川のほとりに立つ者は
寺地はるな
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刊行日 2022/10/18 | 掲載終了日 2023/03/15
ハッシュタグ:#川のほとりに立つ者は #NetGalleyJP
内容紹介
2023年本屋大賞ノミネート!
『ガラスの海を渡る舟』『カレーの時間』など、今大注目の著者が描く意欲作!
新型ウイルスが広まった2020年の夏。
彼の「隠し事」が、わたしの世界を大きく変えていく――。
カフェの店長を務める29歳の清瀬は、恋人の松木とすれ違いが続いている。
原因は、彼の頑なな「隠し事」のせいだ。
そんなある日、松木が怪我をして意識を失い、病院に運ばれたという連絡を受ける。
意識の回復を待つ間、清瀬は彼の部屋で3冊のノートを見つけた。
そこにあったのは、子供のような拙い文字と、無数の手紙の下書きたち。
清瀬は、松木とのすれ違いの〝本当の理由〟を知ることになり……。
「正しさ」にかき消されゆく声を丁寧に紡ぎ、誰かと共に生きる痛みとその先の希望を描いた、あの夏の物語。
●著者プロフィール●
寺地はるな
1977年、佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』で第4回ポプラ社小説新人賞を受賞し、デビュー。2020年度の咲くやこの花賞文芸その他部門を受賞。21年『水を縫う』で第9回河合隼雄物語賞を受賞。他の著書に『夜が暗いとはかぎらない』『どうしてわたしはあの子じゃないの』『声の在りか』『ガラスの海を渡る舟』『カレーの時間』などがある。
出版社からの備考・コメント
※発売前作品のため、ネタバレや、読書メーターやブクログなど外部書評サイトで発売前にレビューを投稿することはお控えください。
出版情報
発行形態 | ソフトカバー |
ISBN | 9784575245721 |
本体価格 | ¥1,400 (JPY) |
NetGalley会員レビュー
人間の奥深い心が感じられた作品です。
カフェ店長の清瀬がスタッフへの接し方、松木と同級生とのかかわりを読んで考えさせられました。私たちが当たり前のように行っていることをなかなかできないことに苦しんでいるひとたちを「障がいがあるから」と一括りにしていなかったかと。
そしてもう1人。生まれた境遇から誰かに依存しないと生きていけなかった女性が清瀬に放った言葉と、清瀬がその女性に「明日がよい日でありますように」と願う気持ち。
”深く包み込むような想い”にはっと心が洗われました!
テーマを言ってしまうとネタバレになってしまうから言えない。知らずに読んだ方が 登場人物に感情移入できる。
「無知」という罪は 知らぬ間に人を傷つけている。
読者はまさに、「無知」という罪を背負いながら読み始めた方が、読了後に 腑に落ちると思うのだ。
寺地さんはテーマを別の言葉で「羽化に失敗したセミ」と表現されているような気がする。まるで失敗作だから どうしようもない。
そう素通りしてしまうようなことも、
共感できる人が読んだら
胸をえぐられるようなツラさを感じるだろう。
テーマに対する結論や答えは無いかもしれないが、
「寄り添う」「共に生きる」なにより、「向き合う」「知る」ことが「救い」になる。
この問題に悩んでいる人や家族だけじゃなく、
会社経営者や、人の上に立つ人、学校の先生は 読むべき作品。
しかし なにげなく生活している全ての人が
きっと 傷つき傷つけている問題。
寺地さんの作品は 読了後に
心の中に灯りがともる。
どの作品も好きだけれど これはまた
別格だったなと思う。
さすがだな 読みやすいし、ページ数も200ページちょっと。
人権の作文や、小論文にも向いていると思われる。
中高生の読書感想文にも向いてる
『タイムマシンに乗れないぼくたち』を読んで以来、寺地はるな氏の作品は読むようにしているので、今回、飛びつくようにリクエストさせていただきました。
「普通」を求められると難しい、生きづらいという人は、以外に多いのに、100年前と変わらぬ画一的な学校教育や、近年以前にも増して強くなる「空気読めよ」の風潮が高まる社会の中で、「できない人」「頑張らない人」「やる気のない人」だと隅に追いやられる人のことが、「わからない」人がいかに多いことか。
もうそろそろ義務教育くらいは、その子に合った難易度のものをその子に合ったやり方で進めていけて、デジタル、アナログ問わず、もっと「普通に」支援を求め、受けられる世の中になってもいいと思う。
そうならないから、たまたま学校でその時習う学年相応の内容が難し過ぎただけの子供が「自分はバカ」だと自己否定感を強くしてしまったり、たまたま学校教育と相性が良かっただけの子供が他を見下すようになる。
などと、言いながら、私自身、進学できて、「大きな会社」に入れたのは、「自分が努力したからだ」と無邪気に思っていた頃があり、その頃は多かれ少なかれ、そうでない人を下に見ていたと思う。
結婚し、子供を育てるようになって初めて、自分の周囲以外に目が向き、綺麗事でなく、世の中には「色々な人がいる」ということを知った。そしていかに自分が恵まれていたかに思い至った。
この作品はかつての私のような「わからない人」の胸に届き、新たな扉を開くと思う。そして、「普通」を求められて「生きづらい」と感じている人にも届いてほしい。あなたが悪いわけではない、と伝えてほしい。
寺地さんの作品はなぜこんなにわたしの心を刺すのだろう。今まさに気になっていたことを物語という形でわたしの前で繰り広げられる。正直何が正解なのかわからないが清瀬の目を通して自分の中の何かが変わったのではないかと思う。
自分には知らない事ある。
知らないと言う事にも気付いていない、だから誰かを傷つけてしまってもきっと、知らないまま生きてゆく…そう考えただけでゾッとした、知らなかったで赦される事なんて無いのだから。
1人1人が精一杯日々自分を生きている。だから、つい自分の物差しだけで判断しがちになる。
でも彼女は彼はあなたじゃない、同じではないそんな当たり前の事さえ気付けなくなる時がある、きっと誰しもが。
読んでいて辛かった、最初は主人公の周りにいる人達、と言う曖昧な輪郭が少しづつ真実が明らかになる度にフォーカスがピッタリと合った様に確かな実体となって現れる、と同時にその心の辛さも我慢して生きてきた事も突き刺さってくる。目をそらせない現実がそれぞれにある。
彼らの生きてきた道に思いを馳せ、耐えてきた言葉に胸が引き裂かれ…私の言葉では到底言い尽くせない。
だから思う。
『想像してごらん』かの有名な曲を私は日常で思い浮かべる事がある。
想像は人間が与えられた人として生きていく為の、もしかしたら?1番大事なものかもしれない。そして、何よりも知る事へ向けての第一歩だと思う!そして、それがどれだけ足りていないかも。
この世に欠けているのは、ほんの少しの想像力と余裕なのかもしれない。
彼らの声が届きますように、そして声が上げられますように、生きやすくなりますように!それは全て私達の生きやすさに繋がっているのだから。
何から書けばいいのか、感想がまとまりません。いろんな感情が溢れて溢れて止まらないのです。
自分に突き刺さる言葉が多すぎて、共感、反省、気付き、心にぐわっと語りかけてきました。私は清瀬側だったので…まるで天音さんの叫びのように、この作品全体が「むきだしの、血を流している傷口みたいな声で」訴えかけているんです!
