母を捨てる
菅野久美子
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刊行日 2024/02/29 | 掲載終了日 2024/05/29
ハッシュタグ:#仮母を捨てる #NetGalleyJP
内容紹介
虐待、いじめ、家庭内暴力、無理心中未遂
毒母との38 年の愛憎を描いた壮絶ノンフィクション
「私は何度も何度も、母に殺された 」。
ノンフィクション作家である著者は、かつて実の母から虐待を受けていた。
教育虐待、折檻、無理心中未遂 。肉体的、精神的ネグレクトなど、あらゆる虐待を受けながら、母を殺したいほど憎むと同時に、ずっと「母に認めてもらいたい」という呪縛に囚われてきた。
その呪縛は大人になっても続き、ノンフィクション作家となって孤独死の現場を取材するようになったのも、子どもの頃の母の虐待が根源にあることに気づく。
そこで見たのは、自信と同じように親に苦しめられた“生きづらさの痕跡”だった 。
虐待サバイバーの著者が、親の呪縛から逃れるため人生を賭けて「母を捨てる」までの軌跡を描いた壮絶ノンフィクション。
出版情報
発行形態 | ソフトカバー |
ISBN | 9784833425261 |
本体価格 | ¥1,600 (JPY) |
ページ数 | 124 |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
過酷な幼少期とはどのようなものか?
母親の歪んだ愛情とはどのようなものか?
本作はノンフィクションであるが故に、その事実性がリアリティを伴って私たちの心に明確な釘を刺してくる。
家族という存在は、ある人にとっては希望の表象と認識されることもあれば、またある人にとっては諸悪の根源として認識されることもある。
ここではっきりと、濁さずに言おう。
親ガチャを外すことは往々にしてある。
そして、その対応策の1つとして、母を捨てることは、全くもって合理的であり、毒親に苦しむ子供達にこそ、その合理性を理解してほしい。その意味では、本書は救いの本である
ノンフィクション作家によって、小学校に上がる前から母親から受けた虐待を綴られていた。
壮絶な内容だったが淡々と書かれていて、体験ルポを読んでいるようだった。
読みだしたら止まらなくなって、一気読みをした。
著者の文章や構成がうまいからなのだが、その文章のうまさも著者の母からの虐待の賜物であるのが、なんとも言い難い気持ちになる。
これほどのことを思い起すのは、相当勇気が入っただろうし、苦しかったと思う。
でも、それは、著者が毒母との決別を心に誓ったから。
そして、中年になっても毒親に支配され、生きづらさを抱える人たちに、「毒親は捨ててもいいんだ」ということを伝えるために、著者はこの本を書いた。
毒親を持つ人達には、毒親とのつながりを切る勇気を与えてくれると思う。
毒親を持たない(特に「親にそんなこと言うなんて」とか、「大学は出してもらったんだから、感謝したら?」とか言う)人達には、毒親を持つ人たちの気持ちが、少しは理解できるんじゃないかと思う。
虐待の話だから、楽しい話ではないのだけれど、最後には、少し心が軽くなるような、明かりがさすような感じを受けた。
これは、著者の心に、明かりがさしたからだと思いたい。
「普通の」女の子になりたいという願いが叶わないとわかったとき、それでも心の中の少女を解放し自由を得るために著者は毒親である母を捨てる決意をする。
虐待、引きこもり、不登校を経て、母から与えられた「書く」という武器によって著者は母を乗り越える。
すべての母と娘に読んでもらいたい一冊。
こちらで見かけてリクエストしたものの、承認をいただいてからもなんとなく寝かせてしまいましたが、読み始めてみると予想通り、心を抉られるような描写が続き、途中何度も休憩が必要でした。
でも、過酷な状況におかれた著者が、知識を得、その助けを借りながら母を見つめ、己を見つめて、迷い、悩みながらも変化してゆく姿から目が離せなくなりました。
「書く」仕事を通して著者が見聞きし、感じ、考えたことについても詳しく記載されていて、思わず共感してしまうところ、考えさせられるところもありました。
本書の中に紹介されているセルフネグレクト
という概念については全く知らなかったので、衝撃を受けましたが、実体験を振り返ると妙な腹落ち感がありました。
この本を書いて、世に出そうとした著者の強い思いと覚悟、そして勇気に、心からの敬意を評したいです。
中々に重い内容でしたが、最後まで読み切ることができました。
自分に母親はここまで振り切った行動は起こしませんでしたが、一歩間違えるとこのような結果となっていたかと思い恐怖を抱きました。一方で、社会システムとしてこういった状態になるまでに対応が打てたのではないかと思うと同時に、そういった対策を受けられるだけの環境を整えるべきだと考えます。
追体験することがつらかったです。
