世界とキレル
佐藤まどか
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刊行日 2020/09/07 | 掲載終了日 2020/09/10
ハッシュタグ:#世界とキレル #NetGalleyJP
内容紹介
中2の舞は、夏休みに「森の家」というサマースクールに行くことになった。
「森の家」は新時代をよりよく生きるため、
先入観にとらわれないエリート育成を目標に、
8人の中学生が、同じ環境、同じ食べ物、同じ服装、同じコンディションの中で 3週間を過ごすというものだった。
山深い中の一軒家なので、車でないと移動は困難だ。
食事は自給自足を原則にオーガニック食材を使用した特別メニュー。
ジャンクフードは禁止。
スマホ、タブレットは使用不可のため没収された。
スマホは、舞にとって「窓」だった。
世界と繋がっている「窓」がなくなったのだ。
舞は、こんな生活は収容所のようで耐えられないと、ある朝、脱走を試みる。
まだ暗いうちから、そっと外へ出て歩き始めた。
林道をいくと、車で追いつかれ捕まるので、森の中を林道に平行に進むことにした。
少し歩いたあと、足もとを滑らせ斜面を転げ落ちてしまう。
大木に当たって止まるが、全身が痛くて、その場で動けなくなってしまった……。
スマホに依存して生きている中学生が、仲間や自然生活との出会いで変わっていくひと夏を描いた物語。
出版情報
発行形態 | ハードカバー |
ISBN | 9784751529492 |
本体価格 | ¥1,400 (JPY) |
NetGalley会員レビュー
安心して中学の図書室に置ける本ですね。
読みやすいし、突然スマホを取り上げられる生活を強いられる主人公のモリブの気持ち、中学生じゃなくとも、全年代が共感できると思います。
スマホ依存している私も、ちょっと心痛くなりました…(汗)
【世界に強がることしかできない少女が、森での共同生活で得たものとは?】
”気が遠くなるような孤独と、無力さを実感していた。そして、こんなときでさえ涙が一滴も出てこない自分を、恨めしく思う。まわりには誰もいないのに、泣かないクセがつきすぎているらしい。泣いたほうがすっきりするかもしれないのに。”
(本文 より)
この一文を読んで、今、または、かつてのわたしと一緒だ。
多くの読者は、そう錯覚するのではないでしょうか。
母子家庭の主人公は、ことあるごとに干渉してくる母親にうんざりし、スマートフォンからつながるSNSの世界にどっぷりと浸かっていました。
いわばスマホ依存です。
そんな折、いとこの鏡花ちゃんに誘われて、林間合宿に参加を決めることから物語は始まります。
”自分を植物にたとえるなら、まちがいなくあのアーティチョークだろうと舞は思う。…しかも、見た目だけじゃなくて性格までごつごつしているのだから、味の良いアーティチョークより悪いだろう。”
舞は、素直になれない自分とは正反対のキラキラして可愛い鏡花ちゃんに劣等感を覚えています。
誰しもにコンプレックスや悩みがあって、それは表面を見ただけでは分からない。
そして、子供だって、意味もなく反抗しているわけではないのです。苦しくて、どうすればいいのか分からない。
だから、その歪みを発散させないといけない。
だからこそ、子供と大人も関係なく、人と触れ合ったり、話し合う必要がある。先入観なしに。
もしかしたら、その悩みはちょっとしたすれ違いや、幻のようなものかもしれないから。
パステルカラーでありながら、どこか影のある、そんな世界観を表すカバー表紙にも目を引かれます。
「誰も理解してくれない」と悩んでいる中高生だけでなく、それを見守る保護者の方にも手にとっていただきたい本です。
とてもいい。今の中学生たちの現実をよく表し、共感と希望を織り込んでいて、孤独感が癒えるような読後感。森の大自然の中で、夏の3週間を共に過ごす中学生たち。生まれ育った環境や現状、性格や悩みもそれぞれに違う7人が、規律あるリズムで自然と共生する生活と、同世代同士、そして世話してくれる大人たちや犬との触れ合いのなかで、本当に大切なことに気づいていく…。未来を生きる力は、自分を認め話を聞き応援する人の存在。味方がいると動き出せる。強く優しくなれる、自分にも人にも。SNSにハマり勝ちな中学生にぜひすすめたい1冊。
いまや気が付いたらスマホを手に取り息をするように眺めている時間が多い気がします。大人だってスマホ依存症なんだ、多感な子どもで依存していたとしたら、ある日何の前触れもなくソレをとりあげられたらどうなるか…。
とりあげられた時の主人公の動揺や怒りっぷり、遠慮なく書き上げていました。読んでいる側もハラハラとズキズキと心が揺れ動くのではないでしょうか。
キレてキレてキレまくった主人公が見つけた世界と自分自身、気持ちよく読み終えることができる良作です。子どもたちは勿論、大人もぜひぜひ。
スマホとジャンクフード依存を心配した母に騙されて、3週間の森の合宿に参加した舞は、薄味の食事から逃げ出して山の中で遭難しかけ、現実の人との関わりや読書、体に良い食事に目覚める。森の中という舞台と変わるきっかけが遭難、とか、絵に描いたような裕福と貧困の両方の参加者がいることがリアリティとお伽話の間のような不思議な読み味になっています。