しかも、「むきだしの、血を流している傷口みたいな声」という表現、最上級にぴったりです。痛い程伝わります。むしろ痛いです!
そして「無知」という罪。これなんてたぶんほとんどの人が気付かないうちに、悪気なく犯している罪だと思いました。もちろん私もそうなので、めちゃくちゃ考えさせられました。
この作品を読んだ人(読むであろう人)のまわりにも、品川さんやいっちゃん、天音さんみたいな人がいると思います。私にも身近な所に品川さんがいます。
この作品を読んだ人が、私が、自分のまわりいる彼等を大切に出来たらいいなと心から思いました。
そして、明日がよい日でありますように。なんて素敵な言葉なんでしょう!決して相手に押し付けることなく、こちらが勝手に相手の明日を祈る。とても好きです。
相手に直接伝えることができなくても、せめて心の中で願いたいと思いました。
この素敵な言葉を忘れないように大切にします!
最後に、タイトルがすごいです。私も川のほとりに立った時、川底に沈む石の数を知らなくても、その沈んだ石がそれぞれ違うことに気付けるような人に成長していきたいと思いました!いろんなことを気付かせてくれる、素晴らしい作品でした!ありがとうございました!
あなたは上から目線だと、他者から言われることがある。その言葉は深く刺さる。フラットな目線を持ちたいと希っているのに、なぜだろう。それにどこがなのだろう。自分ではそれがわからなくて途方に暮れる。刺さったままの言葉を戒めにしようと、楔として自分でさらに自身に打ちこんできた。
この本を読んで思った。
そうやって私を責めた人たちは、彼女たちが自分で思っているような公平な目線を持っていたんだろうか。
もしかしたら私は、彼女たちの言葉を自分にさらに刺しこむことなんか、なかったんじゃないか。
この考えに手を伸ばすのは、傲慢の始まりかもしれない。
それでも。
この本を読むと思う。
川べりの人は、水底の石を知らない。
同じように、梢の葉のことも知らないだろう。
人は、自分の立ち位置からしか見えない。それは咎め立てすることじゃない。そこからは何が見えるのかどう見えるのかを、ほんの少しでもいいから慮るゆとりがないことが、駄目なのだと思う。
他者の立ち位置から見える景色を責め合わずに、尊重できるような人間関係を作れたらいいな。
描かれている以上のことを考えさせてくれる本だった。
読んでよかった。
どんな人にも良い面も悪い面もある。
今見ているものは、その人のごく一部だと言うこと。
そんなことはわかっている。
いやそれ、本当にわかっているのか?
私達はいつも自分の考える枠を相手が超えてしまうと「わからないこと」にストレスに感じる。
なぜ隠すのだろう、打ち明けてくれないなんて冷たい人だと一方的に傷つく。
そして自分の「正しさ」をぐいぐいと押し付けてしまう。
寺地さんの今作は、読み終わって数日経つがボディブローのようにじわじわと効いてきて私の日常にふとした時に現れている。
いい歳になっても私はまだ狭量で未熟者だと感じる。
私は自分勝手で独りよがりの人間だ。
ちゃんとそんな自分であると自覚して人に対して向き合いたいと思う。
きっとこれからも傷つけ合うのかもしれない。
それでも誰かと寄り添い関わって生きていきたいと思った。
どこまでも、いつまでもだ。
「何故、できないのか」「どうしてそんな考え方しかできないのか」
人に対して、そう思う時、自分の中に上から目線の驕りがあることに気づけるだろうか。
否定から入っては、その人の本当の姿は見えない。
寺地はるなの作品には、読む人がそれぞれの人物の視点に立つことができる。
だから、共感できるかできないか、改めていろんな角度で考える。
環境を選んで生まれてくることなど、誰にもできない。
傲慢さをもって、人に干渉をしてはいけないし、
差し伸べられた手を邪険に振り払ってもいけないと思う。
あってはならない格差。
「無知」であることに気づき、互いの立場を思い、助け合うことこそ、
それを無くす術だと信じたい。
是非、いろんな人に手に取ってほしい作品です。
私はこれまで何を見ていたのだろう……。
最後のページに記された文章を心に刻みつけて生きてゆきたい。
そう思える作品でした。
川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない。
でも 清瀬は水底の石がそれぞれ違うことを知っている。
川 自身も知らない石が沈んでいることも。
あるものは尖り、あるものはなめらかに丸く、
またあるものは結晶を宿して淡く光る。
人は石を様々な名で呼びわける。
怒り、痛み、慈しみ。あるいは、希望。
松木の小学校の卒業文集には泣けた。
すばらしい作品です。寺地はるなさんの代表作になるでしょう。
大好きな寺地先生の新作。
自分が物語の内側にいるのか外側にいるのかわからなくなるくらい入り込んでしまった。
人を想うことって、人と関わることってなんだろう。
考えが至らなかった無知な自分に打ちのめされる。
出来るなら今、この時から、見えるものだけでなく その先に、奥にあるものにも気付ける私になりたい。
そして誰かの明日の幸せを祈れる人でありたいと思った。
心の中にいつも置いておきたい大切な本です。
普段当たり前だと思っていることが当たり前ではないこと、人間はひとりひとり違う個性を持っていること、そんな分かっているつもりの物事を本当にあなたは深く考えたことがあるのかと問いかけられたように感じた。そして無意識のうちにある自らの傲慢さに気付いて震えた。すごく嫌なヤツに思えた登場人物の発言だって自分の中にないとは言い切れないしそれを隠して生きている自分の卑劣さに苦しくなった。
寺地はるなさんの作品はいつも読み手に気づきを与え、考えるきっかけを作ってくれるように思う。たとえそれが正解や答えのない問いであったとしても。一緒に考えて明日は今日よりも良い日にしましょうという願いがこめられている気がする。明るい光がさしたようなラストに希望が見えた。心の奥底まで響く作品でした。
知識として知っていても本当にわかることは難しい。わかっていても、いまだにどう接していいかわからないと、あまり近づかないようにしていた。それも後ろめたかった。読んでいて、わからないのは当たり前だと、川底の石は見えないのだということは理解した。そこで安心してはいられない。どんな石がわからないで、どうやって対処すればいいのか。その人そのものを受け入れるって、言うのは簡単だが、結局どうすれば良いのかは、考えるきっかけにはなったがまだわからないままだ。あいつはどうしようもない、と批判するのも、しかたないよねあの人は、と諦めるのも、どちらもダメ。難しい。
主人公清瀬と一緒に川に沿って旅をし、色々な景色を見せて貰った。真実がわからない不安、同僚への苛立ち、自分への嫌悪、友の癒し、そして確かな愛情。負の感情を含めて自分を肯定してくれる優しさに包まれた。最終ページの「川のほとりに立つ者は水底に沈む石の数を知り得ない~」の四行が美しい。詩を読むように何度も口ずさんだ。
何が正義か、何が正しいのかそればかりを気にして自分を出せない、周囲に気を使いすぎて知らず知らずのうちに我慢して爆発する。しかも本人は我慢しているなんて思っていない。『ちょっと頑張れば』『些細なことだし』な感覚
そういう人たくさんいると思う。
私もその一人。主人公の一人清瀬に感情移入しながら読んだ。
特別に悪い人なんて登場しないのに、人と人とのつながりが絡まりあって問題が起こりそこから周囲に、そして自分に目を向け視界を広げていく、読者にそれを語りかけてくる。
ディスレクシアとADHDという見た目にはわかりにくい症状についても考えされられる。
症状に目がいって、彼ら自身に目を向けていますか?
