ADHDですけど、なにか?
チョン・ジウム、鈴木 沙織=訳
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刊行日 2024/06/20 | 掲載終了日 2024/07/20
ハッシュタグ:#ADHDですけどなにか #NetGalleyJP
内容紹介
日韓累計3万部ベストセラー!
前田エマさん(モデル)推薦!
「自分を受け入れてみたり、自分に絶望してみたり。その繰り返し」
第8回ブランチブック出版プロジェクト(韓国の大手IT企業Kakao Corpのブログサービス、brunchが主催する公募展)で大賞をとった話題作!
25歳でADHDと診断された、発達障害当事者による本音。ふつうの大人になれない、自分を愛せないと感じる著者が、自分と和解するまでの記録。
目次
プロローグ 互いの苦痛を削って丸くなれますように
C h a p t e r 1 ADHDの診断を受ける
C h a p t e r 2 大人のADHDとして生きていく
C h a p t e r 3 病院に行く
C h a p t e r 4 私が出会った世界――家族、恋愛、ネコ、友人
C h a p t e r 5 私と書くことと他人
エピローグ なすすべもなく軋んでいた日々もすべてダンスだった
著者紹介
チョン・ジウム
1992年、韓国・京畿道生まれ。本書が第8回ブランチブック出版プロジェクト(韓国の大手IT企業株式会社カカオのブログサービス、brunch が主催する公募展)で大賞を受賞しデビュー。著書に、エッセイ集『五色燦爛失敗談』、『私たちは誰しもときどき狂うことがある 人間関係、その難しさについて』、小説『アンラッキー・スタートアップ』(いずれも未邦訳)がある。
鈴木 沙織
日英韓翻訳者。青山学院文学部大学英米文学科卒業後、韓国の梨花女子大学通訳翻訳大学院翻訳科修了。訳書に『SIGNAL 10億分の1の自分の才能を見つけ出す方法』、『夢を売る百貨店』(文響社)、『外科医エリーゼ』(KADOKAWA)などがある。
出版社からの備考・コメント
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出版情報
発行形態 | ソフトカバー |
ISBN | 9784041144749 |
本体価格 | ¥1,400 (JPY) |
ページ数 | 272 |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
25歳でADHDと診断された著者による記録。
精神科で診断されたときの思いが赤裸々に語られている。
しかし精神科でADHDとうつ病と診断されたあと毎日お酒を飲む。お酒を絶とうと頑張るのに、まさかADHDの飽きやすい気質の方が上回りアルコール依存になる手前で、自分を認めADHDと共存する道を選んだ記述にはほっとした。
そうこれは誰の記録でもなく、著者自身の記録である。
まさに、『ADHDですけど、なにか?』このタイトルがぴったり当てはまる。
子供の頃から学習するのにも困難な科目があり、落ち着きもなかった。だが先生たちも彼女がADHDとは分からず、さらに将来への可能性さえ閉ざされてしまった。
しかし診断され内服治療を始めてから集中できる時間が増えたり、掃除することに決まりを作ったりと変化がでてくる。
だけど聴覚過敏により他人が出す音に敏感で不快に感じたり、なぜ自分だけと理不尽な思いをすることもある。
Columnで著者のADHDへの思いや治療についての思いが語られている。
生きづらくてネットにあるADHDに関する簡易診断にアクセスしたことがある人もいるでしょう。実際に病院での診断には時間もお金もかかります。さらに完治することもないので内服は欠かせなくなります。実際に薬を飲んでいる著者の素直な思いが書かれているので悩んでいる人はぜひ読んでみてほしい。
そして気になるなら診断を受け適切な投薬により、今より少しでも生きやすいきかっけになればと思う。
家族のことや友人や恋人との関係なども書かれているが、猫のメットルを飼い始めたときに感じた「メットルを飼うようになっていから、初めてADHDの周りの人たちの苦労がわかった。」という言葉が一番印象に残った。
庇護される側から庇護する側へと立場が変わり、周囲の人への気持ちが理解出来た瞬間だったのかもしれない。
生きていく中で生きづらいなと思うことはありませんか?
他人と比べてあれが出来ない、これが出来ないと思うことはありませんか?
誰だってそんな悩みを抱えていると思います。誰かと違うと感じることがあっても診断がつかないだけで自分なりの方法でなんとか乗り越えられていたり、乗り越えられなかったら諦めたりしているだけなのかもしれません。
こんなに当事者が記録として赤裸々に心情を書いているということにも驚きました。また読者の心を離さない文章の上手さで飽きることなく読むことができました。
ADHDと診断されたときに“「上手に生きられなかった」と後悔することはほぼなかったけれど、「もっと上手に生きられた」とひどく後悔した”という言葉には涙が出そうでした。子供の頃診断されていたら違った人生だったかもしれないでしょう。だからこそもし今悩んでいる人がいたらこの本を手にとって気になる項目だけでもいいから目にしてください。少しでも後悔しない方向へ向かう一歩となるように願っています。
こんなに知的でウィットのある文章を書く方が、自分のポンコツぶりに困っている?
それが私のまず最初の感想だった。きっと同じ感想を持つ方はたくさんおられるのではないだろうか。
よく「困った人」ではなくて「困っている人」なのだと聞くが、そういうことなのかと腑に落ちた。優秀な面がたくさんあっても、ご本人には困って不便なことがあるということなのだろう。
『ADHDの診断は、もともとひっくり返っていた私の人生をもう一回ひっくり返した。…すべての変化をただただ受け入れなければならなかった。』
ここは私が1番印象的に感じたところだ。
武器を手に入れても、根本的な問題の解決にはならないのだと。それでも私たちは、いつだって自分に配られたカードで戦わなくてはならないのだ。
先天的、後天的にかかわらず、私たちはそれぞれに何かしらの身体的、能力的な不便を感じて生きている。それでも楽しくやっていく!と自分と折り合いをつけて前進し続ける著者に、清々しさと同時に美しさすら感じた。
完全でいることが素晴らしいのではない。不完全さも引き受けて進み続けることが素晴らしい。そう思えた一冊だった。
そして何より、何かしらの不便を感じて診断を受けるべきか悩んでいる人たちににとって、このリアルな手記は大きな助けになるだろう。