日比野豆腐店
小野寺史宜
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刊行日 2024/11/01 | 掲載終了日 2024/10/27
ハッシュタグ:#日比野豆腐店 #NetGalleyJP
内容紹介
東京の町なかにひっそりと佇む「日比野豆腐店」。店主の清道を亡くした日比野家は、厳しいながらも手を取り合って店を切り盛りしていた。
店を終わらせようとしている祖母の初。亡くなった夫の代わりに店を続けたい母の咲子。店を継ぎたいのかどうか、将来に悩む令哉。そして、「ある人」と一緒に三人を見守る飼い猫の福。
「日々の豆腐」という意味も込められた豆腐屋で、ひたむきに生きる人たちを描いた心揺さぶる家族小説。
おすすめコメント
ベストセラー『ひと』の著者による、「日々の豆腐」という意味も込められた豆腐屋でひたむきに生きる人たちを描いた家族小説。
ベストセラー『ひと』の著者による、「日々の豆腐」という意味も込められた豆腐屋でひたむきに生きる人たちを描いた家族小説。
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出版情報
発行形態 | ソフトカバー |
ISBN | 9784198659196 |
本体価格 | ¥1,800 (JPY) |
ページ数 | 304 |
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NetGalley会員レビュー
個人商店は経営が厳しいだろうけど、この店ならなんとかやっていけるのではないかと思える。家族全員が温かい。故人も福もさりげなく見守ってくれている。
「生きていれば嬉しいことがある。生きていられるうちは、生きていたい。」初さんが言うからこその重みある言葉。
断章もクスっと笑えるところもあり、さらにほっこりする。
近所じゃなくても、近くに豆腐屋さんがないか探しに行きたい。白麻婆食べたい!
大型スーパーが進出して来ても、豆腐屋は潰れないとかつて言われていた。豆腐は個人店のものとスーパーの量産品では味が明らかに違う。だから人はわざわざ豆腐屋に豆腐を買いに行く。だから潰れないのだと。
しかしそれは幻想に過ぎないことがわかる。スーパーの豆腐の味は格段に上がり、しかも日持ちがする。充填豆腐などはびっくりするほどロングライフだ。しかも圧倒的に安い。ある激安スーパーならば、けっこう大ぶりの豆腐がわずか30円ほどで買えてしまう。豆腐屋の1/10だ。
豆腐屋のアドバンテージはどんどん少なくなっている。でも町場の豆腐屋が好きだ。いま住んでいるところの近くの豆腐屋は無くなってしまったが、ちょっと足を延ばしたところに数軒の豆腐屋が残っている。どの店も美味しいし、ある店はおからドーナツを出したり、味の工夫をした変わり豆腐を出したりと、けっこう努力もしている。
豆腐屋を町から無くしてはいけないとつくづく思う。近くにある昔ながらの惣菜店は、毎朝市場に仕入れに行き、例えば「こはだ」は店できちんと酢じめにしている。煮豆や煮魚、干物、漬物も自家製だ。スーパーなどと比べるとちょっとどころではなく割高だが、こういう店も無くしてはいけないと思う。
二十数年前にこの町に引っ越して来たとき、まだ御用聞きをする魚屋がいた。経木に魚の名前を書いたものを持って、御用聞に来る。刺身にしてと言えばさばいてお皿に盛ってくれる。さすがに最近は御用聞に来ることは無くなったが、まだ店は細々とやっていて、良い品物を揃えている。こういう店も無くしてはいけない。
薪で井戸水を沸かす銭湯もまだ残っている。ここも残していかなければならない。地元の人に愛される立ち食いそばの名店があったが、上階の飲食店が火災を起こし、消火の水で厨房施設がダメになってしまった。細かな経緯はわからないが、惜しまれながらそのまま店を閉じた。残念でならない。
子供の頃に浅草に住んでいたが、近くに焼きそばの有名な店があった。店頭で焼きそばを作るのが名物のいい感じの店だったが、こちらは数年前に店を閉じたようだ。しかし銀座線の浅草駅の地下街にある焼きそばが名物の店はまだ残っている。ヴェンダースの「Perfect Days」で役所広司が通っていた店だ。こちらは無くしてはならない。また、実家の近くの鯛焼きの名店には、いつ行っても行列ができている。まだここは大丈夫そうだ。
