ケモノたちがはしる道
黒川裕子
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刊行日 2023/11/09 | 掲載終了日 2023/11/09
ハッシュタグ:#ケモノたちがはしる道 #NetGalleyJP
内容紹介
都会っ子の千里は、ゲームやおしゃれに夢中の今どき中1女子。秋のある放課後、家でふだんどおり親友の理香とゲームに熱中していた千里に、母が突然、「熊本のジジさまのところへ行って、ケモノを獲ってみない?」と持ちかけた。いつもなら「行かない」と即答するところ。
でもその日に限って、父に夕食の支度を手伝わされた時に見た、手羽先肉に残っていた羽に感じた違和感から、〈死んだ肉〉と〈生きた肉〉についてぐるぐると思い悩んでしまっていた千里は、思わず、「……うん」と答えてしまった。
戸惑いつつも意を決し一人降り立った熊本空港で千里を待っていたのは、生粋の〈もっこす〉の祖父=ジジだった。ジジと猟友会仲間のおじいちゃんたち、地元の中学1年生ながらすでに罠猟マニアの蒼太らとの出会いと交流、そして罠にかけられ、目の前で命を仕留められて肉と化すシカやイノシシを見るうちに、千里の中で〈命〉への思いが揺らぎ、変化していく。
出版情報
発行形態 | ハードカバー |
ISBN | 9784863897625 |
本体価格 | ¥1,300 (JPY) |
ページ数 | 152 |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
主人公は、モンスター狩りのゲームと
SNSが生き甲斐という中学1年生。
バーチャルの申し子のような彼女が、
急遽、熊本の祖父の元を訪れることになり、
濃密な数日間のなかでリアルの狩猟と
向き合うことになります。
新鮮な驚きの連続でした!
どこにでもいそうな都会っ子の目線で、
ケモノが食べ物になっていく現場を追体験できる
とびっきりの一冊ですね。
正直なところ、
生々しいのは苦手だと思っていたのですが、
気づけば食い入るように読み耽っていましたよ。
猟での命のやりとりには、
心の奥底まで揺り動かされました。
こんな凄い作品、他に知らないです。
食育って言葉がありますが、
本当はこういう根っこの部分から
ちゃんと理解したほうがよさそうですね。
フワっとした印象の主人公が
ズシリとくる現実を思い知ったあとで
どのように変わっていくのか?
ぜひ、注目してください。
(対象年齢は11歳以上かな?)
親友とゲーム配信をやっているイマドキの女子中学生、チサト。
ひょんなことから母方の父、ジジの家に遊びにいくことになり……。
肉と言えば、スーパーで売っているもの。生きていた頃の姿や命のことなんて考えてもいなかったチサトがケモノと向き合った四日間。
思ったことをズバズバ言うチサト、様々な思いを持って害獣と向き合うジジさまたち、夢と情熱を持つ蒼太のキャラのおかげで物語にぐいぐい引き込まれます。
取材力がすごい。
狩猟のこと、猟友会のこと、山のこと、ケモノたちのこと。
大人ですら知らないことがてんこ盛りです。
ケモノや猟の描写はかなり生々しく、臭いや温度までもがまざまざと伝わってくるほどなので、読む側に若干の覚悟というか耐性がいるかもしれません。
でも、この描写が本作の大きな持ち味であると思います。
最初のチサトと同じくスーパーのパック肉しか知らない子たちにぜひ読んでおいてもらいたい。
チサトや彼らがこの四日間をどう受け止め、その貴重な経験をどう活かしていくのか。どんな未来を選び取るのか。
そういったことを考える一冊でした。食育、命について学びたいときに。
リアル半分デジタル半分に身を置いているような現代の子供だけではなく大人にも苦く刺さる物語でした。
我々が日々食しているお肉が もとは命で どういう生き物だったのかということを知識としては知っているけれど、自分の五感を通して得た経験では無いからともすると忘れているのではないかということをあたらめて突き付けられたような。
お肉同様、どこかで日々起きている痛ましい事件や紛争も、きれいにトリミングされ、モザイクを入れられ加工された状態で届いくことが当たり前で 完全に他人ごと。
そういうことが当たり前になっている世の中に一石を投じる物語だったなと。
この本を親子で読んで、世界を変えるのは難しくとも まず、しっかり食卓で目の前のご飯を残さず食べることを大事にできたらと思います。
生きているってどういうことなのか。
