30歳からの漢詩エントリー
それは「どう生きるか」を考えること
山口謠司
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刊行日 2024/04/26 | 掲載終了日 2024/08/31
ハッシュタグ:#30歳からの漢詩エントリー #NetGalleyJP
内容紹介
漢詩とは――。
大人の教養、知性の最高峰、時空を超える異才たちの文学。
ディストピアとユートピア、欲望と無心、絶望と希望、知と情。
希望なき世界を見た詩人が到達した境地。
それを知らないまま大人になるなんて!
日本の文学として高校三年生で必修になっていた「漢文」は必修ではないし、それ以上にもう森鴎外の『舞姫』も、夏目漱石の『こころ』も学びません。
多くの高校生が「国語」の授業で学ぶのは、「論理国語」と呼ばれる「契約書」などの文章なのです。
漢文は、「簡素」をもって「旨」(もっとも大切なこと)とします。
漢文を使って文章を書いていた人たちは、書いたものを何度も頭の中で繰り返し、不必要なものを切り捨てていきました。―本文より
【目次】
序 章 時空を超えて共振する
第一章 陸游、絶望のなかのユートピア
第二章 漱石、東洋的理想郷への希求
第三章 杜甫、生きるためのラブレター
第四章 蘇東坡、「楽しむ」へのこだわり
第五章 河上肇、共産主義と挫折と
終 章 古代中国の「心」を探る
出版社からの備考・コメント
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おすすめコメント
著者は中国学研究者、博士(中国学)、大東文化大学名誉教授。謡曲家の子として生まれ、仏・英・中国での研究経験を持つ異色の研究者。欧州や日本の文学にも精通。その著者が知性の最高峰と考える「漢詩」の魅力と読み方を一冊に凝縮。
著者は中国学研究者、博士(中国学)、大東文化大学名誉教授。謡曲家の子として生まれ、仏・英・中国での研究経験を持つ異色の研究者。欧州や日本の文学にも精通。その著者が知性の最高峰と考える「漢詩」の魅力と読み方を一冊に凝縮。
出版情報
発行形態 | ソフトカバー |
ISBN | 9784907623692 |
本体価格 | ¥2,200 (JPY) |
ページ数 | 280 |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
おわりに「本書は漢詩を読み下し、漢詩の持つ味わいを説明するという本ではない」と書いてあったように、漢詩で有名な人たちの人生をたどりながら、漢詩とは何か、と問うている本だった。
どうして彼らはあのような漢詩を書いたのか、その背景にはどんなことがあったのか、漢詩を書くことで、どういう心境にたどり着いたのか、というようなことが書いてあり、とても興味深く読んだ。
それぞれの人生をたどりながら、漢詩とは哲学であるのだなあと思った。
海音寺潮五郎は、詩経を翻訳してその本のあとがきで、厳密にはその国の文学はその国の人しかわからないし、同様にその時代の人にしかわからないのかもしれないと書いています。特に詩という文学は韻という、それこそその国の言葉を使えない人にはわからない要素があります。英語やフランス語などで書かれた詩は、その言語を勉強した人でなければ翻訳でしか味わえないし、訳者は工夫して日本語で韻を踏もうと苦戦します。
さて、漢詩はと言うと、日本語と漢文との特別な関係から日本人はこれを訓読で読んでしまいます。日本語に訳するのでなく、ルールに従い漢文を日本語として読んでしまう。多分今でも中高生は国語の時間に訓読のルールを習っているのだと思います。齢68歳の私は最近高校の漢文の参考書を購入したのですが、江戸時代の古文書を翻刻するためです。なんと江戸時代の古文書を読もうと思うと漢文の知識が必要になります。
本書は「30歳からの」とある様にそうした漢詩のルールや読み方を解説したものではありません。漢詩を作った人に着目し、その人が「何を求め、何を生きる原動力として漢詩をかいていったのか」を綴ったものです。孔子や詩経の話から始め、陸游、杜甫、蘇東坡と言った中国の詩人、明治の文豪・夏目漱石や経済学者の河上肇と言った漢詩の詠み人が、それぞれのの生き方の中でどんな思い出で漢詩を作ったかが書かれています。読んで見ると漢詩というのは専門の漢詩人がいるのではなく、それぞれの生活の中で生まれているのだと言うことがわかります。
もう一つわかることは、漢詩は自分の思いを言葉にした上で、推敲を重ねて言葉をえらび、ルールに合わせることで言葉を研ぎ澄ませて作っていくものだと言う事です。本書は漢詩の鑑賞を勧めているのでなく詩作を勧めています。と言いながらも漢詩の作り方や平仄などのルールを解説したものではないので、つくりたいなあとおもったら別途勉強が必要ですが。
漢詩をつくる動機になるかどうかは別として、ちょっと取っつき難い漢詩がなんなく身近に感じ、でもやはり奥深いなあと思わせてくれる本であります。
本を書いた山口謠司先生、書いた本を見ると何冊か読んだ事がある。どれもこれも日本語についての著作。日本語というのは大和言葉と古代中国語のハイブリッドでできているのでそういうことになるのでしょう。