この本に出てくる日比野豆腐店も、無くしてはいけない店だ。家の人が代わりばんこに店番をして、贔屓のお客が店にやってくる。本の章ごとに主人公は入れ替わる。そしてそれぞれを繋ぐのは店の愛猫のモノローグ。これもいい。
店にはいろんな人がやってくる。もちろんわざわざ豆腐屋に豆腐を買いに来る人はみんないい人だ。これは確実。
物語は特別ではなく、日常が静かに、そして確実に流れている。気持ちのいいゆったりとした時間の流れ。普通の人たちが普通に暮らしている生活の記録だ。普通の一家だからコロナが生活を激変させてしまったりする。けれどもまた何もなかったかのように時間は淡々と流れていく。
夏は絹ごし豆腐を崩して温かいご飯にのせる。そこに出汁をかけて、冷や汁風にしていただく。ちょっと味を変えるには昔ながらのふりかけをかけるのもいい。そんなご馳走には、豆腐屋の濃い豆腐を欠くことができない。日比野豆腐店の絹ごし豆腐で食べてみたい。
日々をつつがなく営むことの愛おしさを思い出させてくれる物語だ。
恵まれた暮らしに潜む泥々した刺激的で粘着質なドラマが話題になりがちだけれど、その真逆。市井の暮らしの中の剛さの本質が、真っ直ぐに描かれている。
タイトル通りだ。
豆の味がしっかりする豆腐が、美味しい。けれど、そんな豆腐は絶滅危惧種だ。大切にしたい。豆の味がする豆腐のように、人の人らしさがある生き方をしたい。
二代目に嫁いだ初、夫の意志を継ぎたい咲子、まだ将来を思い描けない高校生の令哉、飼い猫の福。三代目店主を喪った家族経営の「日比野豆腐店」を舞台に、日々の出来ることを着実に積み上げていく重みを描いた、家族の愛の物語。
経営の厳しさと、その厳しい中でも譲れないこだわりとを、それでも受け継がれていく「日比野豆腐店」が物語る。
好意の上に胡坐をかく事なく、思い遣りがしっかりと連鎖されていく様子に胸が熱くなった。とにかく登場人物が優しい。それを裏付ける背景を知れば知るほど、切なさと羨ましさの混ざった不思議な感覚を覚えた。
各章で語り手がかわり、同じ出来事をそれぞれがどう捉えているのか、特に自由な猫視点がとても面白い。
濃厚な豆を感じられる豆腐の描写に、喉を鳴らしながらアレンジを浮かべては、胸いっぱいに幸せが広がった。
何の変哲もない日々の貴さが凝縮された愛おしい一冊。
家族を思いやる姿 が丁寧に描かれていて、人間味のある登場人物達と猫にほっこり。
家族の死や世の中が激変してもジタバタせず、それぞれに悩みを抱えながらも家族と足並みを揃えて直向きに生活していく日比野家にパワーをもらった。頑張っている人を見ると、自分も頑張ろうって思える。
美味しそうに描写されるお豆腐と、限りなく広がる優しい世界観に心を射抜かれた。
今すぐお豆腐屋さんのお豆腐が食べたくなりました!!これはいてもたってもいられないですね。
家族の死や経営難を乗り越えていく人のパワーに力強さを感じます。
小野寺さんの作品は会話のテンポが好きです。
本当にそこで会話が繰り広げられているような感覚になります。人とのご縁をないがしろにせず、心温まるつながりを広げていく日比野家のみなさんに優しい気持ちをもらいました。
本物の味は少し高くても食べてみたい、と誰でも思うのでははいでしょうか。
頻繁には無理だけど、たまには食べてみたい日比野豆腐。
誰にでもどこの家庭でも起こりえたコロナ禍の状況。若いから大丈夫とみんなが思っていたけど
絶対に大丈夫ではなく、命を奪われた人もいたんだと物語を通じて感じました。
家族みんながそれぞれ考え、思いながら豆腐店を続けていく。
自分が今何をしたらいいのか、何をすべきなのか、考えさせられました。
色んなお客さんを通してみんなが協力して、助け合っているんだなと改めて思いました。
こんな町、こんな生活、大変なこともあるけどそれでも充実した生活を送っていて少し
憧れを持ちました。
こちらの作家さんの作品は、初めてだ。読んでいて終始暖かくて、心地よさに包まれていた。それは、読者の私がサブキャラの猫の福になっているからか?家族にとっては辛く悲しいことも、私たちは、日々一所懸命暮らして乗り越えていく。これが暮らしだと思う。とにかく、豆腐が食べたくなる。スーパーのではなく、豆腐店の豆腐、日比野豆腐店の豆腐が。日々の豆腐なんてネーミングが良い。作者の他の作品にも興味ある。
やられた・・・。
買ってしまったではないか、豆腐を。
しかもいつもよりちょっと高いものを!
