わたしは しなない おんなのこ
小林エリカ・作・絵
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刊行日 2021/08/25 | 掲載終了日 2021/08/23
ハッシュタグ:#わたしはしなないおんなのこ #NetGalleyJP
内容紹介
ひとりの おんなのこが いました。
おんなのこは、かんがえました。
しぬのは いやだな。
しにたくないな。
おんなのこは、それを うたにして うたってみました。
だいどころへ やってきた ねずみは そのうたを ききました。
ねずみは うたを とてもきにいり、おなじように うたってみました。
ねずみ、猫、ノミ、ウナギ…みんなが歌い継ぎ、歌は生き続けました。
そうして、ながい年月が過ぎ、ひとりのおんなのこが歌に耳をすませます。
死をテーマにした絵本シリーズ『闇は光の母』第1弾。
アンネ・フランクの言葉に着想を得た、小林エリカさん初の絵本作品。
おすすめコメント
<谷川俊太郎さん命名、死を考える絵本シリーズ「闇は光の母」刊行に寄せて>
死を重々しく考えたくない、かと言って軽々しく考えたくもない、というのが私の立場です。死をめぐる哲学的な言葉、死をめぐる宗教的な言葉、果ては死をめぐる商業的な言葉までが氾濫している現代日本の中で、死をめぐる文と絵による絵本はどんな形でなら成立するのか、この野心的な企画はそれ自体で、より深く死を見つめることで、より良く生きる道を探る試みです。
<著者小林エリカさん コメント>
私は子どものころ、死んで、忘れ去られ、失われてゆくことが、怖くてしかたありませんでした。そんなとき、私はたまたまアンネ・アンネフランクの『アンネの日記』を読みました。
そこには、こう書かれてあったのです。
「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!」
実際、その日記はいまなお読みつがれ、アンネはその望みどおり、書くことによりいまなお生きつづけていました。私はそれを読み、深く感動しました。そして、いつか私も作家になりたいと夢みました。
いま私はアンネが死んだ年をとおに追い越して、すっかり大人になりました。あの頃の私とおなじ年になりつつある、子どもさえいます。私は懸命に書き、書き続けてきました。
けれど、どんなにがんばっても全ては書ききれない。
そうして過去を振り返ると、これまでも歴史書や本に書きとめられることなく失われてしまった膨大なひとりひとりの人生や時間があることに、私は気がつきました。
そこには、アンネのように書いた、書いたけれど失われてしまった、あるいは書かなかった、書けなかったひとりひとりが、いたはずです。けれど失われてしまったその人生が、その時間が、大切でなかったとは、決して私には思えないのです。
人は私もふくめ、いつかみんな死んでなくなります。
けれど、たとえその生が、忘れ去られ、失われてゆくものだとしても、いつかだれかが私の、私たちの声を見つけてくれるのではないかと、私は心のどこかで信じています。
だから、いま、私は耳を澄ませて、聞いてみたいと思うのです。ずっと遠くの、あるいはすぐ近くの、だれかの声を、だれかの歌を。
小林エリカ
引用:「アンネの日記 増補新訂版」アンネ・フランク著 深町眞理子訳 文春文庫
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少女はうたを歌った。「わたしは しなない おんなのこ・・・」
これは、心いっぱいの勇気のうた。少女の今を生ききる真実のうた。
うたは風。心から心へ吹く風。風に吹かれた心は共鳴し、また新たな発信源になる。
風は時空を超えて、命の一瞬の真実を伝え、吹き続ける。
ただなんとなく、死がこわいのではなく、命を無意味なものにしたくない時。死の恐怖にカンタンには負けないための「勇気のうた」を歌った少女は、今もそれをうたうあなたのそばでキラキラと生きている。
死を意識するときは、どういうときでしょう。
作者の小林エリカさんがこの絵本を生み出すきっかけになった「アンネの日記」のアンネ・フランク。
アンネはまわりの人がユダヤ人であるということだけで、少しずつ消えてゆくという理不尽でリアルな恐怖のなかに身を隠して生きていた。やがて自分の番が来るかもしれないこと=「死」を意識せざるを得なかった。
アンネは恋をしていた。生きている今にトキメイていた。だから、きっと、より強く生きていたいと思った。
ただなんとなく死がこわいのではなく、生きている今を魂いっぱいに愛しているから。届きたい未来があるから。
まさに、『闇は光の母』シリーズの第一弾にふさわしい絵本ですね。ありがとうございました。
不思議なお話です。
死を恐れる女の子の歌は、精一杯の勇気と恐怖がないまぜになったもの。
死なないという決意と、死にたくないという願望と。
奮い立たせる気持ちの先に、それでもやっぱり見えている死。
歌が世界をつないでいく。歌が命を輝かせる。
正しく畏れることは、正しく受け入れること。
聞くこと、知ること、感じること。いつかつなぐ手を信じて。
死を考える絵本シリーズ「闇は光の母」、谷川俊太郎命名。アンネの日記にあった「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!」という言葉に触発された思い。生まれてきた命はいつか亡くなる、それがどう、生き続けることができるのか。そして生まれたのがこの絵本。谷川俊太郎さんは、独自の言葉の魔法を使って、つながりうた、を生み出した方。マザーグースの翻訳などで。この絵本も、つながってゆく命、を歌に託した形であらわそうとしている、のかもしれない。
「しなないおんなのこ」が何を意味するのか?と思いながら読んでいました。最後までよくわからなかったのですが、最後の「によせて」を読んで納得しました。
『アンネの日記』の日記を残したアンネ・フランクは死んでしまいましたが、小林さんの、「誰もが死んでしまうけれど、生は失われてしまっても、いつか誰かがこの声をみつけてくれるのではないか」でわかりました。
体は死んで失われても、生きていた事は変わらない。とても素敵でした。
言葉が残れば、身体が滅びても、その人は存在し続ける。
アンネの日記や童話を思い出しながら読んだら、
著者の言葉でもアンネに触れられていて、
読み継がれ、語り継がれていくことの強さを感じました。
その人の言葉は、文字ではないかもしれない。
テレジンに残された子どもたちの絵のようなものかもしれないし、
一目一目思いを込めて縫われたキルトかもしれない。
築何百年のお寺の人目に触れないところの鑿の跡かもしれない。
でもそうやって、滅びたはずの肉体が残したものに守られたり、
与えられたりしているものが数多くあることを思い出させられました。
アンネ・フランクの言葉に着想を得た小林エリカさんの初絵本。「しぬのがいやだな。」と考えた女の子が口ずさんだ『♪わたしはしなないおんなのこ~』がねずみに、猫に、ノミに、ウナギにと歌い継がれ、生き続ける。ただただ“死”を恐ろしいものと思い込んでいるところに、この歌声がかすかに聞こえてきたならば「そんなに怖いものじゃないから大丈夫だよ。」と言われたような気がしてくるかもしれない。そんな不思議な力を持つ言葉のように思えた。死をめぐる絵本って斬新だなと最初は思ったけれど、生と死は繋がっているものだから、そんな絵本があっても当然か。小林エリカさんの色使いがとても独特。鮮やかなピンクやブルーの色合いとても印象的だった。