あした、弁当を作る。
ひこ・田中
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刊行日 2023/02/07 | 掲載終了日 2023/01/09
ハッシュタグ:#あした弁当を作る #NetGalleyJP
内容紹介
母さんに触られた。ゾクッと寒気がした。いったい、ぼくはどうなってしまったのだろう?
──ひこ・田中が描く、中学生男子の反抗期!
朝、いつものように、母親がぼくの背中に触れる。いつものように「行ってきます」と答えて学校に行けばいい。それなのに、ゾクッと寒気がした。ぼくは自分の反応に驚く。
異変は続く。昼休み、母親が作ってくれた弁当を開ける。母親はぼくの世話をするのが生きがいらしい。おかずたちが、「おいしく食べて欲しい」とぼくにプレッシャーをかけてきて、一気に食欲が落ちる。でも、これはせっかく母親が作ってくれたお弁当。無理やり食べたけれど、気持ちの悪さは残った。いったい、ぼくはどうなってしまったのだろう?
中学生男子・タツキの自立心は、弁当作りへの熱意に変わる。冷凍食品を使えば、料理が得意でなくても弁当が作れるらしい。弁当作りの先輩・マシロにアドバイスをもらったり、幼なじみ・カホに相談に乗ってもらったりしながら、タツキは自分の弁当を作り続ける。しかし、母親には「タッちゃんはそんなにお母さんが嫌いなの?」、父親には「どうしてお母さんの仕事を奪うんだ」と責められ──。
両親が決めたことを守らないのは、わがままなんだろうか? 自分の弁当を作りたい気持ちは、どうしたらいいんだろう?
映画化もされた『お引越し』で知られる児童文学作家、ひこ・田中が描く、一風変わった中学生男子の反抗期。弁当作り、さらには洗濯まで!? ユーモアたっぷりに描かれる反抗期の心情、必読です!
【対象:小学校高学年以上】
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出版情報
ISBN | 9784065305959 |
本体価格 | ¥1,400 (JPY) |
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中学生の日下部龍樹。
ある朝母親に触られたらぞくっとした。それは反抗期の始まりなのか。当たり前に作ってもらい食べていたお弁当を作ることは反抗期の始まりなのか、自立への一歩なのか。
親が自分の部屋に入ること、家族のものと一緒に洗濯されたくなくて自分で洗濯をしていた。日下部龍樹のようにこの日がきっかけにということはなくても、同じように反抗期があった。
だからこそ日下部龍樹が両親に感じる思いにも共感した。
周囲に違和感を抱えているYA世代に届いてほしい。
反抗期を経験してきた大人にもおすすめ。
突然母親に触られることが嫌になったタツキ。自分でも理由は分からないため、戸惑う。母親から世話されることを嫌い、自分でお弁当を作ったり、自分の服だけ洗濯するようにしたり…
でも、そんな行動は「母親の仕事を奪うことだ」と両親から反対される。
思春期の反抗期って、本人も上手く言えない急激な変化が起こるもので、それが伝わらなくて乱暴な言動になったりするけど、タツキは冷静に自分の思いを見つめ直して、言葉にして伝えようとするから偉い。
タツキの父親のように、男女の役割が決まっているかのような価値観や、常に上から目線な態度は大嫌いだけど、そんなパワハラに負けじと対話をしようとするタツキの方が、十分に大人だと思う。
自分の子どももこんなふうに反抗期になったりするのかな、と将来のことを考えずにはいられない。子どもがそんな素振りを見せた時に、また読み直したいお話だった。
「頑張れ、タツキ!」と応援しつつ一気に読んでしまった。
お弁当がきっかけで料理に目覚める男子の物語かと思いきや……思いっきり裏切られた。
家庭の中の支配と依存と呪いの物語だ。
男性、女性、子供の問題が詰まっている。
主人公のタツキはある日母親に触れられることに不快感を持ったところから「なぜだろう」と考え始める。
タツキの育った家庭は、側から見ると恵まれた……うらやまれる環境かもしれない。
父親の収入だけで暮らすことができ、購入した家がある。
母親は専業主婦。
食事も洗濯も掃除もみんな専業主婦の母親がやってくれる。
モラハラな父親。
心の中では夫に不満を持ちつつ、子供に依存することで存在価値を確認し続ける母親。
タツキのように、両親の「あなたのため」「お前のため」という呪いに囚われている人は子供だけではなく、大人も多いのではないか?
