世界の適切な保存
永井玲衣
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刊行日 2024/07/23 | 掲載終了日 2024/07/22
ハッシュタグ:#世界の適切な保存 #NetGalleyJP
内容紹介
// ロングセラー『水中の哲学者たち』で話題沸騰!
// 対話する哲学者・永井玲衣、待望の最新刊!
* 担当編集者より ***------------
「あ、今この瞬間を忘れたくないなぁ」「これは覚えておかなきゃ」と思うのに、取りこぼしてしまう、あるいは、記憶したそばから「何かが違う」と思ってしまった経験はありませんか?
普段生活する中でふと出会う大切な瞬間を前に、私たちはどうすれば良いのか――。
読後、世界を見る「目」を変えてくれる一冊です。
***------------***------------
世界を「もっと」よく見ること。
その中に入り込んで、てのひらいっぱいに受け取ること。
見ることは、私を当事者にする。
共に生きる人にする。
言葉を紡ぐことをあきらめない著者の、真摯な眼差しが胸をうつ。
この「世界」と向き合うためのエッセイ!
***--------------------------
著者/永井玲衣(ながい・れい)
哲学研究者。人びとと考えあう場である哲学対話を幅広く行っている。せんそうについて表現を通し対話する、写真家・八木咲との「せんそうってプロジェクト」、後藤正文らを中心とするムーブメント「D2021」などでも活動。著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)。第17回「わたくし、つまりNobody賞」を受賞。詩と植物園と念入りな散歩が好き。
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おすすめコメント
◇ 目 次 ◇
よくわからない話 /たまたま配られる /誰かの記憶 /夏だから /届く /奥 /「はずでした」 /来て /間違える /枯れ葉 /哲学モメント /いい感じ /かわいい /想像と違う /かくれる /適切な保存 /はらう /余計な心配 /適切な説明 /書けない /改行する /手渡す /見る /安藤さん /そのにおい
◇ 目 次 ◇
よくわからない話 /たまたま配られる /誰かの記憶 /夏だから /届く /奥 /「はずでした」 /来て /間違える /枯れ葉 /哲学モメント /いい感じ /かわいい /想像と違う /かくれる /適切な保存 /はらう /余計な心配 /適切な説明 /書けない /改行する /手渡す /見る /安藤さん /そのにおい
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★★★
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★★
出版情報
ISBN | 9784065361726 |
本体価格 | ¥1,700 (JPY) |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
僕たちはもしかすると雑に生きているのかもしれないと感じました。こういう形が最適解と思い込み、受けがよくするために何かよくわからないモノを、もしかすると大切かもしれない何かを排除してしまっているのかもしれないとも感じました。漠然としかわからなかったが、何かを問われている気がしました。
『水中の哲学者たち』がとても印象に残る作品だったのでリクエストしました。
でもわたしがこの本に出会ったのも偶然で、たまたま読んだだけ。この作品に出会ったこともたまたまの偶然と序盤に書かれた言葉がとても印象に残りました。おそらく『水中の哲学者』を読んでいなければ、ここでリクエストが承認されなければこの本を読まなかったのかもしれません。
詩や短歌、小説の一節を引用しながらエッセイは綴られていきます。
私たちの日常の中で生まれて消えていくものがある。
目にしたもの、生まれたものをどう保存していくのか?保存は適切にしないといけない。どう記憶していくのか?記憶は不完全なものである。
色んな問が投げかけられ、まるで著者が行う哲学教室を覗き見ているような思いで読みました。
一番重要なのは「よくきく」こと。対話は本当は「よくきく」を試みる場。
「きく」があえて平仮名表記され、「きく」という言葉についても様々な漢字が当てはまり「よくきく」ことの重要さを感じました。
特に印象的なのは「余計な心配」でのハエとありについての話です。