でも、知らなければいけないことでした。
虐待を非難することは簡単だけれど、
子どもは自分の心を守らなければならないし、
どんな親でも親は親だと子どもには思えてしまうし、
「捨てる」ための条件が整うまでには長い年月が必要だし、
身の回りで同じような事例を体験した時に
どうしたらよいのか、答えは出ないけれど、
「ひどい親だな」と片付けしまわずに
いっしょに向き合うことで痛みを分かち合うためにも
まずは追体験させてもらうことが必要でした。
胸が痛んだ。
菅野さんの書かれたものは、よく読んでいた。
主に孤独死についてのものだ。
感情に溺れることなく、かといって冷たく突き放すでもない独特な視線で書かれる文は、
不思議と心に残るものだった。
それを書いていた人が、こんなにも壮絶な過去を抱えていたのかと息を飲んだ。
逃げても良いのだ。
自分の人生は自分のものだと考えていいのだ。
そんな言葉は、読み手にも生きるための小さな力を与えてくれる。
読んでよかった、ありがとうございます、と声に出したい気持ちになった。
壮絶な愛と生の渇望。それが、幼い少女を支えてきた。たとえ、自分の命を脅かす、親であっても。
親による愛を必要としないとき、やっと子どもは独り立ちする。
それが、本書での「捨てる」という行為なのだろう。
子はいずれ親元を離れて自立する。
その付かず離れずのバランスを気づけなかった親子関係は、自分の命を守るために、関係を断つ必要がある。
本書を読んで、この「母」が、社会が作り出してしまった存在なのだと思う。
この社会は未だに家族の理想を抱いてやまない。
生きてて良かった。著者自身もその母親も。殺人事件の被害者にも加害者にもならずに生き抜いてきたことは奇跡に近いものがあったと思う。幼少期からの壮絶な虐待とネグレクト、更に学校でのいじめ。家でも学校でも居場所がない辛い思いをしていた久美子ちゃんが大人になってもその頃の心の呪縛から逃れることができないで苦しんでいるのが伝わってきた。親を選ぶことはできないのにどんなに虐待されても心の底では愛されたいという気持ちを捨てられない。そういう思いを抱いて苦しんでいる人がたくさんいて、自分も含めてそういう人たちを救う道を作っていこうとする筆者を凄い人だと思う。そして、著者が母を捨てることができて良かった。
“虐待サバイバー”である著者が、自らの体験を赤裸々に綴った本。
……なのだが、どうも印象が違う。もちろん他人であるぼくにはわからない事情があるのかもしれないが、書かれている虐待内容の割にあまり切迫感が感じられない。幼少期にあれだけのことをされてなお、母に認めてほしいと願うものなのか。その後も大学生になるまで実家で暮らしていたり、これまで読んできた他の方の告白手記とはだいぶ異なる。最後まで読んで、タイトルの「捨てる」ってのはそういうことだったのかと腑に落ちた。
最大の問題は、「虐待」という言葉を使いながら、その行為を認めてしまっていることだ。どんな理由があろうと、親が子に対してふるう暴力は許されない。
最後に、校正前なのかもしれないが、ミスが多すぎる。基本的な「てにをは」の誤記や慣用句の混同、濁点の有無など。出版時には訂正されているとよいのだが。
親の虐待に耐えて成人になった著者が、自分の過去の記憶に対して感情を排除し、淡々とした文章で叙述した。
母に愛されたくて頑張る子供の姿が思い出してもっと切なかった。
でも、幼い頃の虐待部分の話が長すぎて緊張が少し落ちる(和らげる)。
親が子どもに与える影響がどれほど大きいか、もう一度考えさせてくれた本。
私は虐待を受けたことはないが、年もほぼ変わらないこと、宮崎県に住んでいたことなどなどいくつかの共通点があり、とても共感したし、虐待こそ受けていないものの私はどこかしら違ったらこんな感じになっていたかもしれないとすら思いました。
4歳のころから受けていた虐待、そして大きくなってきても教育的虐待、父母の不仲、大人になったらなったで「普通の女性の幸せ」を求められる・・・。すべて当てはまる人はほぼいかいかもだけれど、少しでも似た境遇にあっている人はたくさんいるのではないか。とくに最近は晩婚化もあり「普通の女性の幸せ」を親に求められる人は数多くいると思う。母親に何気なく言われる「早く孫を抱きたい」なんていう言葉に傷つく人はたくさんいると思う。
筆者は私とほぼ同い年で小学生の時に宮崎に引っ越す。私は中3から高3まで宮崎に住んでいたので、最初「新興住宅地」と書いてあり知っている人だろうかとすら思った。けれど彼女の学区は「西高」で私は「南高」だったので少し離れたところに住んでいたみたいだ。私立の中高一貫校とか、名前さえ書いたら合格するような私立高校など、もしかしたらあそこかも、と思った。ちょうど世代なのでニュースとか、いろいろと共感することが多かった。
母親を捨てるというのはとても難しいことだと思う。
虐待を受けていても母親を捨てる決断までできる人はあまりいないと思う。
とても苦しいテーマの本だったが面白かった。