たち。
「竜の方舟」からは、竜に乗らないと出ていけない。
出ていくかどうかを決めるのは本人で、出ていきたくなかったら、そのまま「竜の方舟」で暮らしてもいい。
外の世界は、もうこりごりだ、と「竜の方舟」で焼き物をしながら暮らすハリド、おばあちゃんの家に行くと約束したからと、「竜の方舟」を出ていくジャミル。
残るべきなのか、出ていくべきなのか、出ていくなら、どこに行けばいいのかわからないラナ。
この蜃気楼の町「竜の方舟」はファンタジーなのだけれど、その外で起こっていることは現実で、死と隣り合わせの子どもたちのことを思い、胸が痛くなった。
「竜の方舟」は、宗教もなければ、争いごともない、そういった桃源郷のような場所。
多くの人が、それを望んでいると思うのに、どうして、現実にはそういった場所を作ることができないのだろう。
淡々と書かれた文章から、平和を望み、子どもたちの身を案ずる著者の想いが伝わってきた。
装画、挿絵もとてもよかった。
新藤悦子さんの作品をはじめて読みましたが、深く心に残る作品でした。
ファンタジーでありながら現代の社会問題と重ねてあり、服装から中近東を舞台にしているのであろうと想像できます。ラナもジャミルも逃げていた途中で命の危険にさらされたのでしょう。竜に助けられ「竜の箱舟」と呼ばれる町に滞在することになります。平和ではあるけれどどこでもない場所にいるのは不安なはず。ジャミルを祖母のところへ送り届けることに全力を尽くしたラナも、いずれ自分の行き場を決めるのだろうなと思いました。
佐竹美保さんのイラストが物語にぴったりで本作の世界に入りやすくなっています。
孤高の竜使い、マジュヌーンが気になり、もっと知りたくなりました。
国から逃げる途中、砂嵐にあったナラは気づくと「竜の方舟」という町の前にいた。
竜に助けられた人だけが来ることができる幻の町だという。
ラナは同じように町にたどり着いたジャミルという男の子と一緒に町で過ごすことに。
元いた場所に戻ることもできず、ここにとどまって生きて行くのか、町から出て行くのか、かといってどこへ向かうべきなのかは決められないラナ。
おばあちゃんの家に向かいたいというジャミルの願いを叶えるために動く中で、ラナは大切なことを思い出す。
作者のあとがきにある「どうか生きのびるための場所を見つけ欲しい」という願いがよく伝わってきた。
話は長すぎず、とても読みやすい。
異国情緒豊かな作品。キャラバン、沙漠、伝説の人面鳥…。わくわくする。一風変わっているのは、ドラゴンは助けを求める人々を運んでくる。しかも、その行く先は人間が決めるのではなく、ドラゴン次第。ドラゴンに乗ると言葉の壁がなくなる。面白い設定だ。主人公の少女ラナとジャミル、ミハイルはなぜドラゴンのキャラバンに運ばれてきたのかわからない。記憶がないのだ。読み進むにつれて、なぜ竜に連れられてきた町の名を「竜の方舟」と呼ぶのか、わかってくる。これは、新藤先生が難民の人々に捧げる救いの物語なのではないか。そう思った。
竜に乗ってしかたどり着けない蜃気楼のような謎の町「竜の方舟」。ラナとジャミルは、竜と旅するラクダのキャラバンとともに、この町に運ばれてきたのです。二人は知り合いというわけではなく、偶然の ” 同乗者 ” 。砂嵐か竜巻か、なにかそんなものに巻き込まれたと思ったら気づけばふたりとも竜にのっていたのです。要塞塔のマジュヌーンと、美しい少女の顔を持つ小鳥の妖精フープーの導きで、思いがけず砂漠の中の孤島、竜の方舟の滞在者になるのですが、一体ここはどういう場所なのか?そもそも、どうして竜に乗ってしまっていたのか?
こんなふしぎで、なぞの多き物語が始まります。
佐竹美保さんの挿絵の力ですね。遠い架空の世界が、竜の背に載せられたかのように、ぐいぐいと眼の前に現れ、砂漠の風や温度や匂いが、すっぽりと私を包んでしまうのです!もう、わたしはラナとジャミルのとなり。砂を払いながらいっしょに途方に暮れているのですから。
この物語は、新藤悦子さんがみた、「沈黙の町」という一枚の絵との出会いから始まっているそうです。それは、戦争に翻弄された作者の思いのこめられた絵。そんな、不条理な戦争が物語の中で、ラナやジャミルの向こうにも透けて見えてきます。自分には変えようのない世界です。
でも、ここからが新藤悦子さんが、この物語で伝えたいことなのかも知れません。
人それぞれに背負ったものは変えられらなくても、今、どう生きるかはその人次第。陶芸家のハリドにいわれたように「肝心なのは今だ」ということ。そして、「ラナは今どうしたい?」・・・のか。
小さなジャミルはある意味まっすぐに「行きたい場所」を知っている。でも、ラナは少しだけ大人。世界の怖さや、自分の弱さを知ってしまっている。だから、無意識のうちに自分に向き合えない臆病を身にまとっているのかも知れません。ほんとは今、何がしたいのか?自分で自分の心に靄をはるように迷子の心。
でも、方舟での体験はラナに少しずつ変化をもたらします。土を捏ねたり、洋服を作ったり、頭じゃないところを研いてみる。そんなとき少し心の靄が薄くなる。まだ、自分のことはわからなくても、人のために頑張ってみる。ジャミルのためにできることをする。そんなとき、靄がまた少し晴れる。ラナは今できることに夢中になることで自分の本当の心を取り戻していくようです。
私達だって、思えば、自由にならないこの現実世界に竜に運ばれ、投げ出されたようなものです。私達の住む世界だって、思えば方舟です。
そこでどう、わたしは、今を生きたいのか?嘆いたり、目をそらしたりすることではないはずです。
頭ばかりで生きようとしないこと。自分のためにだけ生きようとしないこと。そんな事に気づかせてくれる作品です。ありがとうございます。