余計な心配と余計なおせっかいの違いについて、こんなに考えたことはありませんでした。私は「余計な心配するひと」なのか、「ただ心配性なひと」なのかそんなことも考えました。何もできないかもしれないけれど誰かと対話するときに「よくきく」を実践したいと思う箇所でした。
日々の生活のなかで突然起きる災害、そしてニュースで目にする悲しい光景。
私たちはその記憶を適切に保存できているのでしょうか。自分の不完全な記憶よりもっと重要なことがあり、それを諦めてはいけないのだと知りました。
章ごとの様々な問いかけから自分にはない視点から語られる言葉に、視野が広がったような思いがしました。
文章が哲学的で、私にはよくわからない部分も多かったです。これまで、そんなふうに考えたこともなかったということを掘り下げて考えて行く文章でした。引用されている詩や小説の一部も初めて聞くものが多く、ここで出会えたのも何かの縁かなぁと考えたりしました。
「世界をよく見ること。見たいと熱望すること」
哲学対話を実践する哲学者によるエッセイ集。
場で考えたことを保存するように、何とか適切に保存しようと書いた。
ちいさく、主観的で、伝達不可能で、共有不可能なものたち。
それでいて、わたしやあなたが、そこにまぎれもなく「いた」のだという現実の証。
生の断片がきかれることを待っている。
「水中の哲学者たち」で、すっかりその浮遊感のある文章に魅了されてしまった永井玲衣さんの最新刊。
現在わたしは人生の設定がガラリと変わっており、新たな設定の構築中でこれまで月8冊は読めていた本が全く手付かずになっている。
そんななか手に取ったこちらの本は、文章がすーっと身体のなかに入っていくような感覚で心がしんと静まった状態で最後まで読めた。
同じ時代にいるのに、手が届くところにいるのに、分かり合えない私たち。世界を見る目をどう養っていくか、心をどう震わせていくか、外の空気や匂い湿度をどう感じていくのか_。そんなことをとてもフラットに静かなトーンで語ってもらっているような読書体験だった。
先日、福岡で開催されていた永井さんの哲学対話にも参加したのだが、誰にもジャッジされず自分の言葉で話す、それを受けた人がまた対話をキャッチして新たな問いを立てる、という工程がとても建設的で人間らしいと感じた。
永井さんの書籍や活動を通じて多くの人がなんらかをキャッチして、周りの人とゆるくつながっていろんなバイヤスが外れて自由になっていくといいなと切に思う。
世界を適切に保存することなんてできない。
一言で表現してしまったらそうなんだけれども、
そんな雑な言葉で言い表すことを躊躇わせる、
言葉と想いと気持ちに真摯に丁寧に向き合った、
多くのことを見落としながら暮らす私のような、
瑣事を軽んじるような生き方をしている人たちの、
心を見つめるきっかけとなりそうな本。
気になりながら読んでいなかった前作も読みたくなりました。
前作も今作も、この人はなんでこんな目線で、真剣に世界を見て生きていられるんだろうと不思議に思う。こっちが不真面目で不謹慎なだけなのかもしれんけど。この本は哲学、人文書だから尚更かもしれないけど、世の中のエッセイを書く人はみんな何て真面目なんだろうと驚く。失礼な言い方だけど、生きづらくはないんだろうか。
哲学者の書いたエッセイだという情報のみをたよりにして読み始めたので、驚いた。
流暢でない本だと思った。目次を見たとき、構成にまとまりがないし構造化されていないと思った。読み始めて読み進めてやっと、それも当然だし必然だと納得した。そこにはとりとめもないことをとりとめもないままで保存することについて書かれていたからである。筆者の昔からの「変な(と他人に思われる)」癖の話から、パレスチナで起こっている虐殺のこと、そして東日本大震災と原発の体験・記憶を誰かが語ることが全部大きな地平で繋がっているような気がした。
まとめて、わかりやすく、伝わりやすくすると、保存しやすい形にはなる。けれども、それが適切な保存というわけでは必ずしもない。適切な保存は手間がかかって時間がかかって、そのわりに経済合理性はないといっていい。それでもやっぱり世界を適切に保存するにはどうしたらいいのだろうかと考えるようになってしまった。
言葉選びと言葉運びが優しい。
掴もうとしてもほのかに跡を残しつつも消えてしまう気がして自分の言葉でしっりと消化するために何度も読んで確かめる。
日常に潜む言葉の疑問に丁寧に向き合っている。私も同じことを思っていた、というものもあればその視点は無かったというものまで分かるように具現化してくれる。
与えられた期間では到底読み込み足りなくて読んでいる途中で前作と一緒に購入しました。
出会いをありがとうございます。