列
中村文則
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刊行日 2023/10/03 | 掲載終了日 2023/10/02
ハッシュタグ:#列 #NetGalleyJP
内容紹介
『銃』『掏摸〈スリ〉』『教団X』につらなる……中村文則の最高傑作誕生!
「君だって、列に並びたいから、並んでたんだろ?」
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ある動物の研究者である「私」はいつのまにか「列」に並んでいた――。
先が見えず、最後尾も見えない。だれもが互いを疑い、軽蔑し、羨んでいる。
この最低最悪の現実に生きる「私」(たち)に救いは訪れるのか?
「あらゆるところに、ただ列が溢れているだけだ。何かの競争や比較から離れれば、今度はゆとりや心の平安の、競争や比較が始まることになる。私達はそうやって、互いを常に苦しめ続ける」
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中村文則(なかむら・ふみのり)
1977年愛知県生まれ。福島大学卒業。2002年『銃』で第34回新潮新人賞を受賞し、デビュー。04年『遮光』で第26回野間文芸新人賞、05年『土の中の子供』で第133回芥川賞、10年『掏摸』で第4回大江健三郎賞受賞。『掏摸』の英訳が米紙WSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)の2012年年間ベスト10小説に選出される。14年、日本人で初めて米国でデイビッド・グディス賞を受賞。16年『私の消滅』で第26回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞。他の著書に、映画化もされ話題となった『去年の冬、きみと別れ』の他、『何もかも憂鬱な夜に』『教団X』『あなたが消えた夜に』『R帝国』『その先の道に消える』など多数。エッセイに『自由思考』がある。
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【 編集担当者より 】
ゲラをお読み頂いたら、ぜひレビューのご投稿をお願いいたします!!
著者・担当編集者ともに楽しみにお待ちしております。
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★
発売前作品のため、ネタバレや、読書メーターやブクログなどNetGalley以外の外部書評サイトで発売前にレビューを投稿することはお控えください。
ご協力の程、何卒宜しくお願い致します。
★★★★★
作品の拡材や指定配本をご希望の書店様は
恐れ入りますが<講談社 出版営業局>まで直接お問合せをお願いいたします。
★★
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出版情報
ISBN | 9784065333396 |
本体価格 | ¥1,400 (JPY) |
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決して長い小説ではないにもかかわらず長編を読んだ様な濃厚な読後感。
時間が経てば経つほどに自分の立っている場所がどこなのか?と考えてしまう。
自分の持っている「整理券」は何だろうかと気にはなるけれどまずは両の足でしっかりと地面を踏みしめて立つところから始めてみたい。
そこが平らな地面かさえわからないけれど。
その列は長く、いつまでも動かなかった。
列ではなく円である可能性、はたまたそもそも列ではない可能性。
あらゆるところに溢れている列。
人間そのものを列になぞらえたのはともすれば安直の謗りを免れ得ないが、物語がそれを凌駕するのはさすがの一言。
先頭も最後尾も見えない、何もかも謎の「列」にいつの間にか並んでいた男。不可思議な「列」を「人生」に重ねて描いた、人間心理の深層に切り込んでいく中村文則の新境地。
独特過ぎて困惑する部分、凄くリアリティをもって共感する部分、そういう事もあるかもとなんとなく理解する部分。ただただ全てに人間関係が表れていて、絶対的な形容の巧さに鳥肌がたった。
