沙を噛め、肺魚
鯨井あめ
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刊行日 2024/05/27 | 掲載終了日 2024/05/28
ハッシュタグ:#沙を噛め肺魚 #NetGalleyJP
内容紹介
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青春小説の旗手が将来に悩むZ世代に捧ぐ!!
夢を追いかけた少女と、現実を選んだ少年
沙に覆われた世界で
彼女たちの「将来の夢」を描く
傑作のディストピア長編!
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— あらすじ ―
沙に覆われてしまった世界。
人々は何よりも安定を目指すようになっていた。
安定した仕事で稼いで、機械で娯楽を享受して、どこに遠出することもなく、安全で、快適な、この街で、ささやかな幸せが至上。
それでも音楽が好きな少女・ロピは第9オアシスでパパと二人で暮らしている。親友のエーナや周りの大人に反対されながら、自分の音楽を追い求める。
特にやりたいこともない少年・ルウシュは、母と同じ気象予報士になるため日々勉強していた。いっぽうで好きなことに一生懸命な友人に劣等感は強まり、夢中になれることを探しはじめ……
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著者/鯨井あめ(くじらい・あめ)
1998年生まれ。兵庫県豊岡市出身。兵庫県在住。執筆歴13年。2015年より小説サイトに短編・長編の投稿を開始。2017年に『文学フリマ短編小説賞』優秀賞を受賞。2020年、第14回小説現代長編新人賞受賞作『晴れ、時々くらげを呼ぶ』でデビュー。他の著書に『アイアムマイヒーロー!』『きらめきを落としても』がある。
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出版情報
ISBN | 9784065354827 |
本体価格 | ¥1,800 (JPY) |
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ま白くさらさらな沙によって滅びゆく世界。滅びに向かうからこそ、人の心から生まれ出る〈芸術〉が輝きを持ち、人が在る意味が力強く残る。そんな高らかに歌い上げられる人間の心への賛歌。
『肺魚は眠る。乾いた沙の下で』
この中編を詠み終わった時、改めてこの題名を見返した。物語の最後に来るべき〈フレーズ〉だったのか、これこそが。
繊細なロピの気持ちが乱れる様に心が痛む。
「恵まれた肯定が穏やかに苦しめる」
「優しいことが、重りになる」
「やめたんだ、他人がくれる優しさを、全部抱えるの」
心を癒す〈音楽〉は、人が生きるだけのためには不要なのか? そう思った時、ゾッとした。それでもロピは〈音楽〉が大好きだから、演奏し歌う。〈音楽〉は干からびた心と体を潤す水でありその中を泳ぐ魚だから。
そしてそれは、水が枯れ果て乾いた沙に潜って復活の時を待つ。だから、この題名なのだ、と。この世界の定めなのだ、と。最後になってやっとわかった。
『世界は味気ない。酷く乾いている』
長い月日が過ぎた。第9オアシスは沙で滅んでいたとは。ロピは?『肺魚』は?
音楽を含む〈芸術〉は身近になっていた。でも。生成されるものとしてとは。心のこもる手作り作品こそが、心に真の喜びと安寧をもたらすと信じているだけにショックだった。
でも〈舞台〉は人が演じるもの。だから、人の心がこもる余地がある。更に自作の詩や舞台による科白劇であれば、なおさら。まさに「人の意思が介入するから、そこに人の物語が生まれて、人の心を動かす」のだ。
その実現を目指す群像劇。そこには様々な想いが交差していく。
「生きづらい世界に生きることの意味」
「人はきっと芸術を、それが作られた経緯ごと愛する」
「手づくりには力がある」
そして『劇団みずうみ』による『沙上電車の旅』の公演。それに対する酷評。でも、人の心がつくったもの、真に大切なものへと皆の心を向けさせていくきっかけとなっていく。そう、あの努力は決して無駄ではなかった。
そして終末は、沙の中の空洞からみつかった72年前の日付のノートとレコード盤。その題名は言う必要はないはず。
不安を抱えながら、でも自分の〈芸術〉を信じて胸に歩む人々の物語が、時を隔てた大きな円環を描いて今繋がった。滅びに更に近づいていく世界。でも、これからもっといくつもの円環が現れ、きっとよみがえる。『肺魚』が。それが、人が生きていた証。心を大切にいだき続け、それを発露する手立て持っていた〈人〉という存在がいた証明。そして『肺魚』は、必ず目醒める。それが定め。それは必然。
そう思いつつ、涙を抑えられずに、物語を読み終えた。
ロピ スノワ ルウシュ ミィ テトノ コン
自分のやりたいことを叶えようとする難しさと、やりたいことを見つけたい焦燥が、ロピとルウシュそれぞれの物語の中で描かれていました。そして、それぞれが人との出会いや出来事を通して、自分の意志を自覚し、自分の答えにたどり着く。
あの物語が出てくるから、たぶん物語の舞台は未来の地球。確実に滅亡へと向かっている世界。そんな世界で、ロピやルウシュが送っている日常や青春は、今の若者たちと変わらない。というか、のんきに構えているのは大人たちだけで、今の若者が抱える危機感や、未来への展望は、この物語の中の若者たちと変わらないのかも。だからきっと、夢や将来に悩む若者たちが共感する1冊であり、今を生きるすべての人が、未来を考えるための1冊になるのではないかと思いました。
高校生のロピとルウシュ。進路に悩む2人の主人公の、それぞれの立場からの視点。
いつ終わるかもわからない、沙に埋もれていく世界で、不安定でも自分の心に沿って好きを貫いて生きるのか、安定した職に就き、安定した人生を歩むのか。どちらにせよ、不安や迷いは常に付きまとう。
進路を決めることへの葛藤がひしひしと伝わってきた。
でも、大事なことに気づいて、心を決めた瞬間、覚悟を伴った瞬間に、人は強くなる。
「わたしは、頑張っているわたしのことを、尊重しなければ」
「誰に何を言われようと、どんな環境だろうと、その道を俺が選んだことに意味がある。自信があることを選ぶのではなく、選んだことに自信を持てばよかったのだ」
自分の子どもにも、もし将来のことで悩んでいるのなら伝えたいと思った。
進路を考える中高生にオススメしたい。
そして、ロピが残した歌。聞いてみたい。
砂に覆われた世界?