自問自答した。答えは【否】
知識や情報が先走り、その人自身を見るのが二の次になっていないか?
別の角度から見ると違ったところが見えてくるというのに・・・
【誰が】見るのか、【誰を】見るのか、【何を】見るのか、【何が】見えているのか・・・
【ほんとう】なんて誰にもわからないのだと
穏やかな文章でそれを魅せる寺地はるな先生のこの物語を、私は【繰り返し読みたいくらい好き】だと思った。
どんな人もみんな自分を守ろうと、様々な鎧をまとって生きてるんだな~と感じた。歩み寄ると迎え入れてくれる人もいるし、天音のように堅く閉ざして受け入れてもらえないこともある。それでも、ちゃんと自分で考えて、知ろうとするってやっぱり大事だなと思います。松木といっちゃんが目を覚ましてくれて良かった。天音といっちゃんが再び共に歩ける日が来ますように!!
寺地さん読んだのはまだ3作目なのですが、1番好きでした。
「みんな違ってみんないい」「みんな個性だ」みたいな綺麗事なだけの話じゃなかったです。
主人公の清瀬に自分がすごく重なり苦しくなりました。まじめでがんばりやは時に狭量という短所になる… 自分のことを言い当てられたようでドキリとしました。
登場人物みんな短所があって、それが人間臭くて良かったです。
清瀬と松木のこれからをすごく見たいと思えました。切なくも温かいラストでよかったです。
LDという学習障害は知っていたので冒頭でピンときたのですが、知らない人にもこれを機に知ってもらいたいです
知りもしないのに知ったような顔をして、わかりもしないのにわかったようなふりをして。そんな風に誰かを傷付けてきたんじゃないだろうか。
ここに出てくる人たちの様々な事情。
知識として知ってはいるけれど、身近ではなかった。でももしかして。本当はすぐ側に苦々しく思っていた人に出会っていたのかもしれない。
本を読むということは知るということ。想像するということ。考えるということ。
無知は残酷。自戒を込めてそう思った。
立つ位置によって見える景色は違う。優しさが自己満足な時もあるし、攻撃が防御であったりする。
そんなあやふやな所で誰もが立っている。
清瀬の視線は私の視線。気付かなかっただけで、身近でないというだけで、存在がなかったことになりはしない。知ったあとは知らなかったことにはできない。
当事者、その親、友人、同僚。
誰かにとっての最良が、誰かにとってはそうではないこともあるのだ。
常にみんな揺らいでいる。
悩んで考えて、辛いけど考えることをやめないで。
川のほとりに立って、川の底を見ようと目をこらして。
重く沈んだもの、耐えきれずに形を変えたもの、光輝くもの、それらの意味を考える。
振り払われた手も救いを求める手も差し伸べる手も、誰かにとって意味のあるもの。
何もかもが解決するわけではないけど、知ることで昨日までの自分ではないことに意味があるのだと思う。
そして、ひとりでもたくさんの人にこのお話を読んでほしい。そして、傲慢な自分と向き合うことになった時、この本を思い出してほしい。私もそのうちのひとり。
自分に欠けているものに気付いたときに、周りとの関係が少しずつ変わりはじめる…。
静かに流れてゆく物語の中に、登場人物の抱えている背景や悩みが散りばめられていました。
相手に寄り添うことで優しくなれたり、お互いに理解し合えたり。
でもなかなかそれが難しくて、お互いの気持ちを尊重したときに見えてくるものがあるのだと思います。
自分のために、誰かのために。
明日はよい日になりますように。
いつも願えるようになりたいです。
寺地はるなさんの書くものはいつも、決してこちらを第三者にはさせてくれない。「小説を読んでいる」のではなく、そこにいる人びとの息づかいを通して、その登場人物のいる世界に足を降ろしているような読後感に包まれる。
外からは見えない障害や、普通という呪い、たとえ家族ではあっても必ずしも噛み合わないこと。そこに散りばめられた一つ一つが、「あなたならどうしますか」と、問いかけてくる。
なかでもハッとさせられたのが、店員のネームプレートの問題だ。ネームプレートがあることで客に執拗に絡まれたり、一方的に好意を押しつけられるといったことは現実にもあり、それに悩まされているサービス業の従業員の被害は後を絶たない。そういった、現実によくある、「嫌だな」と思いながらも、どこかで「仕方ないよね」と諦めてきたことをすくい取る描写の力が凄まじいのだ。
この物語には、「弱い」とされる立場に置かれている人びとが登場する。だが、本当に彼らや彼女はそうなのだろうか。「弱い」とされる人は何かに「困っている」人で、けれど角度を変えれば、そういった人びとには、違う「世界とのつながり方」がそなわっているのではないのだろうか。
何かを学ぶとき、文字で書かれているものを読むことが一番しっくりする人もいれば、音声や映像の方がなじむという人間もいる。それぞれが、それぞれの生きやすい形で生きられる世界になってほしいと、ただ願った。
たとえ外からは見えづらくわかりにくとも、弱い立場に置かれていたり、「困っている」人間は確かにそこにいるのだと、誰かに届くことを、この物語は信じて叫んでいる気がする。
松木の隠していた事実を知りたくて、どんどんページをめくりました。
登場人物にはそれぞれの育った背景があり、とてもリアルに感じました。
話の後半では清瀬が天音に対して憎しみから一歩踏み出した感情を持つようになり、それがこの本のタイトルとなっています。幸せそうに見える人にもそれぞれの川底の石はあり、読み手である私にもそれを気付かせてくれました。
たぶん、日本中に同じように静かに苦しんでいる人はいて、教育のあり方や、子育て環境、そして誰かの苦しみを想像してみる力が国力になるのではないか、、なんて事まで考えてしまいました。
冒頭ミステリータッチ。続きが気になってグイグイ読んだ。少しずつ謎がとけるに従って、人の多様さに打ちのめされる。それぞれ違うのが人なんだ。同じであることを強いられた自分。子どもにも周りと同じであることを強いた自分。子どもだけじゃない。周りの人も同じであることを求める自分。両方の自分を想う。
人と人が分かり合うのは大変なことだ。でも人は人と繋がることで楽しく豊かな人生を送ることができる。人はひとりひとり、全部違う。
生きるために、大切なことがここにある。
昨年、寺地先生の講演会に行き印象的だった言葉がある。
「小説とは答えじゃなくて問い」
この一年色んな本を読み、この言葉を思い出し、その言葉の意味を考えてきた。
今作も問われた。
正しさとは?自分に欠けているものとは?