「列」に並ぶ人たちの人間模様を描いた第一部は、誰しも経験した事があるであろう不安や優越感を、少しのスリルを加えつつ面白おかしく展開され、この本を読む「列」から抜けられなくなった。
なんとなく型に嵌まる事で、何かを熟した気になっている惰性への煽り。軌道修正に変換出来るポジティブな脱落の形。どこかしらの「列」に並び続ける事への激励。
自分は紛れもなく社会の一部で、はみ出される事はない、という圧倒的な安心感に救われた。
作品の紹介に「『銃』『掏摸〈スリ〉』『教団X』につらなる……中村文則の最高傑作誕生!」とあったので、この流れの作品なのかと思って読み始めたら、いい意味で全く予想を裏切る「奇妙な味」の一作だった。
この作品は、「列」に並ぶ人を描く。
人は「列」に並ぶとき、幾つもの選択をする。列をなしているときに、並ぶべきか、止めるべきか。複数の列があれば、どの列に並ぶべきか。並び始めて列が進まぬとき、そのまま並ぶべきか、諦めるべきか。
そんな心の葛藤が、人を異常な思考に誘う。
「列」は異次元、異世界への入り口。読後そんな気持ちになった。
容赦なく心を抉ってくる。人はいつだって、もしかしたら一生「列」に並ばざるを得ないのかもしれない。自分の前には人がいて、自分の後ろにも人がいる。はみ出す勇気もなく、窮屈であり、屈辱的かもしれないが、本当はみんな気づいている。他人と同じ行動をとるという安心感に。これまでの中村文則に変わりがないが、表現に深みが増したように思うし、人間心理への鋭い視点が加えられている。そして絶対悪は登場しない。中村文則の第二章が「教団X」から始まったとすれば、これは第三章の幕開けだ。彼の言葉にいつも救われている。中村文則が大好きだ。「共に生きましょう」「楽しくあれ」
なぜ「列」に並んでいるのか。
私たちは常に列に並んでいる。
一度並んだら途中で抜ける事も出来ない。抜けてもまた違う列に並ぶだけだ。
150ページあまりの作品。人の心を抉るのにページ数は関係ない。どれだけその世界に心を掴まれ考えさせられるかなのだ。ただただとんでもないものを読み、人間の本質とは真理とはと考え続けた。
考えていても私は今日も列に並んでいる。
抜け出せない列に漠然と並ぶのではなく、「楽しくあれ」と思い書き続けながら列に並びたい。
人生は「列」だらけ。
「列」があるから人は苦しく生きづらい。その中でもがき、前進するために悪事をも厭わない。
それなのに一方で、「列」の中にいるから人は安心し、幸福を感じたりもする。
「列」の先頭がどうなっているのか、自分がそこに辿り着けるのか、常に疑念と不安がつきまとう。
不安定な「列」の中で、私たちはどうやって自分を保って生きていけばいいのか?
その答えが、実は最初からはっきりと道に刻まれている。それなのにその意味に気付かず見過ごしている。
当たり前のようで実は最も大切なその言葉とはーーー
今回、この言葉に背中を押され、レビューの「列」に並んでみる。
これまで、比較や評価が怖くて勇気がなかったけれど。この作品に出会えて「列」の見え方が変わった。
この言葉の意味に気付いた時、心が救われた。出会えてよかったし、何度も読み返したい。
なんのために列に並んでいるのか。先頭も見えなければ最後尾も見えない。誰かが抜けたとたん、嬉々としてその隙間を埋める。その列に加わった人は、つい先程起きたことも覚えていない……。
ずっとこの調子で続くのかと思いきや、第二部に入ると種明かしのような展開になる。主人公の名前や職業が判明し、列に並んでいた人たちも皆知り合いだとわかる。
そして第三部では再び列に戻る。だが第二部で判明した関係は覆らない。関係性が明らかになった分、第一部よりもつらいと感じる。
150ページほどの短い作品だが、作者の中村さんは二年半以上も費やしたそうだ。この作品からなにを読み取ればいいのか難しいが、その不条理さにやられた。
私たちは生まれたその日からなんらかの「列」に並んでる
久々に「文学を読んだなぁ」という気分になりました。特に第一部。
5W2Hがまったくこちらに提示されない状態で列に並ぶ人々の言動を
ひたすら困惑と共に読み進めました。
著者さんが2年半以上も費やして書かれた作品だから当然なんですが
150ページほどしかないというのに読後は自分の人生についても
考えさせられました。
先の見えない列。
何のために並んでいるのかさえわからないのに列から離れることができない。
自分より先を行く人が列から離れることに喜びを感じ、後ろから来る人の言動には警戒する。
