マリアージュ・ブラン
砂村かいり
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刊行日 2024/10/10 | 掲載終了日 2024/10/08
ハッシュタグ:#マリアージュブラン #NetGalleyJP
内容紹介
恋愛感情はない。手を繋いだこともない。
3年前、私は親友と結婚した――
夫婦としてつつましく暮らしている31歳の奈穂と尊。
元同級生で、記念日も忘れずに祝い合う仲の良いふたりだが、性交渉はもとより、恋愛感情も存在しない。友人関係だったふたりは、経済面や体裁面でのメリットから婚姻関係を結ぶことを決めたのだった。恋愛感情に振り回されない、淡々とした暮らしに満足していた奈穂と尊だが、少しずつ二人の関係に綻びが生じて――。
『黒蝶貝のピアス』『苺飴には毒がある』の著者が、“友情結婚”を描いた長編小説。
おすすめコメント
恋愛感情はない。手を繋いだこともない。世界でいちばん気の合う、大切な友人と結婚している――夫婦の在り方を描いた長編小説。
恋愛感情はない。手を繋いだこともない。世界でいちばん気の合う、大切な友人と結婚している――夫婦の在り方を描いた長編小説。
出版情報
発行形態 | ソフトカバー |
ISBN | 9784569857848 |
本体価格 | ¥1,900 (JPY) |
ページ数 | 328 |
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NetGalley会員レビュー
「本音から逃げないことが、相手への誠意」
同窓会で再会したことから結婚にいたった31歳の奈穂と尊。
タイトルは利益の一致により愛のない結婚にいたる、空白の結婚、ペーパー婚を指す言葉であるマリアージュブラン。
彼らの友情結婚が向かうところとは。
多様性が重視される令和ならではのテーマに乗っ取った物語。いわゆる普通ではないマイノリティな人々にスポットが当てられているけれど、はっきりカテゴライズ出来ない限りなくグレーな立ち位置の人もいて、それはそれでグレーな自分を認めてあげましょうという意図が感じられた。普通ではないと否定的に考えるより個人の個性で単に他人とは違うのだと自覚することは決して悪いことではないと読みながら感じました。様々な生き方があって正解不正解は自分で決めるべきであって少なくとも他人にジャッジされたり比較する必要は全くないと思うし、一人ひとりが柔軟な考え方で生きていける世の中であって欲しいと願います。
自分のセクシュアリティが周りの普通の人と違うことに悩み生き辛さを感じている同級生の二人が再会して、自分を世間から守るためのような結婚をし、自分らしさを見つけていくストーリー。それって恋愛じゃないの?的な終わりかたでしたがそうでもないような…やきもきさせられるけれど、ふんわりと心地よい主人公と物語を書くのが上手いな〜「だから二人はどうなるの?」と気になり一気に読みました。とても好きな作家さんです。
お互いに恋愛感情はなく、手を繋いだこともない親友と結婚した奈穂と尊。
経済面や周囲への体裁面でのメリット得たくて婚姻関係を結び、2人の生活は穏やかに続くのかと思った。
しかし周囲の人の言動により関係が揺れ始める。
奈穂と尊が交互に語りながら物語は進む。
語られる2人の思いはまるでチクチクとまち針で心臓を刺されているようでとても辛かった。特に奈穂が男性からされたことは私もフリーズした経験があり、なぜあのとき何も出来なかったのかと心が抉られた。尊の言葉にも共感する人もいると思う。男女関係なく共感したり心を抉られたりしながら読み進めるのではないだろうか。
心を抉られても私は砂村先生が描く人物が好きだと改めて思う。
奈穂と尊の信念には芯があるなと思うけれど、その信念だけを正しいとはせず、誰かを傷つけたり負の感情も包み隠さず描かれている。器用には生きられなくても自分の価値観を大切にしたい人に寄り添ってくれるような物語だった。
セクシュアリティは、多種多様。
自分の持つ感覚に名前がつくと安心することもあれば、
カテゴライズされたくない人だっている。
似たようで同じではなく、変わっていくことだってある。
日常何気なく交わされる会話の中で、緊張を強いられたり苦痛を感じて生きる彼らの選んだ体裁を整えるための結婚は、メリットだけではない。
それは、何も物語の中のことだけではなく、私の結婚と変わりなく感じる。
誰と比べて?何に対して?