それは、ただそこに漫然と存在している事ではない。
確かに存在するのに、現代社会によって見えにくくなっている(いや見ないようにしている?)一つの生命一つのケモノとしての自分が生きているという事、その土台にあるもの。
「生きている」という事はこんなにも美しい事なんだって、感動した。
そしてそれをより見ないように自動化されていく世界に、改めて恐ろしさを感じた。
とにかくすごいリアリティ。迫真の筆致。狩猟の様子もさることながら、街並みや山の風景などが目の前にせまってくる。
作者は猟友会の人ではないと思うけど、これはかなりの経験(取材?)をしたんだろうなって思った。熊本出身なのかも? それくらい言葉も情景も作者の中にしっかりとある。それがすごい。そこにこのテーマを描く事の責任の重さと作者の覚悟を感じた。
先日も街に熊が出て人を襲ったニュースが出ていました。熊が悪いわけではないと射殺に賛否がありました。
確かに獣たちが悪いわけではないかもしれないけど、被害に遭うのも住民にとっては迷惑です。
そんなタイムリーな時にこの本を読みました。
趣味で狩猟をしたいけど、害獣駆除のために狩猟することになっているという現実。そして、私たちは命を頂いているということ。
子ども達には、知っておいてほしい内容です。
中1ゲーマーの千里が母の熊本の実家で「もっこす」の祖父と体験したリアルな命のやり取りの物語。ジジとともに箱わな猟をすることで一対一獣同士命と命のやり取りをすることを学ぶ。自然と自分をねじり合わせる=共存とはこういうことかとはっとする。人であれ獣であれ、命をリアルに感じられないのは現代に生きる私たちみんなに共通することかもしれない。他国で起こっている戦争を他人事としか考えられない私たちが今、読むべき物語だ。
勢いのある文章と、繊細な設定と描写で、一息に読んでしまいました。イノシシやシカの罠猟に初めて触れた中一女子、千里の、短い日数での変化が魅力的でわくわく。ケモノの習性や姿がいきいきと描写されていて、勉強になる。ちょっとしか出てこないけれど、母親の凛さんのキャラが強烈で魅力的。シカの瞳の色の美しさは今晩の夢に出てきそうです。
友だちとゲーム配信をするのが楽しい中一の千里は、スーパーで買ってきたパックの鶏肉に羽根が一本くっついているのを見て、キャーッと騒ぐような子だった。
ゲームが得意なので、ドローンを使って適地を攻撃したニュースを見て、「リモコンで操作するんだから、わたしにもできそう」と思う。
千里の母は、そういう千里を見て、熊本で害獣駆除の仕事をしている千里の祖父のところに行かせた。
たった三泊四日の出来事だったのだが、スーパーで売られているパックに入れられた鶏肉ではなく、実際にさっきまで生きていたものを殺して解体して、その肉を頂く、という経験をした後では、戦争のニュースを見ても感じ方が全く違ってしまった。
テレビで見る戦争のニュースは、パックに詰められた鶏肉と同じで、まったく現実味がないものだったが、千里は、この熊本での経験で、映画やゲームと同じように見えていたものが、実際に人の命が失われているということを考えられるようになった。
実際に害獣駆除や戦争の現場に行って、そういう経験をすることは、今の日本ではまず不可能だと思うから、こういう風に本の中で、千里と共に読者が経験出来たらいいと思う。
それくらい、匂いや温度を感じる素晴らしい描写であった。
デジタルネイティブでSNS配信にのめり込む中1の千里。都会の子としておもしろおかしい毎日を過ごしている千里が、母の実家、熊本のジジの家に赴くこととなる。獣を狩るのだ。ちょうど手羽先に残っていた毛を見て「死んだ肉」と「生きた肉」に引っかかりを覚えた時だ。もっこすのジジは猟友会で害獣の駆除をやっている。生の獣を生け捕ったり、罠を仕掛けて仕留めたり、三泊四日の濃い時間が千里を揺さぶる。同じ中1ながら罠猟オタクの蒼太に反発しながらも学ぶところに気づく。命とは何だ⁉︎生と死とは⁉︎血生臭い解体現場に青ざめながらも、食らいついた千里。まさに命のやり取りなのだ。猟友会の爺さんたちのことばの重みにどきりとしながら、自分も試されているのだなと感じた。
東京で育った中1の千里。それは晩御飯の準備をしていた時に見た手羽先に残っていた一本の羽毛。驚きのあまり落としてしまった。それがきっかけで、熊本の山にある母の実家で狩猟を経験した。そこで彼女が見たものは、「ウジ(ケモノ道」、「終わらせた命」と「生まれる肉」。人間の住む里まで出てきて害獣になるシカやイノシシ。かつては共に暮らしていた目の前の肉と向き合い、「命」と「生」を考えていく。お寿司の魚が本来の姿として見えにくいのと同じく、肉も本来の姿がある。わかってはいるだろうけれど、ものの「姿」を知る事は大切。