人の心理が列に並ぶという行為に例えられゾクゾクさせられた。
そして、徐々に明かされる過去と、長年研究してきた猿の習性を絡ませながら、列の意味を悟っていく主人公がどうなっていくのか。
「楽しくあれ」
きちんと列に並び行儀がよいといわれる日本人には、特に響く言葉だと思った。
まさに私のストライクゾーン真ん中の不条理劇。1ページ目からサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』を思い出しました。別役実を彷彿とさせながら、絞め殺しの木・・・・・紫のワンピースの女・・・・・懐かしいのに今っぽい。
グロテスクなのにエンターテインメント。列に並ぶのは大嫌いだけど、自分の後ろに並ぶ人がひとりでも多くなるよう、今すぐ列に並んでみたくなりました。
この著者の作品を初めて読みました。純文学もあまり読まないので、とても新鮮でした。人類学はよく読むので、読みやすかったのかもしれません。
私たちの人生は列に並んでいるようなもの。誰かが列を離れたり、脱落すれば、自分の順番は前に進み、列の先にあるものはよくわからないけれど、嬉しくなる。列に並ぶ他の人に欺瞞や嫉妬を抱き、常に競争や比較にさらされる。猿も人間に餌付けされることで、階層が生じる。列から逃れられない人間社会に主人公が立ち向かおうとした行為に共感しました。他の作品も読んでみたいと思います。
ひたすら列に並ぶ男。先頭も最後尾も見えず、何の列なのかもわからない。全く動く気配のない列に並びながら男は夢想する。不条理さの漂う物語は哲学的になっていく。
第2部は一転、野生猿の研究をする非常勤講師の男の話。研究者としてうだつの上がらなさそうな男は成功を妄想する。
第3部は再び男が列に並んでいる。ここにきて読み手はようやく列が何なのかおぼろげに見えてくる。そしてゾッとしてしまう。
比べるものがないとわからない。下を見て安心したり、上を見て僻んだり。自分の人生や生き方、考え方を問われる一冊。わずか150ページほどだけど、当分この本のことが頭から離れないだろう。凄い本を読んだ!
列に並ぶ人々の描写。奇妙な始まり。抜けたり増えたり前後したり、はたまた別の列を羨み並び直したり、それに伴う出会いや別れ。横入りされたときには苛つくし、先がどこまで続くのかも気になる、前の人が抜け進める時には優越感のような安堵感を感じたりと列は確かに人生のようだ。主人公の人生を自分の経験と重ねて読んだ。
あとがきに2年半もかけて物語を書いた、とあったがページ数は少ないけれど重みのあるそして簡単には読めない物語だった。
男が列に並んでいる。何の列で、何の為に並んでいるのか分からない。この場所が何処なのかも分からない…。あ、やばい。これは不条理小説なのではと思うが読んでいる私も『列』に釘付けになっている。読み進めていくと男の名前や職業が判明する。だんだんと朧げにだが何の列なのか、何故並んでいるのがが分かってくるような気がする。不条理な上に哲学まで入ってくるのだから難解どころの騒ぎではない。再読必須だ。私にとって『魅力的ではある。が、どこが魅力的なのか説明出来ない唯一の作家』である中村文則にまたしてもやられてしまった。
列に並ぶ。何の列か、前に後ろにどれくらいの人がいるのか、なぜ並んでいるのか。鳥が飛ぶ。忘れたり思い出したり。前後の人の自分との関わりを少しづつ思い出す。人生とは。まさに列。先頭に何があるのか。いいことでもあるのか。
『現代社会そのものを描いた壮大なメタファー』
まあ列だった。とにかく列だった。読んでいてこんなにも情景が思い浮かばない作品はない。しかし、面白い。文学的且つ哲学的であるため読み手を選ぶかもしれないが、この独特なテンポで綴られる世界観を楽しんでほしい。
列から脱落者が出るたびに、口角を上げながら一歩前に詰める主人公。先が見えなければ、最後尾も見えない。どこに行きつくかもわからない。待っていても何もつかめない。それでも列に並ぶ。脱落者が出れば口角を上げながらまた一歩前に詰める。とてもシュールな光景だ。
この列に並ぶという行為は、人間の社会そのものを描いていると思う。勉強して良い大学に入り、大企業に就職して定年まで働く。少し前まではそんな画一的な価値観が良しとされていた。しかし、令和のいま多くの人がそんな価値観に疑問を抱き始めている。