その問いの答えが正しいかどうかはわからない。
でもこの本を読み、自分なりに考え心が動いたと感じる事ができた。
寺地先生、これからもたくさんの問いを読者に与えてください。
寺地さんには珍しく、ちょっとミステリーっぽい作品だった。
カフェの雇われ店長である清瀬は、恋人の松木と喧嘩別れしたような状態だったが、ある日病院からかかってきた電話に衝撃を受ける。松木が歩道橋の階段から転落し、意識不明の重体だというのだ。
松木の転落の真相や、清瀬が自分以外の人に向ける思い込みや勘違いからの偏見が綴られていく。清瀬の“気付き”は大事なことだが、そこは寺地作品なので綺麗事では済まされない。その苦さも味わいながら、自分を振り返る読書となった。
最後に明かされるタイトルの意味が素晴らしかった。
この物語は響く人にはめちゃくちゃ響くと思うけど、響かないひとはこの感情が全くわからない人には響かないんだろうな寂しいなぁと思いました
人にはそれぞれの考え方、生き方があり、どれもきっと間違ってはいない
それぞれが自分にできることをしようとしている
それぞれが大事な人に楽しく幸せに生活してほしいから、気を遣いながら相対している
そこに齟齬が生じてしまうことはあるけれど。
違うと思えば、話をしたい
人の真意を聞き、こちらの意見を言い、どちらもが理解して、認め、共に動く
そんな社会にできればいいな
と、思いました
社会生活を営む上で、こう言うことがあるということは年齢関係なく知っておいて欲しいし、できれば理解して欲しい
読み返せば読み返すほど考える機会をくれる小説だと思いました
そして、自分が職場で年齢的に一番上の方になって、驕り高ぶっていたのじゃないかと考えるきっかけになりました
息をしにくい社会に一石を投じる小説になって欲しいです
そして、あまり外には見せない寺地はるなさんの本当の優しい心が見えた作品です
感想は難しい…
寺地先生の作品が好きです。この作品も一気読みしました。清瀬が後半にお店のスタッフから言われた言葉に感情を鷲掴みにされて、電車の中で涙をこらえるのに必死でした。これだから、寺地先生作品はやめられない!あと、天音さんが…!とにかく天音さんが怖い!
寺地さんの作品は、いつも言葉にならない感情を描いているので救われる気分になるが、このお話は見たくないもの、背を向けてきたものを突きつけられたような感じで、途中から胸が苦しくなった。でも「頼ってよ」と言ってくれる友人や会社の人たちがいるから救われる。そして、自分も「頼ってよ」と言えるような関係性になりたいと願う清瀬や篠ちゃんの優しさ、強さに勇気づけられる。
やっぱり今回も救済の物語だった。
寺地さんの文章がとても好きです。
ポンポンと小気味よい会話や
ちょっと突き放したようでいて
真っ直ぐで、ぐいぐい読ませる感じがよかった。
お互いに対等な立場で付き合うって
難しいなと考えさせられました。
ひとりひとり、育った環境も生まれ持った能力も
考え方や感じ方も、みんな違う。
だから、理解しよう、思いやろうとするけれど
ときにそれが『上から目線だ』とか
『正しさを押し付けられている』と思われて
反発されたり。
主人公の清瀬もいろいろ悩んで、最終的には
自分なりに正しいと思う通りに行動したら
相手がそれを受け入れようが拒もうが
それはその人の自由であって
それでいいんだと吹っ切れるところで
こちらの気持ちもすっきりしました。
自分が見えていなかっただけで、実は周りに
助けられていると気づくところもよかった。
傷付けられることもあれば
救われることもある。
人と人との関係って、本当に難しいけど
疎かにはできない大切なものなんだなあと
改めて感じました。
普段、生活していてなんとなくモヤる言葉にできない思いを言語化して見せてくれるのが、寺地はるなさんの作品。
今回もまた、意識と無意識の間に潜んだ心持ちをくっきりと浮かび上がらせてくれた。
全方向には優しくなれない。だから、かかわり合った人には意識的に心を向けられるような人になりたい。
傷ついた心を掬い上げてもらえる作品。
今まで生きてきた中で、恥ずかしいと思ったことはいくらでもある。樹に心を砕いていた松木も、清瀬に「あなたにはわからない」と言われて恥ずかしいと感じたことががあった。色々なことをすべてパーフェクトに、丸く収めることは難しい。篠ちゃんが言うように、コンデションによって心持ちが変わったりもする。だから、努めて誠実に生きようと心がけている篠ちゃんを素敵だと思った。いくら知識として知っていても、人はひとりひとり違う。樹と松木のように、清瀬と品川さんのように、誰かが困っている時、または誰かに困らされた時、逆に自分が困った時、誰かを困らせてしまう時は、人と人として分かり合う機会に出来るといいなと思った。天音のパスケースに大切にしまわれたものの存在が、そんなにも些細なものに縋るほど彼女は不運だったんだなぁと思わせるようで、切なくなりました。
「普通」「常識」「世間一般」そんな言葉が本当は何の意味もないように感じる作品だった。
と同時に、「優しさ」「いい人」という言葉がどれほど曖昧なものであるかを感じる作品だった。
私が人と関わるとき、無意識に私の「常識」を基準にして見てしまっている。
その基準から大きく外れた人を私は非常識と捉えてしまっていることの怖さを知った。
私に「普通」があるように、人それぞれにその人の「普通」があるということをもっと考えなければならない。
目に見えるものだけが正しいとは限らない。
寺地さんの作品は人に寄り添うことをいつも教えてくれる。
一つの事実に対して、
一つの行動に対して、
「私」が下す、
その評価は本当に正当なのだろうか。
「相手の立場に立つ」事の大切さと難しさ
いつも自分を振り回してくる相手に対して、
そんな寛大な気持ちになれるだろうか。
「振り回されている」と感じるその行動の裏にある真実。
私はよく「常識」とは何だろう、と感じます。
多くの人が考える事=常識?
常識通りにはいかない様々な思い。
知らなければ思い描けない、
一人ひとりに宿る様々な思い。
寺地はるなさんの小説を読む事で、
「様々な思い」に対する可能性の幅を広げたい。
寺地はるなさんの作品では、
そんな捉え方をする人もいるのか、と、
よくハッとさせられますが、
今回はそれがミステリー仕掛けで明かされていくので、特に分かりやすく、
また、自分もやりがちな誤解が胸に突き刺さりました。
人は人との関わりの中で影響を受けて変わっていける。
現実には、不満の種は沢山転がっていて、
簡単に寛容にはなれないかもしれないけれど、
この作品を読む事で、
主人公の清瀬と一緒に、少しは成長出来た気がします。
”むごい事件や他人の非常識な言動を目の当たりにした時、いつも「そんなことをする人がいるなんて、信じられない」と眉をひそめてきた。その言葉で即座に他人事にできる。心を痛めながらも切り離せる。自分はそんな人間じゃない、と安心できる。”
主人公の清瀬にシンクロして、そこまでもさんざんに打ちのめされてきた上に、この言葉は本当に突き刺さった。まさに日頃の自分の姿だ。そこに天音さんのセリフがより深く切りつけてくる。自分はたまたま、恵まれていただけなんだ。
寺地さんの作品を読むといつも、感想がうまく出てこない。書店員なのだから、うまいこと読みたくなるような文言を書いてPOPを作りたいと思うのに、言葉が出てこない。もどかしくてたまらない。しかしたくさんの人に読んでもらいたい物語であることは確かだから、考え続けたい。
とっても良かった!寺地さんは新刊を中心に10何冊か読んでるけど、コンスタントに良い作品を生み出されてるのはすごい。基本ハズレなし。本作も内容を言うとネタバレになるので何も言えないけど、自分を省みるきっかけにはなる。それも押し付けがましくなく。とにかく良かったので、読んで損は無い。色々言いたいことはあるけど、とにかく、たくさんの人に読んでみて欲しい!
