ぼくは川のように話す
ジョーダン・スコット/文 シドニー・スミス/絵 原田 勝/訳
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刊行日 2021/07/12 | 掲載終了日 2023/03/31
ハッシュタグ:#ぼくは川のように話す #NetGalleyJP
内容紹介
【NetGalley×Luppy「SDGs」企画】
吃音のある詩人をささえた少年の日のできごと。
「ぼく」を救った父親の言葉と、美しい川の光景が胸をうつ感動の絵本。
「朝、目をさますといつも、ぼくのまわりはことばの音だらけ。そして、ぼくには、うまくいえない音がある」
苦手な音をどもってしまうぼくは、クラスの朝の発表でもまったくしゃべることができなかった。放課後にむかえにきたお父さんは、そんなぼくを静かな川べりにつれていって、ある忘れられない言葉をかけてくれた。
吃音をもつカナダの詩人、ジョーダン・スコットの実体験をもとにした絵本。
デビュー以来、作品を発表するごとに数々の賞を受賞して注目を集めるシドニー・スミスが、少年の繊細な心の動きと、父親の言葉とともに彼を救ってくれた美しい川の光景を瑞々しいタッチで描いている。
出版社からの備考・コメント
特集 SDGsに取り組もう 選定作品
【テーマ 3 すべての人に健康と福祉を】
児童図書選書のための総合ブックカタログ Luppy(るっぴぃ)
特集 SDGsに取り組もう 選定作品
【テーマ 3 すべての人に健康と福祉を】
おすすめコメント
【出版社からこの作品をご覧くださる会員の皆様へ】
この作品には観音開きで4ページ分が横につながった大きな絵が含まれていますが、そのままではNetGalley上での閲覧に支障があるため、掲載にあたり観音開きにした両外側のページを削除しています。
ぜひ、実際の本をお手にとって、この横開きの大きな絵をご覧になってみてください。
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販促プラン
【本キャンペーンは終了いたしました】
・11月レビューキャンペーン「SDGsを広げよう!テーマ0~3」(NetGalley Japan主催)
【本キャンペーンは終了いたしました】
・11月レビューキャンペーン「SDGsを広げよう!テーマ0~3」(NetGalley Japan主催)
出版情報
発行形態 | ハードカバー |
ISBN | 9784034253700 |
本体価格 | ¥1,600 (JPY) |
NetGalley会員レビュー
写真のような表紙にひかれました。
始めは少しダークな色合いの絵本ですが、少年の心を写し込んでいるように感じました。
作者の、ジョーダン・スコットさん自身の子供の頃のお話です。
少年には吃音があり「口の調子が悪い日」の心の様子が描かれています。
「ぼくは川のように話す」流暢にということではなく、川の流れと同じようにうずをまいたり、波をうったり、流れが変わったり。
「おまえは、川のように話してるんだ」と父親が言うページはそれまでと一転して、眩しいほどの光のなかに少年がいます。自然の中をイメージさせる父親の深い愛情ある言葉に包まれて、少年の心に優しい光が満ちたようでとても印象に残るページでした。
吃音はありませんが、誰かと話すとき頭のなかに話したい内容は浮かぶのに、うまく言葉が出てこなかったりで伝えられないことは私もあります。流暢じゃなくてもいい。私なりの個性でいいんだと肯定されたような気持ちになりました。
文も絵も素敵で、また読み返したくなる作品です。
「あさ、目をさますといつも、ぼくのまわりはことばの音だらけ。」p1にはっとして油絵っぽい絵のなんとも言えない色と顔のない人が主人公の心情を表していてグッときます。
空気が読めないと言われる自分と主人公は違うけど、自分の欠点を肯定的に捉えられる指摘をしたお父さんは素敵で五感で言葉を入れたり出したりして人と交わすのを川に例えるのは絶妙だと思いました。川の流れのように自分の意思ではなく渦を巻いたり岩にぶつかっても柔軟に形を変えて乗り越えていこうと思えました。
吃音のある詩人の少年時代の忘れがたいエピソード。
うまく喋れない日のどうしようもない苦しみを、包み込む父親の懐の深いことばが少年を救います。
うまく話す、流暢に喋ることが全てではなく、川の流れに喩えて、まんまそれでいいのだと告げる。
目の前の川のように、逆巻き、砕け、泡立つ、そういう話し方が少年の話し方であることを、ごく自然に理解させる慈雨のようなことば。
クラスのみんなのように話せないことでコンプレックスの塊になっていた少年が、「自分」を見出した瞬間の開放感と自己肯定感。
吃音を認めた時、逆に得るものがあったという幸福がみごとに表現されています。
吃音は治療されるべき異常な状態であると、少し前まで考えている人が多かったように思う。でも、例えば西加奈子は「歌うようなリズム」があると吃音を表現していたし、伊藤亜紗は「自分らしくどもる」ことについて書いていた。治すとかじゃなくて、自分らしくあっていいということを、もっと子供達に感じて欲しいと願います。地味だけど、じんわりと心に響く本でした。
——-
I wake up each morning with the sounds of words all around me.
