無形
井戸川射子
この作品は、現在アーカイブされています。
ぜひ本作品をお好きな書店で注文、または購入してください。
出版社がKindle閲覧可に設定した作品は、KindleまたはKindleアプリで作品を読むことができます。
1
KindleまたはKindleアプリで作品を閲覧するには、あなたのAmazonアカウントにkindle@netgalley.comを認証させてください。Kindleでの閲覧方法については、こちらをご覧ください。
2
Amazonアカウントに登録されているKindleのメールアドレスを、こちらにご入力ください。
刊行日 2024/10/22 | 掲載終了日 2024/10/21
ハッシュタグ:#無形 #NetGalleyJP
内容紹介
// 気鋭の芥川賞作家・井戸川射子、初の長編!//
確かにそこに「あった」日常を、
形には残らない喜びを、悲しみを、
少しずつとりこぼしながらも生きていく。
----------------------------
年老い、病を患う祖父と、彼の面倒を見る孫娘。
親が失踪した姉と弟。
夫に先立たれ、近所の犬の散歩をかってでる老女。
友情以上の感情を育む少女たち。
守りたい兄と、少し疎ましがる弟。
過ぎゆく歳月の中で、変わらないものは何と呼ばれるのだろう――。
立ち退き勧告がすすむ団地を舞台に、ほころびと希望、息づく日々を描き切る傑作群像劇。
----------------------------
著者/井戸川射子(いどがわ・いこ)
1987年生まれ。関西学院大学社会学部卒業。2018年、第一詩集『する、されるユートピア』を私家版にて発行。’19 年、同詩集にて第24回中原中也賞を受賞。’21年に小説集『ここはとても速い川』で第43回野間文芸新人賞を、’22年に『この世の喜びよ』で第168回芥川龍之介賞を受賞。他の著作として、詩集に『遠景』、小説に『共に明るい』がある。
出版社からの備考・コメント
★校了前の仮データを元に作成しています。刊行時には内容が若干異なる場合がありますがご了承ください。
発売前の大切なゲラをご提供させていただいております。弊社では、下記のような方からのリクエストをお待ちしております。
○発売に向けて、一緒に作品と著者を応援していただける方
○NetGalleyへレビューを書いてくださる方
○自分には合わない内容だった際、どういったところが合わなかったかなど、建設的なご意見をくださる方
下記に該当する方のリクエストはお断りさせていただく場合がございます。
ご理解のほど、宜しくお願いいたします。
○お名前・所属などに詳細な記載がなく、プロフィールにてお人柄が伺えない方
○作品ごとに設けました外部サイトへのレビューのルールをお守りいただけない方
○フィードバック率の低い状態が長く続く方
-----------------
※※リクエストの承認につきましては現在お時間をいただいております。
おすすめコメント
--------------------------------
◆担当編集者より◆
初の小説集『ここはとても速い川』で野間文芸新人賞を、第二作『この世の喜びよ』で芥川賞を受賞。すでに誰もが認める才能が、この初の長編でまた大きく飛躍、新たな平地に到達しました。紡がれる詩的なセンス、行間からさえ湧き立つ情景――その唯一無二の手触りに、気づけば心から沈溺していました。是非ご一読ください。
--------------------------------
販促プラン
★
読み終わりましたら是非NetGalleyへレビューをご投稿ください!