自分は相手の、何をどこまで知っているのか?この問いは、自分の日頃の人間関係…夫婦・恋人・友人・職場の人々等…に対し一考の余地ある根源的な問いだと思う。とかく人は、自分の側からの思いだけで人を判断したりイライラしたりしがちだ。昔別れた恋人が、ある時突然事件に巻き込まれ意識不明の重体との報を受け、主人公の清瀬は、この問いを一つ一つ辿り逡巡するなかで、彼の思いを知り、自分を振り返る。その中で清瀬が、とても共感できないような人に対しても、その人の明日が良い日であるよう願うくだりは、さすが寺地さんだなぁと思う。自分の周りだけでも数多いる人間の、それぞれの特性や奥深さに思いを馳せる時、まさに人の間で生きる自分にも、愛を向けられる気がした。
寺地はるなさんの作品は、全部おすすめです。必ず何かしらの気付きが得られるからです。
この作品も、ミステリー仕立てで興味深く読み進める間に、自分の考えの浅はかさに気付かされました。
寺地さんの小説には、いつも自分に似ている人物が登場します。これは、みんなそうなのでしょうか。
この作品では、品川さんが、程度の差はあるものの自分に似ていますし、清瀬の態度にも、心当りがあって痛い所を突かれた思いです。
この作品を読んだ私は、明日からは少しは周囲を思いやることができるかな。
ラストシーンにホッとして、救われる思いでした。
一面を知っただけで、その人の全てを理解した気になって、この人はこういう人だと決めつけていた事が何と多かっただろうか。
清瀬の気づきは私に目を覚まさせてくれた気がする。
人付き合いとは?再度考えさせられた。
寺地はるなさんの作品が楽しみで今回もあっという間に読み切ってしまいた。たぶん自分にも思うところがあったのだと思います。誰かの事を知りたいと思った時、人は知らないうちに自分の経験した事柄から全てを決めつけて疑わない時がある。この人はこうだ!と決めつけてしまう。実は知り得ない経験や感情、真実が隠れているかもしれないのに。この作品を読みながら大切な人達の事をもっと知りたいと思えました。沢山の人に読んでもらいたいです。
序盤の「くっきりとした「好き」ではなく、ましてや欲情などではぜったいになく、淡くしみじみとした「好ましい」だった――」
この表現に惚れました!
恋愛ものであり、障碍についての話であり、同時にある種のミステリーでもあり、さらに努力とか人間関係とか不寛容さとか、いろんなことについて考えさせられる内容で、面白いだけでなく、すごく深い内容だと感じました。
万人にお勧めの一冊だと思います!
「知らない」ことの傲慢さをつきつけてくる。「知っていたら対応したのに」と思うことはきっと誰にもあることだろうけれど、それは強者の理論だろう。とはいえ、何もかもを把握し、どんなことにも正しい対応をすることなどしょせん一人の人間にはできないことだし、「良かれ」と思ったことが相手のためにならないことだってあるし、「こうであればいい」と思ったほうにだけ人生が進む人の方が稀だろう。そんなままならない中で必死にもがく人がすぐそこにいる。そんな感覚にさせてくれる本。最初のすれ違いは些細なものでも、いつか大きな亀裂になって取り返しがつかなくなる可能性もある。疲れやストレスがたまると余裕がなくなって、自分の方で一歩引いてみたり、相手の側に立って考えたりするゆとりを失いがちになるけれど、そんなときこそ一呼吸おいて客観的に自分たちを見つめ直すことができるとよいのだろうなと思わされた。
寺地はるなさんの作品は全作品読んでいますが、今作は今までの作品とは少し違って推理小説のようなスリリングな一面があり、引き込まれて、あっという間に読んでしまいました。読んでいて考えさせられることが沢山ありました。まずは字が上手く書けない特性を持ったいっちゃんのこと。私は職業上このような特性を持つことと接することがありますが、その子たちの苦しみや辛さまでは理解しきれていませんでした。この作品を通して、あの子達はこんな気持ちだったのかなと手に取るように伝わってきました。すごい表現力だと思いました。また登場人物皆の優しさでとても心が温まりました。清瀬のように周囲の優しさを感じ取れる人でありたいなとも思いました。
著者の作品ふ好きで、全部読んでいます。
久しぶりにヒットかも。
途中苦しくなる時もあったけど、非常に読みやすかった。
男同士の友情も素敵だったし、ずっと会っていなくて別れてるのかわからない状態だったにも関わらず懸命に看病する主人公の姿。証されていく真実。ぐいぐい引き込まれてしまいました。
見えない障害についても、考えさせられました。
川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない。その通りだと思う。また最近自分自身がよく感じることは、人は皆同じものを見ても全く同じには感じ得ないということ。だから、自分以外の人と接する際は、幅を持つというか、余裕を持つというか、視野を広く、許容量を大きく、そんな自分でいたい。
色々な感情が噴き出してきてしまい、感想がまとまらない。
寺地さん、久しぶりに読んだけどさすが。という感じ。
清瀬の思うことも分かるし、松木の嘘のつけない誠実な性格も好感が持てる。
天音さんは自己防衛が強くちょっと捻じ曲がってあるけれど、現実にもいるキャラクターだと思う。他者を頼りにしてしか自分を見出せないところやすごく弱いところは実は誰にだって持っている部分だと思う。
品川さんの持つ特性も知らないからと言って目を瞑る訳にもムカついて自分が頑張ればそれでいいんだという気持ちにもなれない。
自分が休んだら仕事が回らないと思っていた時期が自分にもあった。人に迷惑をかけてはいけないという思考にもゆるがないものがあった。
本当は自分がいなくてもなんとかなるし、頼る頼られることが人間関係の要や成長に結びつくものだったりする。
無知は罪なりとはよく言ったもの。
物事には常にA面とB面がある。(xyz軸やもっと存在するのかもしれない)見えているものだけを信じるのではなく、物事の本質をいつだって見つめる人になりたい。
カレーライスの時間に引き続き、胸がギュッとなる作品。
寺地はるなさんの紡ぐ物語は読んだ後も余韻を残し、その後の生活にもそっとそれを読む前とは違う趣きを与えるように感じる。
自分から求めた訳ではなく、何かのきっかけで出会った人の中には、「ああ、明らかにこの人と私は違う世界に住んでる」と決めつけてさっと心を離してしまうところのある私には、今回の主人公のような人への接し方にはっとさせられ、憧れを抱いた。
出会いがもし違ってたら、こんな風になれたかもとちょっと止まって想像してみる…アリかもしれない。
誰しも、知らない事を想像することは難しい。知らない中で誰かを傷つけてしまう事も、一方的な「正しさ」や「普通」を押し付けてしまっている事も。
その無知の罪に気づき、大いに戸惑い、狼狽える主人公の心情に、自分もそうなのかも知れないと省みて共感を覚えました。
