ぼくはおじいちゃんと戦争した
ロバート・K・スミス 著 こだまともこ 訳
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刊行日 2021/01/20 | 掲載終了日 2021/02/01
ハッシュタグ:#ぼくはおじいちゃんと戦争した #NetGalleyJP
内容紹介
全米興行収入 初登場大1位!
ロバート・デニーロ主演映画
「The War with Grandpa」原作本
少年ピーターのおじいちゃんは、おばあちゃんが亡くなってから元気がない。
両親は、おじいちゃんを呼んで、いっしょに暮らすことになった。 ピーターは大好きなおじいちゃんと暮らせるのはうれしかったが、おじいちゃんには、ピーターの部屋を使ってもらうことになった。
ピーターは、喜びもつかの間、怒りに変って、自分の部屋を取り戻そうとおじいちゃんと戦争することにする。
ピーターは、あの手この手で、いたずらをしておじいちゃんを攻撃するが、おじいちゃんも簡単には降参しない。
いたずら攻撃がだんだんエスカレートして、悪質になったところで、ピーターは、おじいちゃんに「ほお」を思いっきりひっぱたかれる。泣きそうなピーターにおじいちゃんは言った。
「戦争ってのは、痛いものなんだ。人を傷つけ、殺し、不幸のどん底につきおとす。戦争をしたがるのは、愚か者だけだ」
ピーターは、戦っているうちに、自分の何倍も生きていて、本当の貧しさや戦争を体験してきたおじいちゃんの人生を知ることになり、おじいちゃんもまた今回の戦いを通して妻を亡くした悲しみから立ち直っていく。
本作は、アメリカの児童文学賞をいくつも受賞した作者ロバート・K・スミスの代表作。
出版情報
発行形態 | ハードカバー |
ISBN | 9784751530344 |
本体価格 | ¥1,200 (JPY) |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
大好きなおじいちゃんに、大好きな部屋を奪われたぼく。取り返すためにとうとう宣戦布告!
児童文学ならではの主人公の聞き分けの良さと悪さが、そのまま物語の起伏になっています。
すごく楽しませていただきました。
おじいちゃんは、ロバート・デ・ニーロが演じたんですね。
原作よりも手強そうです。
大好きなおじいちゃんと一緒に住めることになったのに、ピーターは自分の部屋をおじいちゃんに譲らなければならなくなった。足が悪いおじいちゃんに3階の空き部屋を使わせるわけにはいかないからだ。自分の城とも言える部屋を否応なく明け渡す屈辱。怒りに変わった悲しみは、おじいちゃんに戦争を仕掛けるべく燃え上がっていく。
ふたりの攻防はあっという間に深みに嵌り、抜き差しならない状態に突入。そんな折におじいちゃんの本音が爆発する。貧しさも戦争も潜り抜けた人だけが持つ重いことばで、ピーターを突く。だが、おじいちゃんは心の中で苦しみ、もがいていたはずだ。
大好きな祖父と部屋を巡って諍いを続けることが、本当はピーターも嫌だ。「戦争」の恐ろしさを薄々感じ取っていくピーターには、意地とやるかたない虚しさが拮抗していたと感じる。
平和的解決。ピーターとおじいちゃんの終戦。ずいぶん遠回りのようだが、自分の城のために身を張ったことは、許されるやり方ではなかったにしても、ピーターにたくさんのことを感じさせ、考えさせた。家族の中の自己主張や話し合いの重要さを実にリアルに、読み手にも問題提起する物語。ロバート・デニーロ主演の映画も観てみたくなりました。
卑怯なことだとわかっていても、
勝つためには、と手を汚してしまう。
それって、自分をも傷つけること。
一度振り上げた手は容易には下せず、
相手にされた以上のことをと繰り返してしまったり、
誰かの同意を得たり、けしかけられたりすると、
最初に考えていた以上のところまで踏み込んでしまう。
戦争が肥大化する過程を、
「自分の宝物を守る」という身近なテーマで描いていて、
自分に引き寄せて考えやすくなっている。
ぼくがいわゆる私小説を書き始めるところから物語は始まる。
祖父を引き取ることにしたぼくの家。あろうことか気に入っている自分の部屋をおじいちゃんに明け渡すことにさせられるぼくは、そこが不満で仕方がない。
おじいちゃんのことは大好きだけど。
そして、宣戦布告。
長く生きてきたおじいちゃんは、争いというものがいかに不毛なものなのか、身を持って知っているのだが段々とお互いの行為がエスカレートし、そして....。
おじいちゃんの生きる力の復活とともに、大切なものは何か、ぼくもおじいちゃんも気づいていく。
おじいちゃんが、孫を1人の人間としてきちんと扱っているところも清々しくもあり、お互いを尊重し合い、言葉や行動に出すところに温かさと、コミュニケーションを大切にする大人の社会を感じ、少し羨ましくもある。