魔女だったかもしれないわたし
エル・マクニコル 著/櫛田理絵 訳
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刊行日 2022/08/16 | 掲載終了日 2023/05/31
ハッシュタグ:#魔女だったかもしれないわたし #NetGalleyJP
内容紹介
第69回青少年読書感想文全国コンクール
課題図書 小学校高学年の部
スコットランドの小さな村で、二人の姉と両親と共に暮らす自閉の少女・アディ。昔、「人とちがう」というだけで魔女の烙印を押され命を奪われた人々がいることを知ったアディは、その過ちの歴史を忘れぬよう村の委員会に慰霊碑を作ることを提案するのだが……。
「わたしも魔女にされていたかもしれない――」魔女として迫害されていた人たちのなかには、自分のような人が含まれていたのではないだろうか……?
先生や友だちからの偏見、自閉的な姉からの理解と、定型発達の姉との距離、人とのちがいを肯定的に捉える転校生との出会い……。「魔女狩り」という史実に絡めて多様性の大切さを訴えつつ、ニューロダイバーシティの見地から自閉の少女の葛藤と成長を描いた感動作。
出版情報
発行形態 | ソフトカバー |
ISBN | 9784569880648 |
本体価格 | ¥1,400 (JPY) |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
共感しかなかった。
スコットランドはエジンバラの小さな村ジュニパーで、アディはすこぶる心もとない学校生活を送る。
友だちとはうまくいかず、「自閉的」であることで被る差別、偏見がアディを苛む。
空気も表情も読めないことで馬鹿にされ、普通ではないと蔑まれ、心ないことばを投げつけられる。
家族はアディを理解し支えてくれるが、小さな村では人々の目は冷たく、もの言いたげな視線が飛ぶ。しかし、アディの苦しみをいちばんに理解してくれる姉・キーディも自閉的な傾向にあることで後ろ盾は心強い。
定型発達の者たちが無情にも線引きしたがる「普通」の境界はいったいどこにあるというのだ⁉︎
村の過去の葬り去られた黒い歴史、魔女裁判を学び、普通ではないという理由で処刑された人々がいたということに衝撃を受けたアディは、彼女たちのために立ち上がる。
自分らしくありたいということを抑圧しなければならない苦痛を真っ向から「魔女裁判」の過去への鎮魂として取り組んだアディ。「人とちがう」ことを堂々と宣言したアディ。すばらしかった‼︎
スコットランドの小さな村に住む、自閉的11歳の少女アディが主人公。
魔女狩りの話も自然に盛り込め、古い感覚のまま生活している人たちが多く住んでいそうな、「スコットランドの片田舎」という舞台設定がとてもよかった。
自閉の特徴を持つ自分と、魔女狩りで犠牲になった女性たちとを重ねて、彼女たちのために慰霊碑を建てようとアディが行動を起こすことで物語は進んでいく。
わりと登場人物が多いのだが、無駄な人物が一人としていなかった。
アディの自閉的特徴を、理解する人、理解しない人、理解できない人、知ろうとしない人、聞こうともしない人など、人物描写がうまい。
物語として十二分に楽しめるが、それ以上に、アディの目を通して、自閉的な人たちが、どのように感じ、どのように考え、どのような生活を送っているのかが、とてもわかりやすく描写されていて、自閉というものを知るきっかけになる物語だと思う。
タイトルの「魔女だったかもしれないわたし」というのは、時代が違えば、自分も理解不能の恐ろしい魔女として、処刑されていたかもしれない、という気持ちから。
英語のタイトルは「A Kind of Spark」で、どこにも「魔女」とは書かれていないのだが、日本語版のこのタイトルは、英語のタイトルよりもいいんじゃないかと思った。
タイトルに限らず、翻訳されていることを忘れるくらい、とても自然な文章で、素晴らしい翻訳だった。
小学校高学年の課題図書だが、年齢に関係なく、多くの人に読んでもらいたい物語だ。