現実の世界ではタツキの様に「何かおかしい」「息苦しい」と思ってもなかなか気づけなかったり、気づいても行動できずにいる人が多いのではないだろうか。
子どもの権利条約が国連で採択され、日本では1994年に効力が発生しているがまだ十分とはいえない。
だからこそ本書は意味がある。
子供は親の所有物ではない。
妻は夫の所有物ではない。
それぞれ尊重されるべき個人であり、精神の自立が重要とを伝えてくれている。
そんな子供……いや親になった元子供、親になるかもしれない元子供に本書を手に取ってもらいたい。
親の目線で読ませていただきました。
思春期の心の急速な変化に子どもを持つ親として驚き戸惑い、そして頼もしく感じた。反抗期は自立心の芽生えで、心身共に大人になっていく大事な時期だったのだと、今改めてあの時期の子育てを反省している。
母親にとって子どもはいつまで経っても子どもで、いつか大人になるのはわかってはいるけれども認めたくないところもある。
多分この母親も分かっていると思う。夫に求められない愛情を子どもに捧げてきたのにある日突然大人になってしまう龍樹。手放したくない、引き止めたいが全て裏目に出てしまう。子どもは余計に離れていく。
でもきっと2人はいつかとても良い親子になると思う。そしてきっと寂しさもあるけれど、誇らしく感じる時がやってくるはず。このちょっと厄介な父親がいつそう思ってくれるか楽しみだ。
児童書では勿体無い。
忘れてしまった多感な思春期や子育てを思い出しながらぜひ大人に読んでほしいと思った。
印象に残った言葉があった。
楽しいと楽は同じ字を書く。
楽だから楽しいのか、楽しいから楽なのかどっちが好きなのか。楽をしたいのか楽しみたいのか。
考えたこともなかったが、子ども達にはぜひ楽しむことをたくさん学んで欲しいと思う。
他者のためではなく自分のために生きたい、自分は自分のままでいたい、と導きだすまでにとても長い時間がかかったけど、自分の中にある解消しきれないモヤモヤに正面から向き合い続けた龍樹。本当に根性があるなぁ。
読めば読むほど龍樹の両親のどこにでもいそうなのにゾッとする程の歪さが浮き彫りになっていって、大人と子どもではだいぶ感想が変わりそうな作品だったな、と感じました。
「いってらっしゃい」といつものように背中に触れた母さんの手に、ゾクッと寒気がしてしまったタツキ。中学一年生の成長期。母親の過剰な愛情とモラルハラスメントすれすれの父親に挟まれて、反抗期というにはあまりにも静かな抵抗がはじまる。
自分の使ったコップを洗うことから。愛情の塊のような母親の弁当を拒否して、小遣いで買った冷凍食品を利用した弁当作りから。
カホ、アヤ、マサル、マシロの友だちたちとの会話に、深く考えさせるものがある。タツキを筆頭にみんないい子たち過ぎるほどいい子たちだ。
母親役は脳内で南果穂さん。
何にも分かってない風なお嬢様風がしっくりくる気がする。
リアルタイムで見たことはないけれど、なんとなく冬彦さんを思い出した。
現代は共働きの家庭が多いのでここまでのご家庭は少ないかもしれない。でも少し前ならこれが普通だったかも。
自分の価値を人の世話をすることでしか見出せないのも辛い。固執されて好きに出来ないのもキツイ。
お父さんはこんな感覚で社会でやっていけるのかしら。と無駄な心配までしてしまう。かくいうお父さんも時代の被害者なのかもな。