・・・スーパーでだけれど。
だって出てくる豆腐が、本当においしそうなのだ。
近所にあったら、ぜったいに買いに行きたい。
小さな豆腐店を続けていく人たち
買いに来る人たち、豆腐でつながる人たち・・
そうか、食べ物には人人を結び付けていく働きもあるのだ。
作者の暖かい視点が、じんわりと溶け出してくるような気がした。
高校時代の友人の家が豆腐屋で、そこのお豆腐は食べたことがなかったけれど、温かい豆乳を飲ませてもらったことがあって、ほんのりと甘くて美味しかったことを思い出しました。
個人商店が減りスーパーで殆どのものが、いつでも安く手に入ることは有難くありますが、丁寧に作られたものを相応の価格で購入して美味しくいただくことを忘れてはいけないと思わされました。
日比野家の日常はコロナによって大きく揺るがされてしまったけれど、でも生活は続いていく。それは、人はいつどうなるかわからない、だから、地に足をつけて暮らしていくことがいかに大切かを教えてくれているのだと思います。
豆腐食べたい豆腐食べたい豆腐食べたい。普段はスーパーのものだけど、1度個人店のものを食べて以来、そこのが売られている時は買っていた。けども気づけば買えなくなってしまった…という経験がまさにある。本当に美味しい豆腐は本当に美味しいですよね(語彙力)。ああ、豆腐食べたいなあ。
そんな気持ちを思い出させてくれた本作品。特別な人達がいるわけではない、その描き方か小野寺さんならではだなあと思う。日比野豆腐店の変化や日常は決して他人事じゃない、だからこそ胸にしっかりと深く染み入る。
ああ、豆腐食べたい。私も木綿派です。
最近こそ東京の下町でしか見かけなくなった豆腐屋さん。
でもなぜか、そういう店があったことはみんな知っていて懐かしさすら感じる。行ったこともないのに。
そういう懐古の感情をゆらゆらさせながら物語が進む。
この物語ではやはり咲子さんに感服する部分が多かった。
嫁ぎ先の豆腐屋を旦那亡き後も切り盛りし続けるなんてきっと心が折れてしまう。その支えになっているのはやはり旦那が生きていた頃の記憶と豆腐の味なんだと思う。
たまには少しだけいい思いをしたい。
そんな時に豆腐屋で豆腐を買う。
あらゆる贅沢の一つとしてこれからもあり続けてほしい。
店主の清道を亡くし、それぞれに店や自分以外の家族を思う日比野家。
夫を亡くし、息子(清道)にも先立たれた初、
夫(清道)を亡くし、店主亡き後の豆腐店をなんとかしようとする咲子、
父(清道)を亡くし、自分の将来について悩む令哉、
の3人の家族と飼い猫・福の視点で語られる物語は優しく温かだった。
お互いに思いやりながら肩を寄せ合っているように見える日比野家。
日比野豆腐店もとても魅力的に描かれ、お豆腐屋さんの様子が匂いとともに感じられる気がした。
福と一緒に家族を見守り続けていたある人の姿には泣かされた。
温かく優しい家族の物語。
今は珍しい個人商店のお豆腐屋さんの一家とその周りの人々、そして、お豆腐屋さんの飼い猫・福が織り成す日々が綴られてます。
厳しい経営のなかで店を続けるか見切りをつけるか、大切な人を失った人々の心の内、これからの人生の岐路に立ちどのように将来を手繰り寄せるのか、子どもでも大人でも悩みはつきないけど、あたたかく穏やかな人柄の登場人物ばかりで読んでいるこちらまで優しい人間になれたような気持ちになれます。
章と章のあいだの福が語る部分がほっこりして、会ったことないのに福が愛おしくなるし、異彩を放つ元ホストの黒谷さんとのパキパキした会話も読んでいて愉快です。
P254の令哉の心の声『七太くん。マジで大人。』にそれまで淡々と会話してただけに、ふふっと笑い声が出ちゃいました。