著者・担当編集ともに楽しみにお待ちしております。
※発売前作品のため、ネタバレや、読書メーターやブクログなどNetGalley以外の外部書評サイトやSNS等で発売前にレビューを投稿することはお控えください。
ご協力の程、何卒宜しくお願いいたします。
★★★
作品の拡材や指定配本をご希望の書店様は
恐れ入りますが<講談社 出版営業部>まで直接お問合せをお願いいたします。
★★
出版情報
ISBN | 9784065366059 |
本体価格 | ¥1,500 (JPY) |
ページ数 | 224 |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
物語全体を覆う不穏な空気感と、散文的な表現が特徴のこの小説は、まるで読者を登場人物たちの心の奥底へと引きずり込むようだ。主語や話者が頻繁に変わったり、話が途切れたりすることで、一見わかりにくいようだがだんだんとこの小説世界が沁みてくる気がする。また、句読点の配置が独特で、文章のリズムが強調されており、それが物語に独特の雰囲気を与えている。そこはかとない性のにおいやや生理、生殖といったテーマも扱われており、成長期を迎える子どもや成長しきれていない大人の心の揺れ動きが繊細に描かれている。カンと団地がみんなを繋げているのだなと感じた。
また、これまで読んだことないようなオリジナリティがある小説だと感じた。この作者のほかの作品とも違うなとも。
ここはどこなんだが、まず頭をよぎる。読み進めるうちに、そうかユートピアなんだと気づく。ある立ち退き勧告がある団地を舞台にさまざまな人々の日常が巧みに描かれている。この表現スタイルが著者だと強くアピールを感じる。普通ってなんなんだ。初めての長編とのことでかなり挑戦されたんだと思う。ひとまず代表作になった。読み応えあり読書による運動をした達成感さえ感じました。
あまりにも熱量のある表現に息を呑んだ。井戸川射子が読み手の心を自在に操る。それが、不思議と心地良い。
物語に流れている空気が伝わってくる。重たい空気とやわらかい空気。心の乱高下が激しくて、今年一番の追体験をした。
諦めと執着、こだわりと無関心。誰しもが持つ心の表裏一体を鋭くさらっと描いていて、必死に毎日に食らいついていく姿は美しいと感じた。
「磨くというのは、細かな傷をつけていくこと。記憶でも何でも磨いていこうではないか。語れば洗練を重ね、人との繋がり膨らみを増すような、気づきから気づきを得るような」
娯楽としての恋に邁進する高校生、ベビーシッターの女、兄と弟などのささやかな日常をスケッチした作品。
「思い出は、四方どこからでも入れる建物だ」
立ち退き勧告をされている団地に住まう多様な人々の暮らしから、移ろいゆく日々の息吹を凝縮した止め処ない長編群像劇。
まるで自然の摂理のように次から次へと流れ込んでくる言葉。もう入らない、と思っても形を変えてすっぽりと綺麗に入ってくる。これぞ純文学、定まらない人間心理を剥き出しのまま綴じ込んだような作品。
どうしようもない事に抗ってみたり、そのまま流されてみたり、緩急のある豊かな人生の一つを視た。
独特の文体で読む人を選ぶ作品だなと感じました。取り壊し間近の団地とそこに住む人々の生活、生き様、葛藤、苦悩があり、作品全体を通して退廃的な諦念のようなものが流れ続けてます。地の文より常に誰かの思いや考えを中心に展開される本作は冒頭で言った通り、読む人を選び読書筋肉のあまり付いてない人には難解だと捉えられるかもしれない。
段落変更、情景描写などなく、句点も読点で済ます。
この『無形』というタイトルは、この執筆の上でのルール、形がないという意味での『無形』なのだろうか。
それとも、この著者はいつもこういった書き方をしているのだろうか?
この執筆スタイルが、現実離れした詩のような、不思議な世界を作り出していた。
独特の執筆スタイルに加え、登場人物の名前も少し変わっている上にカタカナで書かれているので、いつの話なのか、どこの話なのか、性別も年齢も家族関係も、よくわからなかった。
デストピアで生き残った人間たちの話なのか?と思いながら、読み進めていくと、取り壊しが決まっているが立ち退き拒否をしている人たちが暮らす団地での群像劇ということがわかった。
随分と前から取り壊しの決まっている団地に住む人や、その近所に住む居場所のない人たちの、なんとも頼りない日々が綴られた話なので、楽しい話、ほっこりしたい話が読みたい人には向かないと思う。
しかし、そこには、人と人とのつながりがあり、人間とは、こういうものか、生きるとは、こういうことか、と胸にしみる物語であった。