満たされぬ虚しさや、葛藤、独占欲はシンパシーを感じた。
奈穂と尊がどうなっていくのかと逸る心が止まらない。
私は、二人に一体どうなってほしいのだろうか。
それこそ、私が望むものはカタチに押し込めてしまうのかもとハッとした。
何より不器用な彼等が愛おしく、思うままに生きてほしいと願いながら読んでしまった。
誰に遠慮も説明もいらんのやで。
砂村かいりさんの描く物語がとても好きだ。
いつだって『大多数が正解』の世の中だ。
多様性という言葉が上滑りしているようで、
今もまだ未熟な社会に変わりない。
そんな未熟な社会から自分たちを守るためにした選択が、いつの間にか居心地悪くなってしまう。
マリアージュブランという言葉を初めて知った。
生きていくためのひとつの選択、という意味で、
説明のつかないふたりの関係も、誰に責められるようなことではない。
わかるよ、なんて言えない。
でも、誰かを愛しいと思う気持ちがあることだけで、それだけでいいのかもしれない。
言葉にできない想いを誰かが知ってくれているなら、まるっきりの孤独ではないのだと思う。
こんな関係もあるんだな。彼らのこの先が気になる。
「グラデーションでいい。」カテゴリーに当てはまる事ばかりではないから、無理に当てはめる必要もないし、当てはめた方が安心するなら当てはめたらいい。多様性の作品が多く出ているなかで、この作品はまた違った解釈ができて良かった。
想定外。
あぁこんな感じなんだろうなと
冒頭50ページでまとめようとした自分 恥を知れ。
後に人生を振り返ったとき
「マリアージュプラン」のビフォーアフターを覗いてみたい。
わたしにとってそんな出会いの一冊だった。
330頁。終始「普通」が頭をもたげる。
旅行最高!という価値
一糸乱れぬ動きは賛美される、という感性
いい年して、という年長者からのお定まりのことば
少し前…いやいまもなお地方では当たり前のように「普通」という名の
人生タスクビンゴゲームが行われている
正社員就職、結婚、出産、マイホーム、育児、親の介護・・・
いつ?いつ?いつも追いつめられているガーベラに
空洞を自力で埋める力が残されていただろうか
あらすじを250字でまとめようとしたら
確実に漏れてまうであろう描写が物語を立体化させている。
~おまえもそろそろスタートラインにたてよ~訳知り顔で言い放つ父親
~招待状1セット送るにもお金がかかるんだから、衿子はそういうロスを嫌う子だった~
高校時代の同級生や元カレや元カノ、職場の仲間、取引先
彼等にちゃんと言葉を持たせ、人として屹立させる。
誰を取り上げてもそこからまた小説が始まるような技量を持つ書き手である。
物語は進む
~労わりの言葉や遠慮がちな視線をいとおしいと思った。わたしはそれでいいのだろうか。
本当にそれでいいのだろうか~
女は、繰り返し改行し繰り返し自答する。
~めやすき人なめり~
男は、高校から抱いていた思いを再考する。
~こうしたかったんだ、と気づく。この人はわたしを粗末に扱わない~
「なにものになるための人生 そこに居るだけであなたの人生を生きている」
なんどもなんでも角度を変えて向き合った。
本は一粒の麦。いままたひとつ実を結んだ。
セクシャルマイノリティを軸に描かれていますが、多様性な現代において
他人との関係性や自分との向き合い方などいろいろ考えさせられました。
多種多様と理解していても、まだまだ認知されがたいカテゴリーがあること。
それを世間的に受け入れ難いこと。
お互いに恋愛感情はなくても家族愛、友情が感じられる二人にはやはり”愛”を
感じました。
もしかしたら、恋愛的な愛よりも強いかもしれない。
性に関する考え方や付き合い方は人それぞれで、
本作の中にも出てくるけれどグラデーションになっている。
カテゴライズするのも名前を付けるのも困難なのだろう。
それでも、一人で生きるよりも二人で生きるほうがずっと生きやすいし、
そんなぴったりの相手とで会えて結婚できた奈穂と尊は幸せだと思う。
どんな関係でも、たとえ子供がいなくても。
それなのに周りが放っておいてくれない。
世の中を生きるということは、余計なざわめきをいかに
上手にいなし、かわすかということなのかもしれない。
