清浄島
河﨑秋子
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刊行日 2022/10/26 | 掲載終了日 2023/02/13
ハッシュタグ:#清浄島 #NetGalleyJP
内容紹介
北の海に浮かぶ美しい孤島には“腹が膨れて死ぬ”謎の病があった。
原因は「エキノコックス」という名の小さな寄生虫。
未知の感染症に立ち向かう、若き研究者の闘いが始まる――。
海風が強く吹きつける日本海最北の離島、礼文島。昭和二十九年初夏、動物学者の土橋義明は単身、ここに着任する。島の出身者から相次いで発見された、「エキノコックス症」を解明するためだった。厳しい自然の中で懸命に生きる島民を苛む、未知の感染症を撲滅すべく土橋は奮闘を続ける。だが、更なる流行拡大を防ぐため、ある過酷な計画を実行せねばならないその時が来て……。
第21回大藪春彦賞受賞『肉弾』、第39回新田次郎文学賞受賞『土に贖う』、第167回直木三十五賞候補『絞め殺しの樹』など、文学界を席巻する最注目の著者、渾身の長編小説。
#著者プロフィール
河﨑秋子(かわさき・あきこ)
1979年北海道別海町生まれ。2012年「東陬遺事」で第46回北海道新聞文学賞(創作・評論部門)を受賞。14年『颶風の王』で三浦綾子文学賞、15年に同作でJRA賞馬事文化賞、19年『肉弾』で第21回大藪春彦賞を受賞。20年『土に贖う』で第39回新田次郎文学賞を受賞。22年『絞め殺しの樹』で第167回直木三十五賞候補に。他書に『鳩護』『鯨の岬』がある。
出版社からの備考・コメント
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おすすめコメント
デビュー以後、その圧倒的な筆力で高く評価されてきた河﨑秋子さんの最新刊です。
本作では、昭和の時代に寄生虫「エキノコックス」による感染症と闘い続けた人々を描きます。
手探りで未知の感染症に立ち向かうその姿は、今を生きる私たちにきっと力を与えてくれるはず。
先の見えない不安に覆われた現代にこそ、読んでほしい作品です。
(担当編集者より)
デビュー以後、その圧倒的な筆力で高く評価されてきた河﨑秋子さんの最新刊です。
本作では、昭和の時代に寄生虫「エキノコックス」による感染症と闘い続けた人々を描きます。
手探りで未知の感染症に立ち向かうその姿は、今を生きる私たちにきっと力を与えてくれるはず。
先の見えない不安に覆われた現代にこそ、読んでほしい作品です。
(担当編集者より)
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出版情報
発行形態 | ハードカバー |
ISBN | 9784575245707 |
本体価格 | ¥1,800 (JPY) |
NetGalley会員レビュー
感染してから自覚症状が出るまで数年から10数年かかるエキノコックス症の拡大を防ぐために
土橋たちが礼文島で行った策は辛いものでした。
人命が一番だとわかっていても葛藤し悔い、罪を背負い、病や偏見に苦しむ人々をなくそうと懸命に調査する姿に頭が下がります。
エキノコックス症は人間同士での感染はないですが、脅威を前に行政はどう対応すべきなのか、そして私達ひとりひとりができる予防とはなんなのか私達をいま苦しめているコロナと重なりました。
発展と病は隣りあわせ。
新しい病が現れる度にバトンを繋ぎながら闘いは続いていくんですね。
とても読み応えのある作品でした。
夫を海で失い息子を戦争に取られ、更に家族同然の愛猫を取られ、自ら命を絶つこともできずにただ海を見つめるお婆さんの姿を、ただ可哀想だが島のためには仕方なかったんだとそんな言葉で片付けられるだろうか。
寄生虫から島民を道民を守るためとは言えその為に大事な家族とも言える動物達の供出を迫られどれほどの苦しみを味わったのか計り知れない。そんな苦しみ哀しみに比べれば、
『恨まれるくらい、なんだ』
土橋の言葉にこもる決意に胸が張り裂けんばかりだった。