内容紹介で大まかな物語のストーリーと人物たちは分かる。しかし読み始めると誰がその人物なのか最初は分からず名前をメモし関係性を作り上げながら読み進めた。すべての名前がカタカナで、語り手は次々に代わり進んでいく。
「どこで機嫌を損ねるか分からないので、水を移し替える時のように慎重に話す」心情を語るなかで特にこの箇所が好きだ。慎重に話すことをどうしたらこんな表現が出来るのかと驚いた。そんな箇所がいくつもある。散文のような独特なリズム感のある言葉がザラリと胸のうちに落ちてきて、ゆっくりゆっくりと時間をかけて読むのにぴったりだなと思う。
難しいな、読み終えるのは厳しいかもと最初は感じていた。
でも読み終えて涙が溢れた。ずっと語り口は変わらないのに情景が浮かんできていつの間にか心を掴まれていたのだと思う。
作品からから受け取った言葉は原型は留めていないかもしれないが、心のどこかに引っかかってくれているはずだ。
独特な世界に放り込まれた
どれも自分でどれも他人であれは日常でこっちも日常
ラジオドラマを聴いているかのような なんなのこの距離感
血圧低そうな人たち
カタカナで表記された登場人物の男女や老若の区別も曖昧で
でもそこ、白黒つける必要あったかな、と自問する
団地立ち退きの話なんだろうって思っていた
ある箇所、ここに来て?という場面で彼等と思てっていた彼等が
私の中で個々人として動きだした
これまで何を読んできたのか、と自分を責めた
けれどたぶん、内容を作者の本意を理解できていないと思う
作者のどんな心の機微が作品を編むのだろう
飲み込めない蟹の殻を口にしているときだろうか
水切り籠の汚れに気が付いたときだろうか
においだけで、給食のメニューを当てたときだろうか
カルーアミルクのツマミに刺身を合わせたときだろうか
どうしてもそうしなければいけない焦燥にかられ
私は179ページを手帳に書き写していた。
海辺にある取り壊しが決まった古い団地に残った人たちの群像劇。
登場人物たちの視点がシームレスにつながっていて頭の切り替えが大変だった。
でも、慣れてくるとそれが独特のリズムとなって不思議な読み心地に。
著者の作品では過去イチ読みやすかったけど、伝えたい事を受け取れているかちょっと自信ないです。
最初ここはディストピアなのか?と思いつつ、読み終わってみると案外ユートピアだったのかも。
これは井戸川射子の挑戦なのだと捉える。文体の試みも見て取れるし、読み手におもねらない強い目線を感じる。海近くの古い団地は立退勧告をされていて、住民たちの意思とは関係なく粛々と生活の自由さを奪われている状態。立退反対の団地住民の戸惑いを絡めて、さまざまな立場の人々の、途切れることのない群像劇。場面の切り替わりも、誰の発言かも明瞭でなく、時系列も性別年齢もわざと不明確に記さないかのようだ。ただ、読むうちタイトルの「無形」が全編を覆うかのように立ち上がってくる。命の終焉を迎える老人の描写に被せられた生の形。全ては移ろいゆくもの。そうやってわたしたちは生き、在って無きがごとき揺らぎの中を揺蕩う。
芥川賞受賞作家の著者の初長編小説という事で難解な表現が多く今回も相当に読了するのに苦労しました。立ち退き勧告の決まった団地で暮らす老若男女の人々の群像劇という設定ですが特にそれにはこだわらずに世代それぞれの人々の心情を読み込んで日常の暮らしの中で感じる事を淡々と追って読めばいいでしょう。特別に劇的な事は起きないけれど幼い兄弟、女友達の間の恋心、老いた父の世話をする孫娘の日々の暮らしの中での思いに心を委ねると強く胸を打たれるものがありましたね。悲喜こもごもの人生は続いて行くのですね。
フッとはじまり、いろんな人との交流を読み進めていく…。
ここは沈むかもしれない海のそばの団地。
自分が、彼らを一歩だけ外側から見ているような感覚。
最初はおぼろげだった世界が、読み進めて行くうちにしっかりとした輪郭を持っていく感じです。
不思議なリズムの文体はクセになりそうです!
物語の始まりから時系列がわからず、突然出てくる登場人物に戸惑う。
行間もなく進んでいくので誰視点なのか、いつの話なのか少しわかりづらいと思いました。
読解力があまりない自分には難しかったかもしれません。
ウルミがベビーシッターをしにいったお宅の奥さんの妊娠中は「10ヵ月の船旅で、無理に乗せられたわけじゃないけど、周りからはレジャーだと思われてる」という発言にはハッとしました。
なかなか読み手を選ぶ作品ではないかと思う。
海のそばの団地、という以外の舞台設定が不鮮明で、
多くの語り手が自分から見えた世界のみ語り、
語りの息継ぎも不規則で、呼吸がうまく合わせられない感じのまま、
不規則に打ち寄せる波に漂う感じで読了しました。
でも、その体験自体もタイトルそのものといったらそのような気もします。