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虚傳集
奥泉 光
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刊行日 2025/01/30 | 掲載終了日 2025/01/27
ハッシュタグ:#虚傳集 #NetGalleyJP
内容紹介
凄面白くて唸らせる……
数々の名巨編を放ってきた著者初めての短編集!
虚も語れば実となる。
文献はすべて著者の手による架空の書。
稀代の名手が贈る偽書歴史小説集!
❖ 収録作品 ❖
「清心館小伝」
「兵は詭道なり」と説き異彩を放った江戸の道場
「印地打ち」
真田氏の下、投石の奇襲で名を馳せた山の三兄弟
「寳井俊慶」
出奔した天才仏師の数奇な生涯
「江戸の錬金術師」
猫屋敷の蘭方医にしてからくり興行の山師
「桂跳ね」
幕末の世、将棋で結ばれた若者二人の友情と運命
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《 おすすめポイント 》
・数々の名巨編で知られる著者、デビュー40年にして初めての短編集!
・ボルヘス『伝奇集』、レム『完全なる真空』の系譜に連なる傑作! 架空の書物譚好きにはたまらない一冊!
・超絶技巧なのに一気にサクサク読める250ページ!
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著者/奥泉 光(おくいずみ・ひかる)
1956年山形県生まれ。86年「地の鳥 天の魚群」でデビュー。93年『ノヴァーリスの引用』で野間文芸新人賞、瞠目反文学賞、94年『石の来歴』で芥川賞、2009年『神器―軍艦「橿原」殺人事件』で野間文芸賞、14年『東京自叙伝』で谷崎潤一郎賞、18年『雪の階』で柴田錬三郎賞、毎日出版文化賞を受賞。『バナールな現象』『『吾輩は猫である』殺人事件』『グランド・ミステリー』『シューマンの指』『死神の棋譜』『虚史のリズム』など著書多数。
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販促プラン
★
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※発売前作品のため、ネタバレになるレビューはくれぐれもお控えくださいませ※
ご協力の程、何卒宜しくお願いいたします。
★★★
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★★
出版情報
ISBN | 9784065381427 |
本体価格 | ¥1,800 (JPY) |
ページ数 | 248 |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
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幕末に復興した剣術の意義とその後。戦国時代に火縄術に匹敵した投石術。仏師は仏像を木から掘るのか、木から仏を解き放つのか。
全てが虚ろなる傳(言い伝え)であれ、それが緻密な文となれば真実と変わらぬ重みを持つ。その様に身を正して読んだ。
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小説はノンフィクションではないから、〝虚〟を必ず含む。でも、虚だけから組み上げられた物語にこれほどの重みがあるとは。文字の力、それを見事にさばく書き手の力量に飲み込まれて、それぞれの物語を堪能した。
『清心館小伝』
長き江戸の世による剣術の衰退。そして剣道場の再興が明治維新の原動力となったことと、維新成立が剣術を消滅させた矛盾を含んだ成り行き。心の拠り所だが武器としては不十分。そんなアンビバレンツが浮き彫りにされていく様に目を見張った。
ところが、清心館道場についての記述に移ると、話の筋が捻じれてくる。自尊心を投げ捨てて屁理屈をこね、恥にまみれても勝つ。その勢いで維新を乗り越え、剣法を捨てもその意気は更なる発達の手口(足口?)を掴んでいく様に、ただただ呆気にとられていた。
『印地打ち』
昭和40年代まで行われていた、危険な石合戦。そこから始まる、数多な資料を用いての投石の歴史、戦術的意義に目を見張った。そして、天下統一の頃のこの「印地打ち」の民が描き出される中、彼らが持つ誇りと意地に感嘆するしかなかった。
『寶井俊慶』
鎌倉時代が盛期だった造仏。木に埋もれた仏を感じて掘り出す信仰による造仏と、職人による作業/芸術としての造仏。運慶などを例にして論じられていく、その真摯な語り口に身を乗り出した。
次いで、寶井俊慶の生き様が語られていく。仏師からあまりにもはみ出した、放胆かつ奇異な彼の人生。その語りの最後の様に、ふと、これこそが〝真実〟であり、解釈とは「人が信じられるものに捉え直す」ことではないか、と思い至った。
『江戸の錬金術師』
多才かつ鬼才の薗倉瑞軒。その理気二元論に基づいた「実験」には、「雷神を捕らえる鎧」の構造のように現代科学に繋がる先見性が垣間見えた。怪奇な見世物小屋に関わったのは、彼が変わってしまったのではない。己の永遠の夢、雷神を身に宿すための手立てとして、その小屋とその構造が必要だったのだ。