And I can't say them all . . .
かなり話題になっていた絵本だが、
#NetGalleyJP
さんにあがっていたので、電子版で拝読。
川の近くにずっと住んでいたので、川の民のような人たちが周りにたくさんいて川の恵を受け取ってきた。
#きよしこ
を思い出した、重松清さんの。
吃音。
音、に関しては、英語を日本語にするのにどう工夫したのだろうという興味が湧く。特定の音が苦手というのがあるから。
同じようなゲラで最近拝読した物に
#きみの体は何者か
なぜ思い通りにならないのか?
#伊藤亜紗
があり、ここでも吃音を例にとった興味深い考察があったこともリンクされて思い起こされた。心と体。
さらに広げて考えることもできる。
言葉が出てこない、ということ、は、吃音以外にもきっとたくさんある。そこで困難を感じる人はたくさんいるだろう。
理解しあうということ、について考えさせられる。
タイトルに惹かれて読んだ。川の表現がきれい。言葉を表す絵も良い。 うまく話すことの出来ない息子を父は川に連れて行く。 川が流れるように流暢に話す、ではなく、川だって石にぶつかったり止まったりスムーズにいかないという事を伝える。目に見えるもので息子の状態を説明しようとする、この父の行動がすごく好き。
焦れば焦るほど、言葉がみつからなくてパニックになる様子がわかります。
この子に、このお父さんがいて良かったと思いました。この子のように同じように困っている子には、この本があってよかった。そして、周りで、実はどう接したらよいか困っている子もいるはず。その子にも、この本が届きますように。
わたしはこれまで吃音というものを理解していなかった。
ことばが滑らかに出てこないのは何故なのかをわかっていなかった。
ことばが上手く出てこないだけだと思っていた。
そうじゃないんだ、話す以前に、頭の中にことばがたくさんあって、それがひっかかって、からみあって、ぐちゃぐちゃになっていたんだ。
学校の友達や、ことばの先生たちは、そんなことをわかっていない。
お父さんは、そんなぼくのことをわかってくれている。
お父さんと一緒に川に行く。
川の水は、まっすぐに流れるだけじゃないんだ
うずをまいたり、波うったり、くだけたり、
ぼくは川とおなじなんだ。
小学生の学校司書をしております。ハンディキャップを扱った本を探していて、この本を読んでみました。表紙のキラキラした川の絵が美しくて、絵本のタイトルにも惹かれました。吃音を持つ当事者の気持ちがわかりやすく描かれていて、主人公の父親の言葉が胸に響きました。学校の図書館にも購入したいと思います!