主人公の森舞は、夏休の3週間一つ上の従姉篠塚鏡花といっしょに、「森の家」というところで過ごすことになります。そこはスマホはもちろん、ジャンクフードなども禁止なのです。一度は、逃げ出した舞ですが、結局、人それぞれで色々悩んでいることを知り、それまでスマホでしか世界とつながれなかった舞もリアルな友達ができます。デジタルデトックスということを時折聞くことがありますが、スマホ依存症だと思っている人はこういった生活をしてみるのもいいかもしれません。スマホに頼りっきりの人も本書を読むと、世界はスマホばかりではないんだというような気付きが得られるでしょう。
世界とは、この小さなスマートフォンから覗くものなのだろうか。
世界とは、リアルに目の前にいる生身の人達、限られた人数だけど、を通して感じ取って触れていくものなのだろうか。
主人公のモリブは、前者を世界とし、そのなかで自分の居場所を作って繋がっていることで自分を保てていると信じている。
その世界からの断絶。
最初はデトックスなどと言っていたけれど、とあることをきっかけに生身の自分やリアルな人たちと向き合っていきながら、バーチャルな自分から本来の自分を取り戻していく。
大人はうまく立ち回ってどっちの世界にも片足ずつ突っ込んで、使い分けて好きなように出入りしている。でも大人になりかけている存在たちはその使い分けがうまくできないし、逃げ場としてリアルさを持って、虚像の優しさで溢れた世界として感じているのかもしれない。
瑞々しい気持ちの変化とこれからの主人公たちを追いたくなる一冊だ。
引きこもり気味の主人公の頼りはスマホ。これさえあれば平気。そして、ジャンクフードで形成されているカラダ。
それでいい筈ないと気づいた母に騙され、参加した「森の家」。
参加した3週間は、スマホ禁止、食べ物本来の味な食事、メンバー同じ服装。
読んでるだけでもなんだか窮屈そうな環境…。
自分が最後の砦の如く、反抗し続ける主人公の姿は自分があるようでいて、実はこれ以上傷つきたくないと叫んでいるみたい。
決して弱いことが悪いとは思わないけど、自分で獲得した強さは素晴らしいと思う。
「森の家」に参加した事によって、頼ってもいい仲間、自分を導いてくれる大人に出会えたのは出来すぎかもしれないけど、読者側からは救いになり、爽やかな読後感となりました。
常時オンラインで繋がっていることがデフォルトの現代の子どもが、スマホが使えないアナザーワールドに隔離されるという「重大事件」を描いた物語に興味を惹かれました。山奥のサマースクールで、PCやスマホのない「世界から隔絶された」生活を送ることになった中二女子の主人公、舞の驚きと恐怖は、彼女が抱える心の事情とも相まって、物語をぐんぐんと読ませていきます。「世界とキレル」というタイトルも秀逸で、同じように通信圏外の場所にスマホ依存の子どもが滞在することになる『ケンガイにっ!』(高森美由紀さんの作品)に比肩するインパクトがありますが、さらにキレル対象としての「世界」の認識が、重要な要素として加味されていきます。電話が使えないから連絡ができなくて困った、なんてこととは次元の違う「世界喪失」がここにあります。スマホがないことで失われるものとは何か。それは自分にとって、本当に大切なものを見極めることに繋がっていきます。
心の隙間をスマホに依存することで埋めている現代の子どもが「世界」と向き合う、興味深い物語です。
山村留学やサマーキャンプは国内外問わず児童文学作品で良く扱われる題材で、そこでの出会いや体験が少なからず主人公を変えていきます。とくに国内作品は、不自由な田舎暮らしに辟易しながらも、次第に心が自由になっていき、都会の学校生活の閉塞感から解放されることが常套です。良い意味での同工異曲があり、最後にもたらさせるカタルシスには、この題材ならではの魅力を感じます。この物語でも主人公の舞が一緒に生活を送ることになる中学生たちとの関係性が深まっていくことで、新しい世界を見いだしていく姿に、読者としても嬉しくなってしまうのです。バーチャルな世界を失い、リアルの信頼関係を獲得していく姿は、リアル礼賛の児童文学として「良識的」なのですが、なんだか嬉しく思えてくる、そんな読後感に満たされる物語です。
周りから騙されて、山の家で林間学校(?)で3週間過ごすことで、悩みや不安と向き合う物語。
いろいろな環境で暮らす中学生が集まることで、一見恵まれた生活のように見えてもその人なりの悩みがあり、みんなに話すことで前向きなっていきます。自分で頑張るだけでなく、周りの人に頼ることも大切だと感じることができました。家に戻った後、スマホやSNSだけでなく、母親との関係も変わっていくなど、成長する姿もあり読後感も良かったです。
カラフルでポップな表紙はかわいくて、今の子供達にも受け入れられやすいと思いました。
モバイルやPCへの溺れ過ぎから離脱させるためにいろいろ苦労がある現代。
表紙を見て、「キレル」とは何か?最初は登場人物(かなにか重要なファクタ)の名称かと思った。「ツナガル」と対義の、「ツナガル」で戻ってくる「キレル」でした。成長して現実に戻ってくるファンタジー。
媒体を使うことが禁じられ、仲間と、自分と向き合わざるを得なくなって、とうとう子どもが抱えるものがさらけ出されていく様子は興味深い。
(『ケンガイにっ』も似たようなシチュエーション。思い出しました)
子どもは耐えている。
おとなはもっともっと子ども(これからを支えるもの)を大切にしなくては。
大人の事情に流されるのが当たり前になっているところから子どもは救われなくてはいけないはず。
登場する「館」とその運営者。そんなのが本当にあるといいな。
新入社員研修でも使われている、というような設定(だから経営できている)がリアルとつながっておかしかった。