ロールモデルがいないので、列からはみ出て道なき道を歩むことは大変である。列からはみ出ず、並び続けるほうが安心だ。でも、列からはみ出してみるのも良い。失敗してもまた最後尾から列に並べば良い。楽しくさえあれば。そんな読者の背中を押してくれる著者のメッセージを受け取った気がする。
ベテラン作家・中村文則さんの作品を久々に読みました。先の見えない列に並んで延々とひたすら少しずつ前へと進むのを待つ人々。最初はおどけたユーモラスも感じられましたが段々と殺伐とした気配で深刻さが漂って来て、これは単なる行列の出来るラーメン店で昼飯を食べようと並んでいるのではないなと気付き始めます。混沌として先の見えない不安に満ちた物語世界を思う存分に楽しみました。彼らは一旦帰る事を考えなかったのか、それとも帰る家は存在しないのか?欲を言えばもう少し具体的な進展を読みたかったですね。
列が表すものはなんだろう。寓意が込められたような第一部、とにかく人々は列に並び、列から抜けるものがいればつめられる。私、女、蟹に似た男。第二部にさしかかり、ストーリー性のある語り口に変化する。蟹に似た男も登場する。列とは進化を表すものなのか?それとも…。第一部で感じたことが第二部で少しずつ解き明かされて答え合わせをしていたような気がしたのに、おや、第三部に入りまたわからない。延々と並ぶ、列に。わからない、なのにわからないことに思索を巡らせる面白さ。不思議な作品だ。
街中でよく見る行列。何の列かわからないけれど、無性に並びたくなってしまう私にとって、興味深い物語でした。列の先頭はどうなっているのか、隣の列の方が早い気がするなど、人間の心の奥深くをが描かれた作品でした。
私たちは気づかずに並んでいる。生きていくために並ぶ。
それが本当に並ぶべき列なのか。それさえも分からなくなってしまう。
世間の普通と常識に流され、自分の意思さえも分からなくなってしまう現代。
安全地帯だと思っていた場所が、いつしか危険地帯へと変化している。
そんな、人生への警鐘を鳴らすような物語。
畏怖を感じるような一文一文に、一瞬でも気を抜くと、何度も吹き飛ばされそうになりました。読後、しばらく茫然自失。言葉を失うとはまさにこの事。まだまだ物語の余韻が覚めず、
「生きる」ということについて、多くの問いが、せめぎ合っています。
列に並んでいる。何の列かは分からない。なかなか先には進めない。先がどうなっているのか分からない。後もどこまで続いているのか分からない。前後の人とのゴタゴタ、交わり。列を離れると、もう列に戻れない。人生のメタファー。世の中、列が多すぎる。それでも並んでしまう。3部構成の中編小説だが、過去を描く第2部は必要だったのか。列で終始した方が、不条理小説として際立ったんじゃないかという気もした。
非常に著名な方なのだが、これまで作品を読んだことがなく、ゲラ頂戴してはじめて拝読。
ひたすら列にならびつづける人の群れ。なんのためともわからぬままに。そのまま待つか、隣の列にめをやり進み方を観察してみる。未知なるものへの不安。群集心理。かけひき。
突如として場面はかわる。人間関係の描写を軸に。
そしてまた列に戻る。
非常に短い作品なのだが、実験的で、解釈はいかようにもでき、言葉を噛みしめながら味わった。
列は人生で、人生は列だ。
中村文則さんの作品は結構色々読んだけれど、この作品はとても心に残る作品だったしむしろ忘れられない作品と言ってもいいかもしれない。
主人公は列に並んでいる。その主人公の気持ちに共感してしまう何とも言えない気持ちのいたたまれ無さ。罪悪感。そして気持ちよさ。第一章は何の列かもわからないちっとも前に進まない列にずっと並んだままでいる。
第二章になり、主人公が猿の研究をしている男だということがわかる。そして列に並んでいた人たちも登場する。列とこの人生の関係はなんなのか、この第一章と第二章はどういうことなのか、何だか少し気味の悪い展開に読む手が止まらなくなって来る。
そして第三章にはいると列と現実世界?がミックスされる。
列はなんなのか。
中村文則さんは天才だと思った。
誰しも経験のある長蛇の行列にまつわる不条理な物語。第1章は最後尾も前も見えない列に並んでいる主人公と周囲の軋轢を描き、第2章は猿の研究者である彼の日常とある出来事を描いている。3章仕立てでで語られる迷える現代人の心理と真理。第1章だけでもカミュや星新一のような奇妙な感覚が味わえる。