タイトルに惹かれて読んでみました。人は言葉で傷つき、言葉で癒されること、人は言葉で生きていることが短い文章の中に表現されている本。自分の欠点と思うことも、それを捉える言葉が変わると自分の認識が変わる。同じものを見てもそれをどう表現するかで、世界は変わる。そのことに幼いうちから気付けると生きづらさから少し楽になれると思う。どんな言葉をかけるか、大人の側の言葉選びにかける責任も考えさせられる本でした。
これは素晴らしい作品です。身体障碍者、言語障害の子供なのかな。
彼の不安な心境がわかる。
むねの中に嵐が起こり
ぼくの目は雨でいっぱいになる
優しい父のアドバイス
そのやさしさが絵とマッチしてた。
どもる(吃音)「ぼく」は朝をむかえる度に音を感じる。それは、自分が話しにくい音ばかり。みんなにどう思われているか、時に笑われている事を知ってはいるけれど。だから話さないぼく。自分も吃音気味な部分があるので「ぼく」の気持ちは多少わかる気がする。父さんが連れて行ってくれた川に自分を投影し、時にあわだち、くだけ、波うつ川。「これでいいんだ」と気持ちが変わった事に、読んでいて安堵した。自分は自分。人と比べなくていいと。
タイトルを一見しただけでも、読んでみても、川のように話すとはとても不思議な感覚だなあと感じました。言いたいことはわかるのですが自分が川のように話すにはどうしたらいいのか少しピンときません。
そんな感覚がそれぞれにきっと存在しているのだと思います。
あやふやでよくんからないけれどお友達を尊重することを覚える絵本です。
川のように話すってどういう事なのか、わからないまま読み始めてしまったけど、うっとりと眺めてしまう程に美しい水の流れが素敵でした。
吃音ではないけど、自分も苦手な発音や言葉はあって、人前では上手く話せない。きっと言葉は溢れているはずなのにアウトプットがしにくい。吃音にも色々なパターンがあるし、日によっても違う。
そのものを過不足なく理解出来るような人間になりたくなる作品でした。
一人じゃないけど、独りだとおもうときがある。それは、こころが、だれにも届かないって思うとき。
主人公の少年は、じっと、目を閉じて自分の心を見つめてみる。
そこには、流れる川のように、カラフルなこころが、イキイキと、あばれている。
うずまき、あわだち、なかなか、ことばというかたちになれないでいる・・・
この感動を、あなたにつたえたいのに・・・ぶつかり合って、もぐり、また、もどる・・・
どうしたらいいのか、少年には今はわからない・・・
だけど、うまくことばがうまれなくて、つっかえるのを笑われたら、もう心の色が、真っ黒になる。
つたえようとあばれてたこころが、凍りつくみたいに惨めな気分になる。
笑ってしまうのにもきっと、理由がある。わたしたちは、知らないものが、とても怖い臆病者です。
だから、はじめて聞いた吃音にとまどって、どうしていいのかわからないのかも。
誰かが不安を笑いで帳消しにしようとしたら、思わずみんなも、同じことをしてしまうのかも。
わたしたちは、みんな一人ひとり違う。得意不得意はみんな違う。だから、笑いで、ちがいを帳消しにするのならいいけど、笑いで「独りだと思う人」を生むのは、損だ。どうか、この絵本から、理解という愛を学んでほしい。
目を閉じた少年の内側の「豊かさ」を感じてほしい。それぞれの豊かさを足し算できる世界にしてほしい。
絵画のようでもある表紙にある少年の絵と、ページを開いた少絵の年は少し様相が異なっていた。
最初の印象は川の中に入ってにさぁ泳ごうというイメージ。その後に、泳ぐではなく川全体ではないかと気づく。
雄大な自然とお父さんの言葉に勇気をもらい、私も川に見守られているように感じた。
絵本の世界をぐーんと広げてくれた1冊!
吃音という障がいのある作者自身の、幼少期の父との大切な思い出が絵と文章によって鮮明に描かれた作品。
主人公の吃音への悩みや不安の色が滲み出ているような曇った描写と対照的な、父の言葉によって晴れた主人公の心に差し込んでくる自然の光や川の流れのみずみずしい描写が印象的で、包容力のある文章は誰にでもある「うまくいかなかった日」すら温めてくれる。
吃音のような「障がい」について、それを個性と捉える視点や彼らが自分らしく自分のペースで生きていることといった多様性を尊重する意義を絵本の温かさの中から感じ、考えてみるきっかけとしてぜひ読まれたい1冊である。
止め処なく流れる川も話す。泡立ち、渦を巻き、波を打ち、砕き……。
吃音の少年時代を救った偉大で雄大な自然のありのままの姿。人間は圧倒的な自然の前に平伏しもする。救われもする。私たちの心の拠り所でもある場所。
この本は、一言では表せない人間と自然との関係性を感動と共に再認させてくれる絵本である。