これは、なにかの暗示?
首をかしげながら読んだ。
なかなか進まない・・・。
難しい内容でもないし、若者の思いはわかるのに、
常に砂の音が聞こえてきて、
物語の内容にまで覆いかぶさって邪魔をしてくるようだった。それは作者の狙いなのだろうか・・。
読み終わってようやく深呼吸できた。
息苦しい空気は、やはり今の世界を表しているのだろうと思った。
見えない砂に覆われている世界に生きている私たちの姿がこの中にあって、
苦しかった。
若き才能キラリ。
ディストピアに介在する思惑と幻想と。
鯨井さんの作品は日常の中にあり。
というイメージが強かったので
今作の作風にとても驚きました。
想像力豊かな作家さんなのでこういう作品もぴったりに感じました。
沙に支配されてしまった世界。
一体どこから着想を得たのかとても気になりました。
ただ沙が無くても、夢を追い続けることって巡り巡る運と血の滲む努力なのは現実世界でも変わらない。
それを突きつけられたように感じました。
沙嵐に覆われてしまった、何よりもまず生きることが優先される世界。娯楽は機会が生み出すものという認識になりつあるなかで、好きな音楽を続けるために音楽隊に入りたい少女と、好きなことに一生懸命な友人に劣等感を抱いて夢中になれるものを探す少年が、様々な障害に振り回されながらも、自分で生み出すことの意味を懸命に考える姿には心打たれるものがありました。
世界が終わりに向かうようなディストピア小説ながら悲壮感はあまりなく、そんな世界でも何かを残そうとする人たちの力強さに感じ入るものがありました。「クリエイター」で娯楽が手頃に手に入る時代、労力をかけて人力で物を生み出すのは時代に逆行しているかもしれないけど、手作りに価値を見出すその価値観は私自身持ち続けたいなと思いました。
沙嵐か起こるとあたり一面が沙に覆われる。池で飼っていた魚も覆われる。沙の少ない場所へ移動するか?ここに止まるか?
このような生き難い世界にいる若者はどんな未来があるのだろうか。もしも20年後に世界が滅びるとわかっていたら、自分は夢を持てただろうか?沙に埋もれてしまったかつての娯楽だったレコードやCD。それでも自分の生きるこの場所では音楽を奏で歌う、演技で自分を表現する事を諦めない若者がいたー。僕たちは肺魚のように渇いた場所でも息をしている。いつか目覚める時のために。
鯨井あめのこの世界観がなんともいえない!
沙の中でじっと機を待ち、進むべき道を見据えている。大人でもない、子どもでもない、そんな年代の主人公二人を肺を持つ両生類の魚「肺魚」に例えているのかな、と感じた。沙に襲われた世界という特殊な設定。なのに、不思議と現代の今の状況とリンクする。将来に対する閉塞感も。
サイドAの主人公はロピという少女。心配のあまり過保護が過ぎる父を振り切り、音楽隊のオーディションに向かう。
サイドBの主人公少年ルウシュ、サイドAからさらに先の時代に生きる彼は気象予報士を目指す。母の期待に答えようとするけれどもどかしい。
「やるべきことをやる」のか「やりたいことをやる」べきか。
極限の状況にある世界だからこそ見えてくる未来がある、そう感じた。
沙に覆われしまった世界
沙と共存していくしかない世界
沙が人を翻弄する世界
そんな世界でもがく人々
ロピは好きな音楽で生きていきたい
不確かなものよりも安定が求められる世界
反対されても彼女は音楽をあきらめたくない
沙という物理的な閉塞感といろんなことをあきらめなくてはならない閉塞感
もがく若者の物語
砂に被われ、ゆるやかに破滅へと向かう世界。
人々は生存にリソースを割き、徐々に芸術は衰退するコンテンツになっていく。
そんななかヒロインはギターを爪弾き、在りし日の想いを再現しようとする。
終末ものの設定ですが、そこは舞台装置としての役割しかなく、メインは主要キャラの心情描写。
この気持ちを繋いでいくシーンがとても素敵でした。
前半・後半の構成が上手く、ラストの印象にとても効果的でした。
不可思議なタイトルも読み終えると染みる良さがありますね。
鯨井先生はSF的な状況をキャラクターたちの演出にうまく昇華させる作家さんだなという印象。
こらから刊行される作品も読んでみたいです。