不治の病といわれていたもの、原因がわかっていながら有効な治療法がない病の特効薬や感染対策を見つけ出そうと日々研究しておられる科学者研究者医療関係の方々。そんな方達の努力のおかげでどれだけの病気や感染症に恐れることなく暮らせるようになったのだろう。土橋や小山内、大久保たちの奔走する姿は今まさに世界に蔓延している未知の病気と戦っている研究者と重なる。早く薬ができないかななどと軽口を叩いていた自分が恥ずかしい。
清浄島 読み終わると本当に美しい名前だと実感する。
奪われた時の島民と同じ目で科学者を見ない様、今この時に是非いろんな方に読んでほしいと思う。
「エキノコックス症」と 研究者の闘いが描かれ、とても読みごたえがある。
基本的な予防方法を啓蒙していく研究者。正しい方法だとしても感染拡大を食い止めるためには痛みを伴う。
原因や治療法が確立されていない時の感染者への反応は今も変わらないのではないだろうか。
昨年本州でもエキノコックスが定着したというニュースは衝撃的だった。
エキノコックスとの闘いはコロナ禍の今と通じるものがある。
「自分だけは大丈夫」その思いも同じだ。知らないからこそ怖い。だからこそ熱く闘う研究者たちの思いを通し、当たり前の感染対策を大事にしたいとも思った。
エキノコックスと北海道。大変な歴史だったんだなと、コロナ禍の今だからこそより強く感じることが出来ました。
登場人物たちの島を守るための厳しい決断には涙が出ました。
内容は重い部分が多いですが、礼文島の美しい描写。いつか清浄島へ行ってみたいと思います。
初めて読む作家の作品だが、ネットの記事によると「羊飼いをしながら小説を執筆」とある。これは面白くないはずはないと感じて読み進めた。
最近、仕事の関係で北海道に行くことが多い。といっても札幌の中でのロケばかりなので北海道らしさの全くないロケだ。自然豊かな広大な北海道を撮影したのはずいぶんと前。「花の北海道」というハイビジョンの試験放送用の番組のロケで、夏に1ヶ月ほどかけて北海道をロケした。利尻、礼文から美瑛や富良野など、自然豊かな土地を回って植物を中心に撮影した。
その時、ぜひキタキツネが撮影できればいいなと思ったが、全く希望は叶わなかった。しかし一方で安心したのが、キタキツネにはエキノコックスという寄生虫がいるのでうかつに出会わなくてよかったのかもと。
エキノコックスという名前には、なかなかのインパクトがある。初めて知ったのは北海道を舞台とした映画「きつね」でエキノコックスが扱われていたからだ。それ以来、なぜか「エキノコックス」という名前が記憶に残っている。トラウマ度では鳩の「クリプトコックス症」と同じくらいのインパクトがある。
小説は礼文島で流行したエキノコックスを研究する研究員が主人公。なぜエキノコックスが礼文で流行したのかを探り出す。寄生虫が流行するからには、感染源がいる。それを突き止め、流行を断たなければならない。そのプロセスはなかなかにスリリング。
研究員は辞令一つで、今の研究テーマから離れなければならないことがある。そのあたりのジレンマのもどかしさもリアル。
大学では都市工学という学問を学んだが、その中には「都市計画」と「衛生工学」があった。衛生工学は上下水道などを主として扱う学問で、私が専門とした都市計画は、どちらかというと建築へ社会学的なアプローチをする学問だったので、衛生工学にはあまり詳しくない。その初歩を学んだ程度だ。しかし「水」の大切さは実感した。
ある番組のロケでは、沢登りをしているタレントが川の水を飲もうとしてガイドに止められた。きれいな水なのにと思ったら、上流に昔の銅山があり、水にもその廃液が含まれているから飲用できないとのこと。ロケハン時には、多くの登山者が川の水を飲んでいた。すぐに身体に害があるというわけではないが、知らないということは怖いことだ。
羊を飼いながら文章を紡ぐ。そんな素敵な生活から生み出されたとは思えないほど熱く綴られた小説だ。
北海道最北の離島礼文島において繰り広げられる「エキノコックス症」の解明と、撲滅に向けての長い闘いの過程が、まるでドキュメンタリーのように整然と描かれている。