最初は男の子が何を言っているんだろうと思った。しかし、読み進めるにつれて男の子がうまく話すことができないのだと分かった。川はでは様々なことが起きている。水の流れの中で渦が巻いたり岩を砕いたり、波を作ったり。話す言葉を川に例えていてとても面白かった。
重荷を宝物に変えることば。それがその人の根源にかかわるようなものでも、ゆっくり沁みわたり、本物の宝物になる。
それはほとんど魔法の呪文だ。
でも、誰にでも使える。相手の全てを尊重する深い思いやりさえあれば。
こんな言葉を紡ぐことが、いつか私にもできるだろうか。
画面ごしに勢いのあるタッチが伝わってくる。
自分の中で不自然と思っている話し方も
自然の中と同じ。
ぶつかって止まったり流れたり勢いが早くなったり。
勇気が漲ってくる描写に私も元気を貰った。
お父さんの接し方がとても素敵。
ひとつでも自信が持てるようになるといいな。
【ぼくは川のように話す】
タイトルをみてどんな本なん内容だろうと感じる絵本でした。
父と川にきて遊ぶのですが、
そのときに会話もします。
か つ などの言葉がうまく発音できないのです。
#吃音 や#吃り に悩む少年の話でした。
そして、父から「川のように話せばいい」
という言葉を受け、
自分の中の気持ちが救われたようです。
公共図書館などで展示されているのを見て、表紙に惹かれて読みたいと思っていた絵本。
とにかく絵に引き込まれる。
著者のジョーダン・スコットさんの子どもの頃の体験をもとに書かれた、とのことだが、吃音の当事者が日常的に抱えていることがよく分かる。
口の調子が悪い日、頭は言葉で溢れている…などそのもどかしい気持ちや、苛立つ気持ち、なぜ自分だけ、という思いが伝わる。
父親が彼を川に連れ出し、川の流れを体で感じることで、自分の吃音も川と同じなのだ、と心が開放される。
身近に良き理解者がいてくれたことは、何より彼の支えになったことだろう。
吃音は、障がいという捉え方をされず、当事者も困ったいることをなかなか言えないことが多いそうだ。
最近は、YA小説でも当事者が吃音を題材にして書いた本あり、私の在籍する学校でも読んで良かった本の1位になったことがある。
10代の心は傷つきやすいが、柔軟でもある。こういった当事者の著作本により、理解が深まることを願う。
吃音に悩む少年の心の動きや、どんなことで悩んでいるのかを知ることができる絵本です。吃音ではない人にも、苦手なことや悩んでいることがあり、前に進めないときがあります。著者は、父親と行った川の風景や、かけてもらった言葉に救われました。もし、身近に障害のある人、困っている人がいたら、その人に寄り添い、救いの手を差し伸べることができる。そんなことを教えてくれる素敵な絵本です。
非常に繊細な絵本だと感じます。
基本的には児童書のくくりなのかもしれませんが、多くの大人にも読んで貰いたい本だと思います。
吃音は、自分自身にその症状を持たない人間には、なかなか理解しにくいものだと思います。
それを理解しようとすると、一般的には医学書などの、教科書的なものから理解しようとすることが
ほとんどだと思います。
それ自体はそれでよいと思いますが、他の方法として、この本のように、当事者が感じる思いを表現した
ものに触れるということも、方法の一つなのだなと強く思わされました。
絵本というものは、言葉だけではうまく表現できないことを、絵を使って表現できます。
その逆もまた然りです。
この本は、文と絵とが相互に補完しあいながら、作者の心を読者に重層的に届けてくれます。
小さいころからこういった本に触れる機会があると素敵だと思います。ただ、本の内容を
読み解こうとするには、少し精神的に成熟てからでないと難しいようにも思えます。
一度だけ読むのではなくて、時間を空けて、何度か繰り返して読んでみたい本です。
惹きつけられる表紙、伝わりやすくも悩んでいる人に寄り添える言葉が素敵でした。
子供だけでなく、読み聞かせをする大人や自分で読まれる方もきっとこの本に魅了されると思います。
発売された際にはぜひ購入したいと思います。
「ぼくは川のように話す」というタイトルが気になってたまらないである。川のように話すとは穏やかに話すと思えば、小さな波や溜まり水のように動かないときもあるようだ。この絵本はそれらを人間の喋り方のと同じだよって教えてくれた。みんなそうではないが、知ってほしいと強く主人公やその家族が思っている。
私は軽度のASDを持っているが、吃音はなかった。お兄さんの方があるようだが、診断はされなかった。多分家族みんなは何も問題がないと思っていたからであろう。他の人がそうでないと気づいた時に、不思議に思った。しかしいじめが始まってからはそれが恥と化した。主人公の気持ちはよく分かる。最後のページをめくって「これからも頑張れそうだね」と私はつい口にしてしまった。主人公にそこまで期待してしまうぐらい感動している。