そして彼は消える。世からも歴史からも。それは、彼が望みをかなえた証と考えたくなる。科学信仰の祖であるからこそ、信念により真実を作り出しえたはずだ、と。
『桂跳ね』
菅原香帆は『高田兼家伝』を書くとこで、世が揺らぐ幕末の様子と、その中での幼な友達高田諒四郎の生き様を描いた。そして朝廷から逆賊とされた天誅組の1人として没した彼の名誉を、維新後に復活させることに成功する。しかしそれは菅原の創作であったとは。まさに虚の中の虚。虚の入れ子構造。
この短編集の最後を飾るのにふさわしい作品。
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タイトルに「虚」とある。この歴史短編集に登場する文献は、全て「虚」だそうだ。異彩を放つ江戸の道場、投石の奇襲で名を馳せた三兄弟、天才仏師、幕末に将棋で結ばれた二人。それぞれに歴史小説として実に面白い。いかにもこんな人物がいたような気もする。「虚」と知らなければ「実」と思ったかも。だが「虚」と知って読むから、何処が「虚」かと知的興奮をおぼえたりする。実際にある文献すら何処まで史実かも怪しいものもあるし、今世の中に伝わるニュースすらフェイクもあるようだ。そういう虚実が曖昧な現代に投げかけられた小説とも言えそうだ。
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く、苦しい!腹の皮がよじれるほど笑った。
真剣に向き合いたくなる虚であり、真剣に向き合うべき偽の物語。
いやいや、違う。本書こそが真実であり、歴史のスタンダードであろう。と、心底信じてしまうくらい、革命的な影響力のある書である。
別世界への扉をバーンと開けて連れて行ってくれる、イリュージョンのような短編集。心の感じるままに、楽しく読める一冊だ。
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今風で奇抜な江戸道場に始まり、映画界の巨匠や偉人に纏わる話まで、迷いのない堂々たる偽の歴史短編集。
どこまでがフェイクなのか、それを考えながら読む歴史・時代小説も面白いが、ここまで「虚」だと言い切りながらもどこにも不自然な点がない、厳かさすらある作品には、未だかつて出会った事がない。
笑わせにきてるのか?と思うような素っ頓狂な事柄も、このテイストで紡がれると、きっと何かある、という気にさせられグイグイ惹き込まれた。
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奥泉先生の作品を初めて読みました。書店で見かけてもあの分厚さに気圧されいつも怯んでしまいました。
初の短編集ということで読んでみましたが、面白すぎて最高でした。
虚の物語なのに語られていくうちに実との境が分からなくなり、もしや本当のことかもしれないと頭の中は大混乱でしたが、それが快感になりました。
歴史的な文献までも架空の書であるのに、注釈までつけられていてその精巧さに唸るばかりでした。もしかしたら帯を読まずにこの本を手に取った人は虚を信じてしまうのでは?と思うほどの短編集でした。
しかも各短編で序盤に出てくるモノが最後に綺麗に収まり一編ずつ満足感を与えてくれました。
全ての短編が素晴らしいのですが、特に好きなのは「桂跳ね」です。張り巡らされた伏線がラストに涙が出るほど綺麗に回収される展開に痺れました。
虚であることを忘れ本物の歴史小説を読んでいるようでした。
読みやすいので歴史小説が苦手な人にもぜひ勧めたいです。語られていく物語に身を任せ面白さを味わってほしいです。
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最近読み慣れない、漢字の多い文体で、最初読みづらく感じたが、10ページ、20ページ、50ページと読み進めるうちに、この文体のリズムが心地良くなり、読みやすく感じるようになった。
虚傅集の名にたがわず、物語のメインになる大法螺と、史実と、「これはあり得ないだろう」という記述に代表される冷静な視点による諧謔が三つ巴になって、短編ながら読みごたえのあるロマンである。五篇のうち私がもっとも好きなのは「寶井俊慶」と「江戸の錬金術師」。
「寶井俊慶」は、「木で彫られた仏像は、仏なのか木塊なのか」という命題が心に刺さる。そして、「天狗に依頼されて彫ったもの」の放つユーモア。
時代小説といっていい時代を舞台にしながら、どの作品も、登場人物の造形も話の運びも、現代的かつ合理的で、そこがおもしろかった。
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「虚傳」であると知りながら読んでいても、
史実に基づいている部分もあるので、
全部が「虚」ではないと思うとではどこから「虚」か、
何が信じられるのかわからなくなってくるけれど、
そんなこと考えずに単純に歴史小説として読んでいておもしろい。
個人的には最後の話がいちばん好きです。
昨今は競争を好まない人が増えていると聞くけれど、
好敵手という存在と巡り合えるのは幸せだと、
この話のふたりの関係を読んでいると強く感じます。
