修羅の国の子供たち
田村和大
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刊行日 2024/07/23 | 掲載終了日 2024/09/18
ハッシュタグ:#修羅の国の子供たち #NetGalleyJP
内容紹介
「ヤクザの子供に産まれた過去は消せない。ならばヤクザそのものを消す」
壮絶な幼少期を過ごした二人の少年たちの復讐がはじまる。
その先にある衝撃的な結末とは!?
〇あらすじ
「ヤクザの子どもである過去は消せない。ならば、ヤクザそのものを消せばいい」――正範と寅。ヤクザである父を持つ二人の少年は、過酷すぎる十代を過ごし、それぞれにヤクザへの復讐を誓う。正範は猛勉強の末、検察官になり、暴力団取り締まりの最前線へ。そして寅は・・・・・・。二人の少年がたどり着いた結末とは!?
衝撃のラストが胸を抉る、現役弁護士作家が描くヤクザ小説の新境地。
〇著者プロフィール
田村和大(タムラ・カズヒロ)
1975年、福岡県出身。一橋大学法学部卒業後、NHKの報道記者を経て、司法試験に合格。弁護士として活動する。2017年、『自白採取』(のち『筋読み』に改題)で第16回「このミステリーがすごい!」大賞で優秀賞を受賞しデビュー。著作に『筋読み』『血腫 「出向」刑事・栗秋正史』『操る男 警視庁捜査一課・ヨミズナ』『消えた依頼人』『正義の段階』などがある。
出版社からの備考・コメント
※書影は仮のものです。
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出版情報
発行形態 | ソフトカバー |
ISBN | 9784575247558 |
本体価格 | ¥1,900 (JPY) |
ページ数 | 368 |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
ふだんは絶対に読まないジャンルの本です。正直、Net Galleyだから(無料だから)、不純な動機でした。読み始めたら、後悔しました。怖い。応酬の痛みと悼みの連続に耐えられなさを何度も通過しました。それでも途中で投げ出さなかったのは、「その先にある衝撃的な結末」に惹かれたからです。3人の子どもたちをつなぐ強さに魅かれたからです。おそらくこの先、やはりヤクザ任侠ものは読まないと思います。私にとって最初で最後のヤクザ小説「修羅の国の子どもたち」が最強だったからです。
現役弁護士作家が描く暴力団小説はハードで生々しいストーリーだった。
修羅の国に産まれた子どもは修羅の道を生きるしかないのか。
劣悪で過酷な家庭環境を自分の意思で乗り越える姿に、
果たして正義や法令順守とは何だろう?と考えさせられる。
ある人を助けるために他の人を犠牲にすることが許されるのかを問われる「トロッコ問題」のように、
極論ではあるが命の価値や倫理そしてその正解を導き出すことを問われている気がする。
そして背負ってしまった運命の皮肉…これも修羅の国に産まれた者の因縁なのだろうか。
後半は夜通し読んだ。
全く知らない作家の方だが、経歴を見るとNHKを経て弁護士というなかなか異色。なのでとてもユニークな作品となっている。
この本は「ヤクザの親」に生まれた子供たちの生き方を描く骨太な作品。
前に「犯罪加害者家族」のことを調べたことがあるが、例えば親が交通事故で人を殺めてしまったとき、多くの家庭は崩壊の危機を迎えていた。仕事を失い、住むところも追われ、転校も余儀なくされる。悪意なき「犯罪」でもこうなのだから、故意の犯罪ではさらに状況は厳しい。
例えば親が破廉恥な罪で捕まったとき。家族はいたたまれないことになる。そしてなかなか周囲から同情されないところも厳しい。でも人は生きていかなければならない。その状況の中で最善の選択をする。
かつて「極道の女たち」という書籍が話題になったが、色々な事情はあるだろうが、こちらは最終的には「自分で選択」してそのポジションに入る。ある意味、自己責任だ。
しかし親ガチャ、子供は親を選べない。ヤクザの子供に産まれてしまえば、「極道の子供」という事実から逃れることは難しい。
この本の登場人物たちは、ヤクザの子供に産まれた境遇を自分の意思で乗り越えていく。ものすごくハードな成長譚だ。
ヤクザの子供として産まれたという「事実」は消せない。しかしヤクザの子供であるという「現実」は変えることができる。1人は出自を消し司法の道に進み、1人はあえてヤクザとなり中から組織を変えていこうとする。
そして2人を繋ぐ幼馴染のマドンナがいる。その存在を糧に2人は信念を貫き通す。
ある種の理想論だが、そもそも任侠とは理想論なのだ。現実論という極道を任侠という理想論で捩じ伏せようという現代のファンタジーだ。
遡って作品を読みたい、そんな作家をまた1人見つけた。