恋愛感情も性欲もないセクシャルマイノリティの男女が、同窓会での再会を機に友情結婚をし、自分たちなりのスタイルを模索していく「多様性」を描いた長編小説。
何処に行っても、何をしても、好奇の目に晒されている感覚。でもそれは負い目を感じている自分が作り上げた錯覚だったり。自分でもわかっていない揺れのある感情に理解を求める事はひどく傲慢で、それでも誰かに受け入れられたいと思ってしまう事までもエゴなのか?マイノリティの主張というより、マイノリティの立場からマジョリティの感じ方を見据える、柔軟性のある物語。
複雑になりすぎている概念を一旦リセットして、少し肩の力を抜いてみようと思わせてくれた。
作品ごとに描かれる考え方が好きで、最近お気に入りの作家さんの新作とのことで早速読んでみました。現代における結婚のあり方を主にした多様性の物語で、女性と男性の双方の視点からこのテーマを描いていたところがまず魅力的でした。特に男性視点の多様性がテーマの小説って現状あまりないのではと思ったので、読んでいて非常に関心のある内容でした。もっと深く読んでみたいと思うくらいでした。奈穂と尊が友情結婚という新しい選択をしたからこそ、今を生きるためにプラスとなった出会いもたくさんあって、結婚や恋愛の形に人それぞれの答えがある社会だからこそ、多くの読者の心に届いてほしい物語だと思いました。
人も羨むおしどり夫婦の尊と菜穂。2人は体でなく、心で繋がっている。視点を交代しつつ語られるやり取りの様子と、この奇跡の再会までの道筋から、想い合うということの素晴らしさを感じ取って欲しい。
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『黒蝶貝のピアス』の不思議な雰囲気がとても印象に残ったので、すぐにリクエストして読んだ。
『プロローグ』
身体感覚で綴られていく文。読んでいて、それに引き込まれていく。
尊と菜穂は人が羨むほどのおしどり夫婦。でも2人のありようから、皆が思うのとは異なる幸せの形とは? と本章へとページを進めた。
『モナムール』
〈Mon Amour〉とはフランス語で「私の愛」「愛しい人」
心を乗せている皿が少し小さい2人、とは思わない。センシティブな多様性の中のひとつだから。そんな2人が再開したと言う奇跡。心安らぐ〈心の愛〉で結ばれている幸せ。そして辛さを共有し、相手を尊重し、協働していく。それが、2人の〈Mon Amour〉だったのか。
『ガレット・デ・ロワ』
〈Galette des Rois〉とはフランスの伝統菓子の一つ。
尊とのシンパシーが安らぎを与えてくれる。更に星夜を加えての、『ガレット・デ・ロワ』を巡るやり取りが楽しい。
ただ、生きていくには様々な人とのやり取りも必要。そこに纏わりついてくるものに対して菜穂と尊は過敏に反応しがちなのは、素晴らしい細やかさの裏返しから来る「生きづらさ」なのだろう。
だからこそ、シンパシーだけでなく触れ合いによるスキンシップの大切さとその癒しに気づいた2人を読み、ほっとした。
『マリアージュ・ブラン』
〈Mariage・Bran〉とはフランス語で「白い結婚」、つまり「書類だけの偽装結婚」。最後の章が、この本の題名になるとは。
様々なことが続けざまに菜穂の心を揺さぶる。その様子を読むのは辛い。決定打となるのは尊と星夜のキャンプ、でさえなかった。更に続いていく受難。でも、半径5mまでの事で精一杯の尊はここにはいない。2人を再会させた奇跡の再来を、ただ願うしかなかった。
『エピローグ』
初めて繋いだ手。共にいる理由には色々あっていい。恋愛だって、性愛だっていい。もちろん、尊と菜穂のようだって。読み終わる時、2人の関係を言葉で無理に括る必要はないことに、やっと気づいた。尊と菜穂だけの〈名付けられない関係、幸せの形〉を2人は見出した。ちょっと回り道をしたけど、更に深いその関係に戻ってこられた。本当によかった。
そして、その関係がこれからもずっと続いていくことを確信し、祝福し、読み終えた。
もしも、親友と結婚したら。
性交渉はなし。
愛の言葉をささやくことも、一切なし。
「マリアージュ・ブラン」
タイトルの意味は、偽装結婚。愛のない結婚。
だから、何?