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どの作品以来かも定かではないほど久しぶりに著者の作品を賞味する機会をいただきありがとうございました。昨今著者のような文体の作家はめっきり減り希少価値の感があります。僕はこれまでミステリー調の作品を好んで読んできましたが、時代小説の短編集とのことで、テイストが変わっているのかなとおもっていましたが、拡張高い文章で知らず知らずのうちにいつもの虚の世界に引き摺り込まれます。戦国時代や明治維新といった僕の好きな時代を扱った作品が多かったことも作品に引き込まれた要因でした。
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フィクションとは何か、と分からなくなる一作。全て架空の人物について、架空の書物を参考資料として、実際の歴史に絡めて解説する短編集。山田風太郎は読んでいて「これフィクションでしょ?」と思ったら大体史実、というパターンが多いけど、これは「本当だよね?」と思ったら全部嘘という。フィクションなんて全部作り物なんだけど、ここまで「それっぽく」書く嘘はすごい。
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著者奥泉光の本は記録上読むのは5冊目。奥泉光は純文学作家(芥川賞受賞作家)ということになっていると思うが半村良に近いものを感じた。半村良に「嘘部シリーズ」があるが本書は短篇集で架空の人の評伝集。で真面目な歴史書の体裁で「嘘ばかり」ついている。要はフェイクなのだ。でもそれが可笑しい、でも本当ぽい。理由は8割真実2割嘘のバランスだろう。主人公は架空だが歴史的事実に巧妙に紛れ込ませている。最近のフェイク流行を皮肉る意図があってのことかは不明だがウィキペディアの「来歴」が国際基督教大学 (ICU) 教養学部人文科学科卒。同大学院修士課程修了(博士課程中退)。当初は研究者を目指しており、研究者時代の共訳書に『古代ユダヤ社会史』(G・キッペンベルク著、教文館)がある、や「作風」が虚実のあわいに読者を落とし込む手法を得意とする。デビュー時から反時代的な文語体の書き手として評価され、1996年に書き下ろしで刊行された『「吾輩は猫である」殺人事件』では、夏目漱石『吾輩は猫である』の主人公の猫が実は生きていたという設定のもと、漱石の文体模倣を行い高い評価を得たというのもヒントっぽい。第1話は「清心館小伝」、「兵は詭道なり」と説き異彩を放った江戸の道場の話、結果的に一番面白かった。第2話「印地打ち」は真田氏の下、投石の奇襲で名を馳せた山の三兄弟の話。まずは「印地」のついてウィキペディアから引用。印地(いんじ)は、日本で石を投擲することによって対象を殺傷する戦闘技術、行為、行事である。手で投げることを始めとして、投石器を使用するもの、日本手ぬぐいや畚(もっこ)をもってそれに代用するもの、女性が領巾(ひれ)を使用するもの、砲丸投げのように重量のある物を投げつけるもの、など様々な形態があった。また投石技術でこの技術に熟達した者を、印地打ち(印地撃ち)、印地使い(印地遣い)等とも呼んだ。印地の使い手を印地と呼んだり、技術や行為を印地打ちと呼ぶこともある。印字、因地、伊牟地とも書かれる。つまり「印地打ち」は学生運動の投石の先祖で歴史上、実在の戦闘術だが私が興味を持ったのは作中に「天狗」の文字が出現する点。ウィキペディアに「天狗礫」の項がある。石が空から突然降ってくるという現象でどこから飛んできたのか分からないところから、天狗が投げた石つぶてではないかなどと言われるとある。さて本書の著者奥泉光は「旧約聖書がわかる本」の著者である。私は天狗とユダヤ人の関係に興味を持っている。作中にはダビデの名も出てくる。古代イスラエル王国第2代の王ダビデが石を投じるとゴリアテの額にめり込み、ゴリアテはうつぶせに倒れたという話でも知られる英雄である。第3話は艶笑譚。「寳井俊慶」は出奔した天才仏師の数奇な生涯の話なのだが作品として残っているのは皆、性具で、その理由が落ち、天狗の鼻を彫っていたというもの。文章は生真面目、内容は「不適切」なもの。作家が楽しんで書いたのだろう。第4話は「江戸の錬金術師」で猫屋敷の蘭方医にしてからくり興行の山師の話。そもそも、この短篇集、各篇には必ず2、3のパロディと思われるほら話がある、全体が、そもそもほら話で落語の「千早振る」や「蒟蒻問答」を連想するようなもじりに満ちているのだが。例えば4話目のラストは「天狗輩」に乗り込んだ主人公薗倉瑞軒は落雷で姿を消したというものだが明らかに「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(1985)のパロディ。全体として主人公は一次資料つまり自伝等の著作を残していない、それを別人や後世の人が言及している二次資料で描く構成。これって随筆の形、つまり考証、見聞を記したもののこと、だから小説=フィクション=虚傳で旧約聖書研究者だった著者奥泉光にふさわしい作品として傑作なのだったが全5話は後ほど?ではある。最後の「桂跳ね」は「死神の棋譜」の著者奥泉光の作品らしく将棋が絡む奇譚。天誅組に加わった親友の死後残された謎の言葉「七桂」は通信将棋つまり一手ずつ手紙に書いて行う将棋の続きの手というネット時代からすればおよそ考えらない時間、この話は江戸時代だから数年掛かってようやく27手目という話。著者は第70期名人戦第五局の観戦記を執筆したいわばセミプロゆえの壮大なほら話なのだったが将棋に無知な私には感動すること能わずだった。