主人公土橋の公務員としての人間関係や離島の住民同士の人間模様は、昭和という時代をあまりにもリアルに反映していて、まだ40歳代前半と思われる作者が、本当は還暦過ぎているのでは?と疑いたくなるほど。
ただ、死に至る謎多き感染症との戦いという意味では、昭和という過去の時代に留まらず、現代にも通じる恐怖を感じた。
清浄島、の意味を知ったとき、それまでの過程を考えて暗く重い、でも明るさもみえてくるのを感じました。
礼文島という島で、あの時代だから行われた全頭処分、考えるだけで悲しく、辛すぎる処置。それを行う人たちもまたいつまでも心に残り、起きてはならないことだと、あの時代に薬があったらと思わずにいられませんでした。
読み応えある作品で、人物にも血の通った生々しさも感じました。
多くの人が手にとって、こういうことがあったこと、またその対策に動く人たちのことを知る機会があるといいなと思いました。
p345、17行目の文中
するいな→ずるいな
ではないかと思います。
北海道・礼文島を舞台に、多包性エキノコックス症という寄生虫による感染症を調査する衛生研究所の研究員の姿を描いた、実話に基づく作品。
大正期に山火事のせいで失われた森を再生しようとするも、若木を鼠に食べられてしまう。天敵である狐を放ったことで森は回復したが、狐を終宿主とするエキノコックスも持ち込まれてしまった……。
すべての生き物を愛する研究員・土橋が素晴らしい。彼と島民とのやりとりや、対策に難渋する姿に共感した。北海道でこうした感染症が起きていたことも知らず(なんとなく聞いたような気もするが)、現在のコロナ禍にも通じる怖さを感じた。
素晴らしかった。毎回違う題材によくもここまで読者を魅了できのだろう。前回とはガラリと変わり、半ドキュメントでルポとしても非常に読み応えがある一冊だった。不勉強で恥ずかしいが、多包性エキノコックス症はこの本で初めて知った。発端は悪意がなく放たれたキツネから、数十年後には島あげての大騒ぎとなるが、研究調査で訪れた土橋の奮闘ぶりにやがて島の人達も協力するようになり、長年の友情にも発展していく。土橋は全ての野犬ならず、島の人たちのペット全てを拠出してもらい、腸内に寄生虫がいるかを1匹ずつ調べるという、気が遠くなりそうな調査を黙々とやりつつ、最終的に寄生虫もたちが悪いのではなく、生存本能に従って寄生していることを悟り、それでも仕事に邁進して、結局は勝利を勝ち取るのだが、、それで物語は終わらないところからさらに面白くなって集中して読破。これは今年のベストに入るかも。次作が本当に楽しみ。
北海道でキタキツネと出会っても決して触ってはいけない。よく聞く話しだがこんな過去があったとは。
昭和29年戦後復興の最中、北海道最北端の島礼文島。「エキノコックス」という寄生虫の感染症患者は何故この島の出身者ばかりに発生するのか。それを解明すべく北海道衛生研究所の研究員が単身礼文島に派遣される。
主な仕事は寄生宿となるネズミや野犬、野良猫、キツネそれらを捕獲して解剖し体内にエキノコックスがいないか確認する。来る日もくる日もそれの繰り返し。やっとのことで確認できたのはいいが、観戦壊滅のためにの決断は島民にとっては非情で実に厳しい事だった。
史実に基づいた北海道感染症エキノコックス解明の物語です。
エキノコックスがなんなのかさっぱり知らない私が読んでも面白かった。
島民の一人になったような気分だったし、今のコロナの時代にも通ずるところがあって、昔の北海道の遠い話とは思えなかった。
昔から誰かが研究や広報に尽力してくれた結果が、今の私たちの安全な生活につながっているのを改めて感じた。
とても面白かった。エキノコックスと闘った研究者の20年。撲滅しなければならない寄生虫に対しても供養塔で祈りを捧げるシーンで、この人信頼できるなと感じた。虫は虫として生きてるだけなんだもの。そして人も一人一人が事情を抱えて生きている。その悲しみや怒りは、寄生虫対策の統計や報告書に記載されることはないけれど、統計の数字の背後には悩み苦しんだ一人一人の選択が積み重なっている。