と世界中に言ってやりたいくらい
奈穂と尊の関係の素敵なこと!
間違いなく2人の出会いは理想的で
羨ましいくらいだった。
色んな性的マイノリティの物語を
読んだけれど、こういう
生きにくさを感じている方もいる。
恋愛感情がない、という話なのに、
しっかりドキドキもさせられてしまった。
デリケートなテーマとささくれた人間関係も
描きながら、背景が美しく、気持ちの良い読後感。
2つのドアの表紙もまさにこの物語を表していて
とても素敵。
性的な繋がりがない夫婦の物語。
途中、同じ価値観を持っている時思っていた2人がとあるドラマを見た際の感想に互いが違和感を抱き、少し距離が離れてしまう。そのあと2人に起きるそれぞれの出来事を経て2人は分かり合い、さらに前に向かう一歩を踏み出すという内容。
もちろん男と女が一緒になり子供をというのがマジョリティであり、子孫を残すという生物的な繁栄の前提であることは変わらない。
そんな中、多様性の時代ということで色々な価値観や人生の歩み方は出てくる。それは結婚制度というものもそのひとつかもしれない。少子化も経済的な事情が後押ししたとはいえ多様性ということが背景にもあるのかもと。
ラストでは男女の肉体的な強さの違いが描かれており、この性差を意識できるかどうかで人の物事の感じ方も変わるんだろうなぁ…と。
恋愛感情も性的接触もなく婚姻関係を結んだ二人は世間の目を欺く為に夫婦生活を始めた。
お互いマイノリティだと気付いてからは適度な距離感を保ちつつ理想の関係を続ける。
ふとしたことでその距離感に誤差が生じると、すれ違いから寂しさ、怒り、愛おしさなど今まで気付いていなかった感情が二人を襲う。
普通とは何なのか!?
あらゆる事象に当てはまるこの問いに向き合うちょうど良い機会となるだろう。
「マリアージュ・ブラン」この言葉の意味を知らないまま読み始めたのですが、作中この言葉に出会った時にすごい衝撃を受けました。生きていく上で誰か1人、この人ならば、という存在に出会える奇跡のような温もりをこの作品から強く感じました。リアルな温度感で、人と人のつながりを描いてくれるこの作品に救われる人が沢山いるのだろうと思います。人と共有する必要がないセクシャルな部分だからこそ、息苦しさを感じている人が沢山いるはず。そうでない人にも、とにかく多くの人に届いてほしい作品です。
高校のプチ同窓会で久しぶりに再会した尊と真穂は結婚をして3周年を迎えた。それはマイノリティーな夫婦生活であった。男女関係もなく手さえ繋いだことがない。でも居心地はよく満足感ある日々を送っている。時々障害が発生する。尊には仲の良い男友達がいる。テレビでは同性婚の話題がよく流れる。友達婚だと思う。ある日、尊からプレゼントされた猫が家族の一員になる。それから4年目を迎えるまでの物語。ある意味、人生観が変わるほどインパクトがある小説。でもこんな結婚生活や男女関係も当人同士がいいならありだと思う。それを社会がどう受け入れるかだ。昔ではない、未来に向かうのだから。
現代、仕組みが複雑化している。
異性愛の他に同性愛があり、アロマンティックがあってアセクシャルがある。心の「性」と身体の「性」が一致していない人もいる。
こんなことはきっとずっと以前からあったに違いないことだ。ただ、少数であるがゆえ、表面に現れなかったということだけでしかない。
自分と異なることは、書籍や映画などで学ぶしかない。知って学ぶ。
普通と思っていることが実はそんなに普通でなかったり、他人から学ぶことは多い。
まるで自然と染みてくるように自然に理解できたのはこの本のおかげ。