自分の若かりし頃を思い出して嫌な記憶が出たと同時に自分の子には大らかでいようと思った。
私なら子どもが自分の分のお弁当作ったり洗濯してくれたら最高だけどなぁ。
変な脱ぎ方のまま洗濯機に入れられたら干すとき直すの地味に嫌だし、お弁当作るのに冷蔵庫の中身気にしたり朝の所要時間計算したりの苦労を分かってくれるってことだし。
何よりも将来自分でやることになったとき困らない。
本作はたった2週間ほどの期間の内容だけれど
すごく濃密だったし
この家族の行先も見てみたくなった。
虐待や育児放棄のような社会問題まで至らずとも、過干渉や親の意見の押しつけは、子どもにとっては辛いこと。タツキがお弁当を作ることは、本来自立の一歩として喜ばしいことのはずなのに、父も母もそれぞれ違う観点からよしとしないことにやきもきしながら読みました。弁当作りや洗濯を継続することで認められる日が来るのか、ほかに意見の相違があった場合にどんな解決方法があるのか…。理解ある仲間がいることと、タツキが最後まで前向きだったことが救いです。タツキに共感する中学生がたくさんいるだろうな。
ある朝を境に、母親の言動に焦立ちを覚えるようになったタツキ。親友たちから、「反抗期」だの「自立」だの吹き込まれるが、自分では戸惑うばかり。中学生男子の内面の動きの2週間を丁寧になぞる。
そういうふうに描いているのだろうけれど、タツキの両親がなんともステロタイプの旧型の印象。男、女、親、子どもと単純に色分けしている回路が、眉を顰めたくなるほどいやらしく感じた。
思えば自分の親を「ああ、ただのおじさんとおばさんなんだ」と認識した時がわたしの内なる自立の時だったのだと今にして思う。そして、我が子のその頃も思い出しつつ読んだ。
弁当を自作し、洗濯物に挑戦し、母親から遠ざかりたい気持ちを徐々に伝えていく。誰かの支配のもと、我慢しながら生活するのは嫌だと思ったタツキは、正常な成長をしている。
中学生になった息子を待ち構え、一緒におやつを食べるという行為の気持ち悪さ。両親の関係性の小さな齟齬もタツキにはちゃんと見えている。
タツキの真面目さ、友だちの反応、みんなまっすぐで眩しかった。
「母親に触られてゾクッとする」このキーワードと、お弁当を無心で食べている少年のモノクロの表紙に惹かれてリクエストしました。予感は大当たり、久々に心を突かれた良書でした。いわゆる分かりやすい反抗期とは違う、申し訳ないと思いながらも母親の愛の呪縛から逃れようと必死に策を弄するタツキにエールを送った読者は少なくないはず。母親目線から見ても、この母親にはイライラが抑えられず、我が身を振り返るいい機会になりました。幅広い世代に読んでほしいし、様々な意見を聞いてみたい素晴らしい一冊でした。
主人公は心優しい中1男子。
ねっとり息子に構いたい母と高圧的すぎる父がいる家で、思春期の彼が一風変わった反抗を試みるという物語です。
読んでいるこちらまでゾワっと寒気がしてしまいそうな家庭環境ですね。それにあらがう主人公の健やかさには、心を洗われる思いでした。
親の世話になるのが嫌で自分のことは自分でしようとする。家事スキルを上げていくなかで、母の凄さや日々の大変さを知り感謝もする。
これってもはや「世界一まっとうな反抗期」なのでは?