感染を抑止するために住民たちに訴える主人公の言葉は本物だった。本気で葛藤して、それでも未来のためにやらなければならないと訴えるからこそ相手に響く。新型コロナ対策でそんなふうに響いた言葉がどれだけあっただろうかと考えてしまった。
完全なフィクションと思って読み始めましたが、エキノコックスは実際に存在してキツネなどが最終宿主になる寄生虫でした。
エキノコックスをめぐる差別や根絶させるための決断は、コロナ禍において経験したことばかりで、何十年も前の話でしたがとてもリアルに感じられました。
上下水道設備が整っていない中で広がっていったエキノコックス症、感染症との戦いで現代では衛生的には大きく進歩しましたが、代わりに容易く長距離移動ができるようになり、感染症を特定地域にとどめておくのが難しくなっています。
読み物としてとても面白い作品でしたが、現代のコロナ禍とあわせて考えさせられることも多くありました。
大好きな著者の作品をこうして読ませていただけることに感謝。
同じ道東に暮らす者の一人としての自分の心に、彼女の作品は常に重い楔のようにいつも何かを残す。個々の作品ごとに唸らされてきたので、新しい作品を手に取っても色々なことが想起される。自分にとって稀有な作家の一人である。
小学生として北海道に移住した私の子供たちにとって初めての血液検査が一斉に実施されたエキノコックスの検査だった。関東圏では当然そんなものはなかったので新鮮な驚きだった。この寄生虫に関する別の記憶はブラックジャックだ。彼が自分の腹を切っている衝撃的な場面を覚えている人はいないだろうか。
エキノコックス。こんなにも壮絶な戦いがあったとは。今まさに世界中が直面している新しいパンデミックを契機として、描かねば、と作者は思ったのではないか、話が終わりに差し掛かるにつれ、そんな気持ちが強くなった。普遍性だ。
河﨑秋子の作品においては、人間の(!)主人公がいて心情の描写も巧みな表現力と日本語の美しさも手伝って秀逸。しかしいつも「人間は主役ではない」という思いが残る。時に非情で残酷な自然の一部としての人間。今回は大きな健康問題を引き起こす寄生虫さえも自然の一部として弔うような気持ちが描かれている。河﨑秋子ならではだ。鳥肌が立つ。人間は自然の中心ではないのだ。
短編集「鯨の岬」で解説(桜木紫乃)にあった言葉が強烈だった。
「鯨以外の哺乳類はすべて絞めることができます」
桜木紫乃氏は、初対面の河﨑秋子氏から北海道の書き手が集まって会食した時の出会いの場所で聞いたという思い出として記される。初対面でのあいさつの流れとしてはハードだったという記憶と共に。道東根室で羊飼いとして暮らす著者の言葉としては自然だったのだろう。
重厚な大作だった「絞め殺しの樹」の主人公は、根室の地で公衆衛生に努める保健婦だった。当地での場面はミサエへのオマージュなのではないか。
エキノコックスとの戦いの中で、土地の人々との協力を仰いでの作業の中で、何が一番の大きな問題だったか、がしばらく読み進めてからわかってくる。それが見えてきた時の戦慄。なんてことだ・・・
研究者の執念、住民の矜持。そして、後からみれば明らかなような理屈、でも、その当時は手探りだった、ということ(研究者、の日々はそんなものなのでしょう)、それが見えてくる。きっと、「今」にも光を当てたいのだろう、いや、著者が意図していてもしていなくても、読者の心の中で光があたる、そんな文学の力だ。
人と動物とのかかわり。簡単な言葉で要約などしたくない、ぜひ読んで味わってみてほしい。
渾身のドキュメンタリーの体で描かれる、エキノコックス症との20年に及ぶ闘い。北海道、礼文島を舞台に、衛生研究所所員の土橋を中心とする撲滅への足跡。島民との齟齬、反発、よそ者の謗りを受けつつも、果てない剖検に心折れそうになる土橋が、それでもこの島の未来のためにという願いがようやく実を結ぶようすに一旦は胸をなでおろす。
が、12年後北海道本土で感染が確認され、拡大していくさまはこの3年のコロナ禍を思わせるものだった。止まらない感染、人の動き、生き物の動きとともに広がる事態を止める術はない。土橋の研究者としての成長、血の通ったものの考え方に甚く感動した。