元同窓生だったふたりが同窓会で出会い、互いの性的嗜好が人と異なることを知って、偽装結婚、同情結婚に至る。
正直なところ、シンパシーは覚えない。それは仕方のないことだ。だから理解をする。
「理解し合う」ことの大切さを感じられる、そんな一冊。
恋愛感情も性交渉もない、友人関係のまま結婚した夫婦のお話。普通に生きられないけれど普通に憧れる気持ちが痛いほどわかって、読んでいてとても苦しかった。他の悩みもとてもリアル。恋愛であろうとなかろうと、誰かと一緒に人生を歩む、ということは良いことだなあと思う。
君嶋彼方の「一番の恋人」でアロマアセクを知って衝撃を受けて、今作。性的マイノリティはやはり頻出テーマなのか。アロマアセク(だろう)二人の夫婦。「一番の恋人」では自分と妻の感覚の違いは分からないって事に不安と恐怖を覚えたけど、今回は少し違った。最後が嫌な思い出で終わるのをできれば避けたい気持ちは分かるけど、「体のつながりがない私たちを繋ぎ止めるものは」ってここまで暮らしてきて不安になるのか。別に体のつながりが今後持てなくても妻と一生いたいが、「一緒にいたい」以上に必要な理由なんて無いと思う。
多様性が叫ばれてから久しい。
「私はこういう人」とはっきり言える人もいるだろうが、みんなそれぞれカタチが微妙に違っていて、カテゴリに押し込めるのはおかしい。
たいていは グレーな部分も持ちつつ、周りと上手く生きて生きたいと思っているのだなぁと思った。
この主人公達のような個性を持つ人も、決めつけられることも無く、息のしやすい世の中になればいいなと思いました。
「グラデーション」という表現がとても素敵です!
恋愛・結婚・出産・育児とシームレスに進める人たちが羨ましく、普通でいられないことへの生きづらさの描写が絶えず押し寄せてくる。でも、交互語りの、恋愛関係も性交渉のない夫婦の心の有り様が気になり、読むのをやめられなかった。読了後は、性的マイノリティ、とカテゴライズすることを躊躇う自分がいる。尊と奈穂が幸せに生きられるよう、「自意識は内から外に向かった方が生きやすいよ」と祈るように読んでいました。初読み作者さん。言葉の紡ぎ方がとても好き。#NetGalleyJP
アセクシュアル、ノンセクシュアルという言葉は最近富に耳にするようになった。恋愛感情を抱くことのない主人公二人の関係性がどんなものかに興味を引かれて読み始めたのだが、正直に言うと、想像していたものとは大きく違っていて失望が半分。
まず失望した部分について:
どうしても奈穂と尊の生活はおままごとのように思えてならないこと。恋愛感情が無かったとしても、「結婚」に至ったのだから、お互いに好意を持っていたのではないかと想像していたのだが、それを匂わせるシーンが大変少ない。ということは、アセクシュアル、ノンセクシュアルであるがために、そういうシーンはないのだろうか。けれど、「結婚」を決意するだけの決め手はあまりにも弱いような気がするのだ。もしかしたら、自分の理解力が足りないのかもしれない。
好きな部分:
尊が花屋で働いているシーン。尊が生き生きと仕事に取り組んでいることが大変印象的。尊の花屋での仕事に対する意気込みが、行間からこぼれてくるのが微笑ましく、彼の繊細な部分と被っている。そしてこれは奈穂がオンライン授業でハラスメントを受けて凹んでしまうことと対象的。
本作はセクシュアリティーやマイノリティーということに関係なく繊細な心を理解してくれる人にお勧めかもしれない。
マリアージュ・ブラン。フランス語で「偽装結婚」という意味。
フランス語のオンラインレッスンの講師をしている奈穂と、花屋のアルバイトをしている尊(たける)は夫婦である。