こんなの、応援するなって言われても無理ですから。
タツキの自立心は正常で、読む人が触れれば反抗というものを追体験できる。
私は父母から過干渉というイメージなく思春期を過ごしたが、
ただ少し気になる干渉を我慢すれば、親をなんでも割と願いが叶う便利なもの、
と感じていたことを思い出すが、結局大学生のころやっぱり食事、
自分で素材を調節し買い込み計画を立ててという自炊の下宿に憧れた。
だけれど、結局お金がなかったのであきらめたが、あれは反抗期だったのだな。
自立して親とのかかわり、子供同士の友人のかかわり、
それが自分の為でいいものだと思えて成長できるように読む人を育ててほしい本です。
帯の宣伝文句にも使われているけれど
『母さんに触られた。ゾクッと寒気がした。いったい、ぼくはどうなってしまったのだろう?』
読んでいてここだけ文章が浮き上がってくるような感覚があった。
いわゆる反抗期を迎えた思春期の独白。
とまとめてしまうのが惜しいくらい面白かった。
小学校高学年以上
とあるが、もっと幅広い層に読めるし、大人の立場からでも興味深く読めるだろう。(正直この両親の行動や発言はあまりにも、なぜ子供とこうも噛み合わないのか理解しようとする努力がかけらもなくてイラッとしたけれど)。
弁当を作る。というアクションが一貫して本を貫く糸になっている。
そこから、彼が、いろんなものに気づいていく、目がひらかれていくさまが見事。
お母さんに背中を触られてゾクッとする感覚。
自分の中で起きる変化。
でも、それを、たとえば「生理的に受け付けない」とかそんなふうな言葉で語るのではなく、自分の中に起きていることに驚き、見つめている、というのが、この子はとても大人で、そして思考が深い。
この子の中では、これは「反抗」ではない。反抗的な思考はこの子の中にはかけらもないことがわかる。むしろ「なぜだろう」という絶え間ない問いかけ。なぜこの人はこんなことを言うのだろう、なぜ自分はこう思うのだろう、なぜ食い違うのだろう、とずっと問いかけ続けている。
親にはこれは「反抗」にしかうつっていない。
実際の反抗、溝、コンフリクトの内側って、・・・・こういうものなのかもな・・・・
大人の(そして母親の)自分にもインパクト大な本でした。
主人公は中学一年生の少年・龍樹。ある朝、母親に『いってらっしゃい』と背中に触れら【ゾクッと寒気がした】。息子のいる私には分かる。思春期独特の反抗期の始まりだと。目の中に入れても痛くない可愛らしい息子の反抗期は私も寂しい思いをしたから龍樹の母親の気持ちは分かる。彼の反抗期は少々風変わり。母親と関わりたくないが故に弁当作り、洗濯を自分でするという。私から見れば何と楽で可愛らしい反抗期だろうと思うが、物語の母親は『息子が生きがい』のちょっとイタイ母親だから大事だろう。加えて高圧的な父親とくれば龍樹も大変だ。読み始めの母親に対する同情は消え失せ、同じ親、母親の立場から見ても龍樹の両親には唖然とするし、龍樹を応援してしまう。自分の気持ちも大事にし、母親へも気遣う言葉を出せる龍樹は立派な大人になると思う。正常に成長していたらやってくる反抗期。私は親の側に忍耐が必要だと思う。反抗期は子供自身ではどうする事も出来ないものなのだから。
タッちゃんのお母さん、私?自分のことかとドキッとする。私の子どももあの時あんな態度の時、こんな風に思っていたのかも。思春期のいらだち、自立心のめばえ、それは反抗期?子どもだったぼくが、大人になろうとしている。性的役割の問題、家族の問題。子どもも大人も自分の家族を振りかえって見直したくなる!そんな作品でした。
少年が家族から自立をする話。
読んでいてこの少年の両親が気持ち悪く感じてしまったのは、もはやジェンダーというものから解放されたからなのだろうか。
昭和な夫婦という感じで、家庭内ではお父さんが力が強く全て彼の思い通りにする。
お母さんはそれに賛同しながらも子供に愚痴を言う。
なんかすごく嫌だ。この家族。
子供が何も言わずにお弁当を作りたいと言った時に、お母さんはなぜ、じゃあ一緒に練習していこうと応援してあげられないのか。なぜお母さんの仕事を奪われて悲しいと思うのか。
お父さんは女ならともかくと言う言葉を使った。家事育児は女の仕事。そういうふうに思っている。
キッチンも、お母さんは対面キッチンにしたかったのにお父さんが料理に集中できないからと採用しなかった。こんな夫婦離婚でしょ。と今は思う。モラハラでしかない。
けどこの少年は、これでも家族と認めていてすごいなと思う。
周りのお友達もすごくよかった。
自分でお弁当を作ってくるマシロは、とても好感が持てる人物だった。
これを現代の子どもに読ませて、果たしてどれくらいの子供が気持ち悪いと思うのか。