生々しい描写もあるけれど、目を逸らさずそれを含めておすすめしたい。
「命をいただく」ということを若い世代に問い直す好著。
まず手羽先のブツブツに違和感を感じるというくだりが非常に印象的。うちの子供たちも鳥の皮を嫌がる。独特の食感と、たまにあるブツブツとした部分。
その違和感を抱きつつ、ジジのところで狩猟を体験する。生きるものが食糧に変わっていく様を間近に見て、主人公は人間的に成長していく。
なかなかテレビでは表現しにくいところだが、このリアルを書籍で体験できるのは貴重。
ぜひ飽食の若者たちに読んでほしい。
THE都会っ子な主人公の千里があるきっかけで、熊本の母の実家を一人で訪れ、山で命のやり取りをする祖父とその仲間たちに新たな価値観を教わる物語なんですが、序盤にででくる生存競争に勝てる気しかしない存在の母が規格外の強さを放っていて一瞬、母が主役なのか?と思ってしまうくらい。
毎度食事の支度をしたいるから鶏肉に処理しそこねた羽の残骸があっても肉を投げるような拒否の仕方はしないけど、もわっとする気持ちはあるので『ぎゃぁぁぁ~』という反応は理解できる。祖父の家ではもっとショッキングな場面に出会うし、なんだかんだ思いはありながらも食らいついていく千里の姿は逞しくて、環境の変化が彼女な奥底に眠っていた部分を覚醒させたようでした。
知った後では自分の中のなにかが変化したと感じる千里の少し大人になったような感覚と、知る前に戻れないけどそれでいいと前向きな空気が好みど真ん中です。
普段は意識してないけど、食べる食べないに関わらず命を消費して“生きている”ことに気づかされた、そんな作品。
罠にかかったケモノと対峙するときの迫力や、動物から肉へなっていく生々しさは、真に迫るものがあった。
けれど千里が偉いのは、それをただ気持ち悪いで終わらせないで、その正体をつかもうと再び山に挑むところ。
命をいただくこと。生活を守るために、ケモノの命をとること。それらに、わかりやすい答えが出ることはない。
自分で考え始めるきっかけとなる作品。
手羽先についていたたった一本の羽毛、そしてそこから始まる山の生き物の「生」と「死」の話。一見、重そうなテーマだが、都会育ちでゲーマー女子の千里(中1)の視点から、生きているものが死んでいくとは、また死んだものが生きた肉として生まれ変わるとはどういうことか、がリアルに生々しく、そして分かりやすく描かれている。「罠猟」という言葉には全く無縁だった千里が、母の生まれ故郷熊本に行き、祖父の「ジジさま」の側で山のケモノ駆除を目の当たりにする。一見、無愛想で「もっこす」の「ジジ」、「猟友会」の仲間、そして千里と同じ学年ですでに「罠猟マニア」の蒼太との出会いを通して、千里の心に少しずつ変化が生じていく過程は、とても共感ができ、また嬉しくもあった。自然とケモノ、そして人間が共存できる社会が理想だが、そうではない現実もあり、またそれを知ってしまったら知らないことにはできない。「だれかがやらんと。」ー千里が大津に来てから繰り返し聞いた言葉が、私の頭の中でもリフレインしている。
生き物と食べ物の境目を描いた作品。
お肉はおいしく食べるのに屠畜場の写真は気持ち悪い、怖いと言いがちな生徒たちに、
命をいただいて自分たちの生命を繋いでいることを考えるきっかけになりそうな本は、
ときどき紹介しているのでその1冊に加えられるかと思ってリクエスト。
わな猟や解体の様子などは文字からの想像だけでは具体的に思い浮かべきれないながら、
ウジ、その見え方など、グワっと視覚的に浮かぶ初めて知ることなども、
スマホが手放せない中学生という生徒たちから遠くない視点から描かれているのがいい。
ただこれは出版社自体への注文になるかもしれないですが、
羽田空港にJRがないことくらいは著者が気付かなくても誰か直すべき。
本筋と関係のない部分でも現実ベースの話だけに事実に基づかないと、
そこで物語の世界からザッと冷めてしまうことにもなりかねないから、
もっと世に出す前に校閲をして事実誤認だけでなく誤字をなくすなど、
静山社は出版社として本をたのしむ人への配慮に欠けるのが大変残念。
校閲がダメな本を読むとそのような引っ掛かりなく読める本の有り難さを痛感します。