けれど、体の関係を持たないと決めている。なぜなら、二人とも性愛への興味がないから。
今までそんな「普通」の人とは違う感覚を理解してもらえず、周りからの「普通の」交際や結婚というプレッシャーから逃れるため、あえて夫婦という形で一緒に暮らすことにした奈穂と尊。
本作は、そんな二人が遭遇する(遭遇した)出来事を、二人の視点から描く物語である。
奈穂も尊も、恋愛感情は持たないけれども友情は厚く、お互いを尊重して思いやりを持って接しているのが素敵な関係だと思う。
嫌なことがあった日には、隣で寝てほしいと要求できる。嬉しいことはいち早く報告して、一緒に喜べる。
それって理想の家族だ。
けれども二人は、世間のもつ「スタンダード」からは外れているという自意識が、罪悪感に繋がって、日々のモヤモヤから逃れられずにいる。
他人からの何気ない言葉に傷つくこともある。
そんな二人が奇跡的に出会えて、すれ違いも乗り越えて、一緒に過ごせていることが救いだ。
「多様性」の尊重が推進されている今もなお、周囲からの理解が得られずに悩んでいる人はたくさんいると思う。
性自認のことに限らず、理想の生き方や価値観は一人ひとり違う。
それでも人は、たとえ完全に分かり合えなくても、他人としてでも、誰かを助けあい、支え合える関係になれるということ。
そんな救いの可能性を、この物語から教えられた。
世界で1番気の合う友達と友情結婚した奈穂と尊の、夫婦の在り方について描く物語。
他者に恋愛感情を抱くことも、性的に惹かれることもない、性的マイノリティのふたり。些細な出来事から小さな綻びが生じ、奈穂と尊はこの先どうなってしまうのかとハラハラしながら読み終えました。
たとえ世間にどう思われようとも、恋愛感情がなかったとしても、この人と一緒に生きていきたい、大切にしたい、と思える人に出会えることは奇跡的で、とてもしあわせなことだと思います。
第三章のマリアージュ・ブランからエピローグへの流れが好きでした。
砂村かいりさん、初読の作家さんでした。
表紙がとても綺麗、それでいて意味深、タイトルとも合っていて良いです。
性的マイノリティな二人、31歳の奈穂と尊。
元同級生同士での結婚だが、二人は手をつないだこともない。
性的マイノリティの隠れ蓑として、経済的・社会的メリットで結婚を選んだ二人。
LGBTQが認知されつつありますが、まだまだ生きづらい。
何気ない言葉がどれだけ人を傷つけるか、改めて考える場面も多かったです。
そばにいるだけで、一緒にいるだけで感じられる幸せ、ずっと続きますように。
31歳の奈穂と尊は親友同士の友情結婚。お互いに恋愛感情もなければ性交渉も持たない夫婦。ふたりとも自らの性自認も正確にはわからないまま、親友でいられたはずなのに、セクシャリティーに触れずにいることを社会はどこか許していない。奈穂の被ったセクハラ、尊が気づかなかった聖夜の気持ち、明らかになってみれば何とも言いようのない、隠しきれないデリケートな問題が白日の元に晒された。お互いの理解を深めようと歩み寄った奈穂と尊には、見たことのない道が続いていた。マリアージュ・ブランの意味を知った時、決して偽装ではない自分たちの結婚の形を望んだのだから。
今時らしい多様性を描いた作品。
他人に恋愛感情を抱けず、性的な関係も苦手な奈穂と尊が、友達として結婚をする。
二人が人間関係に苦悩し生きづらさを感じる姿がとてもリアル。
そして、どんな関係であっても、いとおしいと思える人と共に過ごす人生の素晴らしさを思い出させてくれる話でした。
とても読みやすいし読後感も良かったです。