自分の想像の外で苦しむ人々がいる。その境遇は自分にあったかも知れず、恵まれていたのだという自覚と、もし、過去に出会えていたら、手を差し出していたら何かが変わっていたかもしれないと思いを馳せる素直さは、いとも簡単に拒絶されてしまうけれど、主人公のこれからの未来に深みと広がりをもたらすのだろうと感じました。
川のほとりに立つ者は、水底の様子は見えないとしても、石や草や魚があることは想像できるのでしょう。
他者の心の底にある悲哀や苦悩、喜びがあることもまた想像することができるのだと、自分のもつ囲いの外を伺うことができるのだと覚えておきたいと思います。
明日が良い日でありますように。
誰かの為に願う、最高に素敵な言葉だと思いました。
一体何が起きたのか?どこへ向かっていくのか?不思議な雰囲気から始まる物語は、読み進めるうちに人としてとても大切なことに気づかせてくれる心に響く言葉が散りばめられていた。
人生を振り返りながら色々なことを考えた。私だって他人ができて、自分ができないことはたくさんたくさん山ほどある。ありすぎて自信を無くすことばかり。傷ついたこともある。それなのに、みんなが普通にできることをできない人がいたら、え?なんでできないの?なんでそんなことするの?と顔に出したことはなかっただろうか?その人の性格だと思っていたことも、もしかしたら、理由があるのかもしれない。誰かの行動には事情があるかもしれない。と考えたことがあっただろうか?人はみんな育った環境も現状も違う。誰かを傷つけてしまわないように、少しずつ思い込みを捨てていこう。そう思える優しさに包まれた素敵な作品でした。
寺地はるなさんという作家を知ったのは、私の勤務する学校で行われた模擬試験の国語の文章の中でした。試験監督をしながら読んでいくうちに、人物の描き方がとてもすてきで、この人の作品をもっと読んでみたいと思ったのが、この作品を読むきっかけとなりました。
寺地はるなさんの作品は、本来ライトノベル世代より少しだけ大人の、しかし若い世代向けの小説なのかもしれませんが、アラフィフの私でもとても楽しく時には涙しながら、一気に読んでしまいました。
前述した作品でも感じたとおり、1人1人の人物に対する寺地さんの愛情が深く、どの人物も憎らしいところやいやなところがあったとしても、それは一面でしかなく、必ず何かしらの魅力を感じさせてくれます。主人公の清瀬もそうですが、松木、いっちゃん、品川さんもそう。職業柄、品川さんやいっちゃんのような存在はとても気になりますが、こういう人をそう特別扱いして書いているわけではないところもこの作品の魅力だと思います。人それぞれ、生きずらさを感じることもあるし、私ってこういうところがダメなんだよなとか勝手に落ち込んだり逆に1人で盛り上がったりして。そういうことは誰にでもあるし、みんな大丈夫だよ、と言われているような気がして、読み終わったあとで、すごくホッとした気持ちになりました。
このような作品に出会わせていただいたことに感謝です。ありがとうございました。次の作品も待っています。
人の内面、特性を深く考えさせられた作品でした。
見えている姿だけで、無知にその人を判断してしまうのでなく、新たな視点で考えるきっかけになりました。
「川のほとりに立つ者は」、という題も読み終わって、しっくりきました。
意識不明となった2人の事故の真相と2つの恋の行方が、清瀬・松木の2人の目線で、現在・過去を行き来しながら綴られていきます。
目には見えにくい2つの障がいについて、当事者の気持ちが生々しく書かれており、周りの人間はどのように対応するのが正解なのか、そもそも正解はあるのか?といろいろ考えさせられました。
寺地はるなさんの作品はこれまで6冊読み、どれも素敵な作品でしたが、『川のほとりに立つ者は』は特別心に残りました。
生徒だけでなく、先生方にも是非読んでほしい。
心に残したい言葉がたくさんありました。
どんなに大切な人でも、その人のことを全部知ることはできない。その人の心の底に何があるかわからないから。だから、話し合うことが大切なんだと思う。
でも、「川のほとりに立つ者は」水底に沈むものを知ることはできなくて。なにが沈んでいるのかもわからないけれど、そこに何かが沈んでいるということを知っていることが大切なんだなと感じました。
どうしようもない人もしっかり出てきて、その人たちは良くないことをする(それは私達の日常にも当てはまるんだろうなぁと思う)。でも、その人たちも、誰かにとっては大切な人。もしくは、これから大切な人になる人。
決めつけは良くないけれど、決めてしまったほうが一時的に気持ちが楽なときもある。そんなとき「何か沈んでるのかな」と思えたなら、ちゃんと楽になれるのかなと思いました。
217頁辺りは、涙で読めない…。でも、この感動的なシーンを一気読みするのだ!と、涙をがまんしながら、読みました。
寺地はるなさんの作品、大好きです。
努力は必ず報われる。それはごく一部の人の話だとみんなわかってきた。でも、努力できることが恵まれた環境ゆえだ、というのはきっとまだ認めづらい。努力しないのはその人自身の問題で、だめな人って思われる。
この人は○○な人、と枠組みに入れられると楽だけど、入れられた方は常にその枠組みから逃れられない。その人の、その時の、個別性は失われる。
どちらも差別なんて言ったら「え?」って反感を買うことで、そのぐらいで、と思われる。でも“そのぐらい”と見積もれるのはいつもそっち側にいない多数派の人なんだと、物語を通して静かに思う。
読み終わったときに、尊厳だこれは尊厳について真摯に書かれている話だ、と思った。寺地さんの本はどれも好きでベストが決められないんだけど、限りなくベストに近い。短いし読みやすいよ、と読書感想文の題材に悩む子がいたら渡したい。そんな知り合いは近くにいないけど…。
冒頭から何?何?と引きずり込まれる。突然恋人が意識不明の重体との連絡を受けた清瀬。親友と共に転落し、目撃した女性はどこか怪しい。時は戻り彼らの秘密が明らかになり、嫌な奴らが登場してくる。扱いにくい従業員に腹を立て、日々の仕事に疲労していた清瀬。彼女が発達障害と知り同情や哀れみを抱く自分、フィルターをかけて見ている自分に気付く。清瀬の気付きは私自身だ。ラストは前向きな着地であっさり感はあるが、色々な感情を突きつけられた。第一印象でもつ「嫌な感じ」の表現が見事。
どんなに大切な人であっても、別々の人間である以上、相手のことをすべて知ることも理解することもきっとできない。
けれど、相手に伝えようとする努力と相手のことを知ろうとする努力は、信頼関係を築く上で必要だと思う。
現実はとても厳しく、物語のように問題が綺麗に解決することはそうそうないし、自分の言動や行動が相手を救うことなんてほとんどないかもしれない。
それでもわたしは、清瀬のように「あなたの明日がよい日でありますように」と願う人でありたいなと思った。
他人を理解するって、
本当に難しいことで。
育ってきた環境が違ったり、
仲良くする人が違えば
もちろん考え方も違う。
たとえばそれが、
障害のある人だったら。
「あの人は障害があるから」で
片付けるのは、なんて楽なんだろう。
まるでその言葉が、
理解を諦めても良い免罪符みたいで。
でも、障害があるから何?