表紙の絵と題名から甘めのファンタジー小説かなぁとあまり期待せずに手にとったが、今年読んだ本の中で一番面白かった。ドナ・ウイリアムズの『自閉症だった私へ』を読んだ時の驚きが蘇ってきた。発達障害に関わる全ての大人は一読すべき。作者自身も自閉スペクトラムとのことで、感覚過敏の状態が丁寧に描かれていて辛さが理解しやすい。教科書的ではなく、共感的に理解できるのが、物語の素晴らしさだと実感できた。障がいだけでなく子どもの成長や社会との関わり方を描いた作品としても秀逸。
#魔女だったかもしれないわたし
何度も不快な気持ちと腹の底からの憤りに襲われる。
だがきっと、これまで全世界で、生きづらさを抱えながら学校に通ってきた子、社会に適応しようと苦しんできた人がいて、今があるのだろう、まだ途の半ばだが。
わたしたちは、知ったつもりになっているが、まだまだ、世界の見え方の一方向しか知らないままなのかもしれない。
不寛容に訣別を。
これは自閉的な少女、アディの物語。
自閉的であるが故に他の人が気にならないことも気になって仕方ない。空気が読めないと周囲から思われているけど、共感力が高く、物語を紡ぐのも得意。自分に正直にいたいのに、他の人たちと違うと心無い言葉や仕打ちを受けるので、仮面をかぶり“平気なふり”をしている。
家族はアディのそれを個性だと理解してくれてるし、姉のキーディは同じ自閉的な人間でもあるので心強い。
他者への許容力が減った現代のお話なのかと思ったが、そのうち、魔女狩りによる冤罪で命を落としていった女性たちがいた悪しき過去を知ったアディの心を占める、時代が違えば自分も魔女狩りの対象だったかもしれない、という気持ち。仮面をかぶりつづけることが出来なくなったら彼女たちのように扱われるのだ、という恐怖や痛みが『魔女だったかもしれないわたし』というタイトルに込められていて、表紙から最初に受けた可愛らしい印象とは全く違う読後感で、良い意味で驚かせてもらいました。
“自閉的”について、その特徴や困ってしまう状況を説明してくれているので、理解する足掛かりにもなります。
本が好きで共感力が強いアディは「自閉症じゃなくて自閉的」である。脳が他の人と捉え方が違うため、周囲のサポートが欠かせない。それでも定型発達の人のように見せるために仮面を被っていた。
アディが住む村では「人とちがう」ことで魔女の烙印を押され命を絶たれた歴史があった。
アディ自身も時代が違えば魔女とされていたのかもしれないと思う。
人と違っていいとは言うけれども、子どもの世界では人と違う言動はいじめの対象にもなりかねない。それは大人の世界にも共通することだ。
第69回青少年読書感想文全国コンクールの小学校高学年の部の課題図書。小学生の感性で読んだら、自閉的なアディや彼女の家族や、アディが起こした行動、そしてクラスメイトたちをどう受け止めるのかと思いながら読んでいた。
しかし残念なことに既にフリマサイトに感想文の書き方が出品されていた。会話型AIも感想文を書いてくれる。
大人の喜ぶような感想ではなく、この本を通じ子供たちが受け止めた言葉で感想が書かれてほしいし、その感想を読んでみたい。
大人が読んでも気付きの多い物語なので、ぜひ親子で読んでほしいです。
読み進めていくと、主人公と同じように感じていた事もあったなと、共感しながら読ませていただきました。時代背景としては、私が生まれるよりも前のようですが、自分の小学生の時に自閉だとか言う言葉はなく変わっているとか、もっと差別的擁護を使ってくる同級生もいましたが、誰も知らない事は言いようがないので、割と自分は普通に過ごしてきたのだと感じました。本に出てくる嫌な先生のような先生も、昔の担任を思い出すようでした。読んでいて、同じように抉られました。作品を否定されるだけでも、魂が壊れるようなのに、それを壊された主人公の気持ちわとてもわかりました。最後の結論に辿り着くまでの経過は全て必要な事だったのだろうと、自分にも置き換えて拝読させていただきました。そして、環境はとても重要なのだと感じました。
他人と違うってとても難しいことなのかもしれません。自分と違うと、たちまちどうすればいいのか、わからなくなります。これは、自閉の人だけでなく普通の人も同じだと思います。
だから、「違う」を楽しみ、「違う」を知ることが大切なのかもしれません。
「自分は他人と違って当たり前」だと子どもたちに思ってもらいたい本です。
また、自分がマーフィ先生のようになってないか、少し考えました。これは、自分のことを見つめなおすため、大人にも、先生にも読んでほしい本です。
