真逆の般若心経

「無」を「有」で読む

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刊行日 2023/06/01 | 掲載終了日 2023/10/04

ハッシュタグ:#真逆の般若心経 #NetGalleyJP


内容紹介

修羅の人生を見た元国際金融エコノミストが描く276文字の新宇宙

(本文より)

独行中一瞬の閃き、「無」を「有」に置き換える

還暦を控えた五九歳のとき、わたしは自分なりの大きな出来事に直面し、それを契機として国際エコノミストから転身、仏道修行の道に入りました。道場は山梨県甲州市にある向嶽寺の専門道場、師匠は瑞松軒宮本大峰老大師様でした。一五年の修行を経て七五歳のとき、老大師様のご厚意で塔頭の真忠軒に入らせていただき、そこで雑木や竹林を伐採、生い茂った雑草を取り除いて独り修行に励みました。

この真忠軒の庭で、朝早く草刈りをしながら『般若心経』を観じていたときのことです。なぜか一瞬閃いたのが、『般若心経』の「無」を「有」に換えるという発想でした。おそらく「空・空・空…」「無・無・無…」と『般若心経』を観じ続けてきた積み重ねが沸騰点に達し、閃きが生じたのだと思います。この発想を論理的に示すと次のようになります。

『般若心経』には、「五蘊はすべて空である」と説かれている。これは「五蘊はすべて有る。しかもそれらはすべて実体が無い」という意である。

『般若心経』には続いて「五蘊は無である」と説かれている。

然るに、今ここに自分がいる。大地に草が生えている。自分は鎌で草刈りをしている。自分も、大地も、草も、鎌も存在している。確かにすべてが存在している。確かにすべてが有る。

とすれば「五蘊は有る」という『般若心経』があっても良いのではないか。

これは誰から見ても突拍子もない発想かもしれません。何しろ千数百年の間「無」を基軸に置いた『般若心経』が連綿と続いてきたわけですから当然です。しかしながら、仏教学者でも研究者でもないわたしには、この発想が学問的に正しいかどうか判断がつきかねています。私は「無と有は表裏一体」と考えていますが、そのためとりあえず、「『般若心経』の無の字を有に換えるとどのようなお経になるのか」、試してみるつもりで本書を執筆してみました。


修羅の人生を見た元国際金融エコノミストが描く276文字の新宇宙

(本文より)

独行中一瞬の閃き、「無」を「有」に置き換える

還暦を控えた五九歳のとき、わたしは自分なりの大きな出来事に直面し、それを契機として国際エコノミストから転身、仏道修行の道に入りました。道場は山梨県甲州市にある向嶽寺の専門道場、師匠は瑞松軒宮本大峰老大師様でした。一五年の修行を経て七五歳のとき、老大師様のご厚意で塔頭の真...


出版情報

発行形態 ソフトカバー
ISBN 9784833424981
本体価格 ¥1,900 (JPY)
ページ数 224

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水野さんは、白隠宗の僧侶である。白隠宗とは臨済宗妙心寺派から分かれたもので、江戸時代中期の禅僧で臨済宗中興の祖とされる白隠禅師にちなんだ宗派だ。現在は静岡県にある松蔭寺を大本山とした単立寺院の宗派となっている。
 水野さんは臨済宗の寺に生まれたが、なんと還暦間際まで国際エコノミストとして活躍していた。それが一念発起し仏教の道に戻った。現師匠は、臨済宗大本山向獄寺派の管長、瑞松軒宮本大峰老大使で、その世話で、向獄寺の塔頭である真忠軒に入って、独業を続けている。(ただ本人は我が白隠宗と言っているので、別に臨済宗に鞍替えしたわけではないようである)
 本書はそんな水野さんの語る般若心経論。「真逆の般若心経」というのは、般若心経には、「無」が21文字、「不」が9文字あるが、これを置き換えられないものを除いて「有」に変えたらいいのではないかということが思い浮かんだようだ。
 般若心経は元々は大般若経のエッセンスを短いお経にしたものであり、色々な解釈が可能でありファンも多い。日本仏教でも浄土真宗と日蓮宗以外の宗派は唱えているという。この教からインスピレーションが得られたという話もよく聞く。
 水野さんは1940年生まれだという。本書には82歳とあるが、誕生日が来れば83歳になるはずだ。この歳になっても、向学心旺盛なことには頭が下がる思いである。

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