本当は、それだけじゃ理解を
諦めて良い理由になんてならない。
普段の自分の態度を考え直して、
目を背けたくなった。
タイトルの意味がわかった時には戦慄を覚えた。自分の物差し、自分の常識、そういうものがいかに傲慢で、知らずに他者を線引きし、遠ざけ、傷つけていたかもしれないとぞっとした。
樹との約束を守り通した松木の正義と、他人へのどこまでもやさしい樹の目線に、彼らはしっかりとしたアイデンティティがあるのだと気づく。
天音の毒のあることばの辛辣さに目を背けたくなったが、読み終えてみれば、そういうふうにしか生きられなかったことへの想像力や慮りのなさが、周囲と彼女との間にいつもあったのだとわかる。
清瀬の考えの転換が、そのまま自分にも返ってきました。水底の石と共に在ろうと思いました。わたしもまた水底の石であるかもしれないから。
読了後、ソクラテスの言葉が頭をよぎった。まさに無知の知を痛感させられた。私は大体ここ止まりだ。
そして「無知は罪なり、知は空虚なり、英知持つもの英雄なり」という言葉もあるという事を最近知ったのだが、一体どれだけの人が、英知を持つことができるのだろう。
英知を持つということは、現代においては想像力や共感力を高めることだと思う。
寺地先生の作品は大好きでデビュー作からずっと応援しているが今回のテーマはこれまた心にズドンときた。ネタバレなしでレビュー書くの凄く難しいなと思いつつ読み返す度に感想も自身の答えもまるっと変わる作品になるし何度も何度も噛みしめるように読み直したいと思った。
できることなら教育現場はもちろん、会社の上に立つ人達、歳を重ねて自分よりも上がいなくなってきている人達、あとは思春期の学生達にもぜひぜひ読んで貰いたい。
寺地はるなは裏切らない。
これは私の中の真理だと、再確認できた素敵な作品でした。
寺地はるなさんの作品はいくつか読んだことがあるけれど、『私の良い子』が本当に大好きです。
どれもさらりと読みやすいのに、読後に深く考えさせられてしまう作家さんだと感じています。
この本もそうでした。
人はみんな違うなんて当然のことなのに、常にそれを意識することなんて出来なくて、
自分を基準にして、「普通」を押し付けて、自分には理解できない行動をする人を避けるように生きている気がします。
私には分からないから、怖いとさえ思うこともあります。
日常の中では『何か理由があるのかも』なんて想像することを忘れてしまう。
何も知らない他人に対して、勝手にイライラしたり、悲しくなったり、不当なジャッジをしていることってたくさんあると思います。
自分の圧倒的な「無知」に対して突き刺さるような言葉が多く、難しくてまだまだ頭が整理できていないけれど、また一つ気づかせてもらえました。
寺地さんの作品を読むと、何かに気づかされる。
当たり前だと思っていたことが、そうでなかったことに、気づかされる。
主人公・清瀬と一緒に、悩み、考え、ある時、ハッとする。
そして、自分もどう生きるべきなのかを考える。
清瀬のようにはできないこともある。でも、少しでも気づけて、考えられて、良かったなと思う。
「あなたの明日がよい日でありますように」
この気持ちを忘れないでいたい。
#川のほとりに立つ者は #NetGalleyJP
読んだ人の感想に目を通すと、誰もが心抉られ、不確かなものだが何かを考えるようになる、そんな一冊だと思う。断らず結局無理をして誰かに助けられる清瀬だが、妙に感が鋭く、良い人一辺倒ではないなと思いながら、松木との恋愛経由での一つの謎から自然にストーリーに入り込んでしまった。樹との縁、樹と天音との縁、清瀬と天音が出会ってしまってからはまさに悪縁なのでは?とハラハラしながら読み進めたが、松木と天音と樹が背負って来たバックボーンから、川のほとりに立つ者、川底で陽の目を見なくとも静かに生きている者、ひいては社会への提示へと読者を導くところがさすがは寺地さんなのだと堪能。名作。
タイトルの意味が表現されている箇所が深く、身に突き刺さるかのよう。
天音が清瀬に放つ言葉の数々にも。
清瀬の生活は平凡だという認識だったけれど、天音によると、それは恵まれた境遇だったから
とのこと。
これからの女性には天音のように恵まれた境遇ではなくとも、男を利用せずに生きてゆく術、
境地を見つけて欲しいと願わずにはいられません。
心が重たくなる話のなか、清瀬と村木のこれからが明るいものでありそうな光が見えたことが
唯一の救いでした。
読み始めてすぐはコロナ禍を舞台にした人間ドラマだろうと思っていました。恋人が事件に巻き込まれたあたりからミステリーかなと思い、恋人の自宅から謎のノートが見つかっなあたりから、「何が起こっているのだろう?」とジャンルがわからなくなりました。最後まで読み、ネタバレをせずに感想を言うとしたら、「思い通り(あるいは、然るべく流れ通り)にならないことを受け入れる一回り大きい人間性を獲得することを時代に迫られている」と感じたということです。コロナも多様性も生き方も性自認も、自分の嫌なところすら、考え方を変えて生きて行かなければならない。欲を言えばラストまでに、天音さん側の視点ももっと読んでみたかったです。
本当に素敵な読書時間でした。
意識不明の恋人の隠していたことがどういうことなのか、少しずつ変化していく主人公と一緒に恋人の想いを感じることができて、心からみんなの幸せを祈りました。
ミステリーを読むようなワクワクと、恋愛小説を読むドキドキ、そして真っ直ぐな人間ドラマを読んだ爽やかさを同時に感じられる作品でした。
ぜひ手元に置いておきたい作品です。
読み終わってからずっと考えていましたが、どうしてもうまい感想が出てきませんでした。
天音が清瀬を気持ち悪いと言った気持ちに正直共感しました。正論では救えない人がいること、それに気づけた人はきっともっと世界が広がるんだと思いました。
隠し事が原因ですれ違ったまま、意識不明となった恋人との関係を振り返る事で、自身を見つめ直す主人公。
なんとなく「正しそう」な回答を選んで従う事で安心するズルさと、それでもその回答は「正しい」と思う傲慢さ。表裏一体の心の裡を「作中作」を通し表現する美しさに魅了された。
目にはみえない困難を抱えた人をそっと包む希望の物語。
人の心の奥底に問いかける作品。
「あなたはわたしのことを、どれだけ知っている?」
「常識」とはどういうことか。
清瀬は松木と付き合っていました。過去形なのは彼が隠し事をしていたから。
でも彼には語れない理由がありました。清瀬はただ知りたい、と思う人だったのです。ある日彼が意識不明の状態で見つかったと警察から連絡があって…
立ち入ってはいけないこと。立ち入った方がいいこと。見極めるのは難しいのですが、だからこそ人と関わっていくのは素晴らしい。
本の題名は物語の中で主人公が読んでいた本からです。
ー川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない。
読み終わってなお沁み入る言葉でした。
人は自分の物差しで「わかった」気になって他人、相手を評価しがちだ。
その人のこれまでの過去、環境は考えもしない。彼はなぜ教えてくれなかったのか…、なぜ天音(まお)さんは…、自分の店のアルバイトはどうして…。考えたところで自分の物差しの範囲内の答えしか出ない。人に言われてわかった。「あなたは運が良かっただけ」「あなたは恵まれていただけ」と。差し伸べた手が振りほどかれて悲しんでいるのは自分のエゴだ。松木、樹、天音のそれぞれの思いと、川の底にある石の数や型はわからなくても、それぞれ異なった型で存在している事はたしかだ。と知ることができた。
これまでの寺地さんの作品とはまた違う。主人公の原田清瀬の心の動きが描かれている。
多くの人に読んで欲しい作品。直木賞や本屋大賞にノミネートされる事を願って。
これは大作。難しいテーマを、寺地作品らしい読みやすい言葉でわかりやすく描かれていたと思う。
何度か寺地作品にも登場した、「人と同じではないこと」「普通って何?」という特徴を、側面からバッサリと切る。
愛おしくなるようなラブストーリーでもあり、今までの自分の価値観や考え方をひっくり返される衝撃もあり。
魅力的な、松木と樹の2人。
一方で、許せない大人たちもたくさん出てきた。理解しないこと、無知は暴力でさえある。
その上で、寺地さんは、許せないと感じた私のその考え方までもを改めさせる。
私も、誰のこともわかってないのかもしれないなあ。
ネットギャリーで読ませていただきましたが、この本は絶対に手に入れたい!できればサイン会で!