スコットランドの小さな村が舞台。昔この場所で、魔女狩りが行われていたのを知ったアディは、その慰霊碑を建てたいと提案する。アディは自閉的傾向があり、姉のキーディもまた自閉的傾向を持ち、生きるのにツライ場面が多かった。アディは、学校で友だちや先生からのいじめにもあった。魔女狩りとなった人たちは、普通の人と違うというだけが理由だ。アディは、自分も同じような事になってしまうもしれない、と考えた。キーディの友だちが、施設に無理やり入れられてしまったように。最後の場面、アディが村の委員会で慰霊碑韓流の願いを伝えるスピーチがとても良かった。
レビュアーさんからの評判がとても高かったので、実はこの書籍は購入して紙版でじっくりと読ませて頂きました。毎晩、寝る前に少しづつページをめくり、最後まで一気に読みたい気持ちを抑えながら、表紙を閉じ「また明日(あした)」と心の中で物語の登場人物たちに声をかけて寝ました。
「自閉症」の子どもを主人公にした物語は他にもあるけれど、この物語で語られる話は史実も交え、あまりにも切なく、悲しい。「自閉的」な女の子アディが周囲の理解を得られず、「魔女裁判」にあった少女たちに自分を重ね合わせ、心を寄せ、ありったけの力を出して彼女たちの「慰霊碑」を作ろうとする努力や、同じく「自閉的」な姉キーディが周囲に合わせ「ふつう」であろうとするあまりに心身に変調をきたしていく様子が、この物語には非常にリアルに描かれている。
「自閉的」な少女、アディとキーディを取り囲む周囲の反応もすさまじい。担任のマーフィ先生がアディとキーディに浴びせかける辛辣な言葉や行動の数々、そして、同じクラスのエミリーによる壮絶ないじめ。これが現実にあることなのだろうか、と著者に聞いてみたくなる。著者はアディと同じく、自身も「自閉スペクトラム」と診断されたニューロダイバージェントだからだ。
でもこの物語には救いがある。「人とちがう」ことを優しい目線で見てくれる図書館司書のアリソン先生、双子の姉の一人、ニナのアディに対する本当の気持ち、両親の深い愛情、そして「自閉的」なアディをそのままの姿で受け入れてくれる友達のオードリー。
最後はアディの母の言葉で締めくくろう。発達に問題を抱える一人娘をこの上なく愛するひとりの母親として。ー「性格的に敏感だとか、感情的だというわけではない」「アディの脳は、ほかの人とはちがうとらえ方をするのです。認知のちがいです」「アディには、もう一人の娘(辛い思いをしたキーディ)より幸せな子ども時代を送ってほしいと思っている」ーひとりでも多くの方にこのメッセージが届きますように。
「人と違う」だけで処刑された人がいた。自閉的な傾向をもつアディは、魔女裁判の歴史を知り、慰霊碑を作ろうとします。
「人と違う」ってなんだろう、と考えることができるお話でした。定型発達の子どもたちがこれを読んでなにを思うのか?前半は割と読むのがきついけど、ぜひ最後まで読んで、障害への理解、多様性への考え方を深めてほしいなと感じた。
動画配信する姉が登場するなど、現代的な要素もあったのがよかった。
人と違うから。それだけで魔女だと疑われた時代。もし、そんな時代に生まれていたら、自分も魔女にされたかもしれない…。人と違うことを必死に隠しながら生きているアディ。アディの苦しみや悲しみが伝わってきて、読みながら何度も泣いてしまった。でも、きっとこれはアディだけではなく、私たちにも重なる部分がたくさんあると感じた。児童書だけれど、大人にこそ、読んでもらいたい。
両親と、自閉の姉とそうでない姉、そして自閉の少女・アディ。自分が暮らすスコットランドの小さな村で、過去に行われていた「魔女裁判」を知り、正しさとは何かを追求していく少女の成長と、多様性を描いた物語。
三姉妹の二人が自閉という家族構成が活きている所がとても魅力的だった。家の中では自閉は「普通」で、でも外に出たら「違う」と虐げられる。正反対の世界で葛藤するアディ。でも実は、自閉でない姉も「我が家の普通」と「世間の普通」との間で葛藤している。一見わかり難い、心の繋がり、疎外感の描き方に共感しかなかった。
誰かの所為にして厄介事に蓋をしようとする大人たちにもめげない、アディの根気強さ。話を聞き、気持ちを考える、そういう相手を知ろうとする意識が多くを繋げていくんだな、としみじみと感じた。