アロマンティック・アセクシャルという言葉は初めて知りました。
10年後はこの話がどう感じられる時代になってるんでしょうね。
世界一気の合う友達と結婚。アロマンティック、アセクシャルの男女が所謂『普通』の男女間の恋愛や結婚とは違う結婚生活でお互いの利害を超えた関係を築いていく物語。尊と奈穂が性愛を超えた部分で絆を強くしていく過程では楽しい事ばかりではなく他者からの悪気はないとしても『普通』や『世間体』を軸とした言動に傷ついたり、動揺したりする感情の動きがとても繊細に描かれている。そんな2人の男女での考え方や感情に違いがあって興味深く読んだ。他人を『尊重』する事が出来ればもっと生きやすい世の中になるのでは。沢山の人に読んで欲しい。
砂村さんの作品はいつだって私の心の一部分をチクリとさせる。
他からは普通の夫婦に見えるように恋愛感情や性愛のない結婚生活をするふたり。
社会生活を送るにはマジョリティに溶け込むことが1番手っ取り早い、と目にしたことがある。
自分では普通にしているつもりでもどこか周りを気にしてしまったり引け目を感じたり自己肯定感が低くなってしまう魔の言葉や経験があったり。
どんな形でも自分を理解してくれる人があることは無敵だと思う。
「生きづらい世の中だなぁ」と、
思ったことのない人なんて
ほとんど居ないと思うけれど、
私とは比にもならないくらい、
この世界に生きづらさを感じている人は
たくさん居るんだと気付かされた。
異性と恋をすることが当たり前の中で、
同性の相手に自分の恋心を打ち明けること。
「いつになったら結婚するの?」
「結婚したのに子どもは作らないの?」と
当たり前のように聞いてくる
無神経な人たちに自分の思いを話すこと。
どちらもすごく難しくて、
すぐに思いつかないような場面も、
他にもきっと数多くあると思う。
自分は自分、人は人。
本当はそれでいいのに。
「多様性」という言葉が必要ないくらい、
それが普通の世界になることを切に願う。
とっても良かったです。
親友と結婚。いいなー、羨ましいと思ってしまいがちですが、それだけではない。
人と人が一緒に暮らすには、色々あることを教えてくれました。
全体的にふんわりと暖かくて、非常に砂村さんらしい作品で、読んでて楽しめました。
人も羨むおしどり夫婦の奈穂と尊
しかしふたりは互いに恋愛感情もないし、
手を繋いだこともない
なぜならこの結婚は、
社会的な体裁や経済的なメリットを考えての
"友情結婚"だから…
同じような悩みを持つふたりが
同窓会で再会して結婚し、
記念日を大切に祝ったりしながら仲睦まじく
暮らす様子は微笑ましかったなぁ
けど、やっぱり独身でいても結婚しても
周囲から何かしら口は挟まれるわけで…
少しずつふたりの関係性にも変化が生じる
奈穂と尊の視点で交互に語られる物語からは、
自分のセクシャリティが
いわゆる「普通」と異なることや
「あなたのために言っているのよ」という
オブラートに包まれた心ない周囲の声に悩んで
生きづらさを抱えるふたりの苦しみが伝わってきて
読んでいるこちらまで眉間にシワがよるようだった
と言う私も、少し前に読んだ作品にも
アロマンティックアセクシャルの人が出てきたなぁと無意識にカテゴライズしてしまい…
セクシャリティはグラデーション
分かりやすく分類されたくないという気持ちにも
分類する/されることで安心するという気持ちにも
共感すると共に反省…
砂村さんの男女の心情の機微を描いた作品
一筋縄で行かなくて、ほんと好き
そしてクソ男描くのが上手すぎる笑
するする読めるのに
柔らかいところをツキツキ刺してくる
これからも追いかけたい作家さんのおひとりです