そして、そろそろ本屋大賞へ寺地作品の登場を強く願う。
どんな風に話が進んでいくのか分からず、ドキドキしながら読み進めていたので、予想外だけれど、非常に考えさせられる内容で、人に薦めたくなる本でした。今の世の中、字が書けなくても、学生でなければ、そこまで支障はないでしょうし、自分も漢字が全然書けなくなっていますが、大半の人にとって当たり前のことを当たり前だと人に押し付けてはいけないと改めて感じました。これは常日頃からいしきしていないと、無意識にしてしまいがちなことなので、こうして本を読むことで再認識することができて良かったです。
また、天音さんのいう、恵まれた環境、これも人は生まれた時から平等ではなく、だからといって人によって受け止め方も違い、偽善、親切、その辺りは難しいなと思いました。
内容的には重くても、ミステリータッチで全体としてサラッとした感じのストーリー展開なので、誰にでも読みやすく受け入れられる本だと思います。
今回の物語はミステリ的な雰囲気もあっていつもの寺地作品とは一味違う様に感じた。仕事もプライベートも上手くいかない清瀬、その彼氏の松木それぞれの視点で語られる過去の2人に起きていた出来事や感情が面白い。清瀬の反応に『うんうん、最もな態度だ』と頷き、松木の語る出来事に『そうだったのかぁ』と1人納得する。言葉にしないと伝わらない事、安易に言葉に出してはいけない事、人の気持ちは他人には分からないけど分かろうとする姿勢は大切だ。分かったつもりの言葉は厄介だけど。傷つき傷つけても気付き成長出来る人は素晴らしい。
人と関わることが好きな人、苦手な人でそれぞれ感じることは異なり、新たな気付きや救いをもたらしてくれる作品だと感じました。
清瀬の親友・篠ちゃんの言葉が、私の中では全てです。
「いい部分と悪い部分がその時のコンディションによって濃くなったり薄くなったりする」のが人間だと思います。
登場人物みんなにいい部分があったり悪い部分があったり、共感出来たり出来なかったりと実にリアル。
少数派だと自覚はありますが、私が一番すんなり入っていくことが出来た人物は善人とは言えない、実際に悪意をぶつけてもいる、人の好意も突っぱねる、そんな女性でした。彼女にも色んな側面があり、視点が変わればまた違った印象になったのではないかと考えを広げて楽しむことが出来ました。
想像すること。思いやること。これらはとても大事だと思いますが、ひねくれた言い方をすると、終盤の彼女に対しての歩み寄りがハッピーエンドを作るために用意されている展開ではないかと感じ始め、少し怖くなりました。
しかしそれは杞憂でした。清瀬の選択は最良だったと思います。こういった形での思いやりを描いてくださったことで、優しさも時に息苦しく感じてしまう人も救われたのではないでしょうか。本当に色んな立場に立って書かれている作品なのだと、改めて感じました。
主人公の原田清瀬と、その恋人松木。物語は、2人の視点で時間を前後させながら展開していく。
恋人松木がケガして、意識が戻らないと病院から連絡を受けた清瀬。松木の部屋を訪れた清瀬は、隠しているようにして置かれていたノートを見つける。そこには今まで知らなかった松木の秘密が綴られていた。松木の親友のいっちゃんの学習障害、いっちゃんの優しさに付け入る、家庭環境の厳しい中で育った天音など、様々な問題や悩みを抱えた人たちの存在、そして松木と家族との軋轢を知る。
一見どこにでもいるような人たちも、その奥底に、いろんな苦しみやジレンマを抱えなから生きていることを強く感じさせる作品だった。
見ていた部分、見えていなかった部分。
カフェの店長・原田清瀬に緊急連絡が。恋人の松木圭太が歩道橋で喧嘩をし意識不明だというのだ・・・
少し謎めいていた松木の行動が明かされていくにつれ、自身の視野の狭さを突き付けられていくようで辛くなる。
寄り添うと同情の両天秤がどちらに傾くかは、その人の本質でもあるようにも見えるが、タイミングでもあることも教えてくれるのがせめてもの救いのように感じる。
視界を広げる大切さを丁寧に教えてくれるかのように良作。
コロナ禍で飲食店が厳しくなってきてはいるものの、カフェで雇われ店長として忙しい日々を送る清瀬にある日一本の電話が。それは病院からで、かつての恋人・松木が意識不明で入院しているという。松木が清瀬に隠し事をしているのがきっかけでなんとなく疎遠になったまま現在に至るので、厳密には別れた訳ではないけれど。
事件の内容を聞けば聞く程、自分の知る松木とイメージの違う行動ばかりで、混乱しつつも、パンドラの箱をあけるように知りたい気持ちを抑えられない清瀬が辿りつく真実は、“無知”の罪をつきつけられてるようで、
あなたは考えようとしたの?
知ろうとしたことがあるの?
と常に考え続けながら読んだけど、感想がまとまらない。けど、間違いなくたくさんの人に読んでほしいと感じるし、おすすめしたいし、語り合いたくなる作品でした。
“努力ってたしかに尊いけど、努力だけが正解なんかな”という松木の言葉に、彼のように周囲がもう少しいっちゃんが抱える問題に理解を示していたら少しは良い方へ舵をきれたのではないか、と考えずにはいられませんでした。
倒れて意識の無い恋人の秘密に迫る展開が良質のミステリーのよう。視点と時系列が入れ替わり、少しずつ真実が見えてくる。中盤あたりでもしかして…と予感がする。終盤三割を残したところで、ああ、寺地さんは今回このテーマで物語を紡ぎたかったのだな、とわかる。世の中の「当たり前」に甘んじている者へ、端正に毅然と「水底に沈む石を見よ」と。
大好きな寺地はるなさんの新刊。
#netgalley さんにて発売前に読ませていただきました。
寺地さんの作品を読むのは16作目。
読み始めて、えっ?どういうことだろう?って思い先が気になり一気に読めた。
少しミステリっぽさを感じる。
彼氏、友達、家族のことをよく知っているつもりだけど実は知らない部分もいっぱいある。
ひとり、ひとり個性がある。その人にとって簡単に思うことでもある人にとってはとても困難な場合もある。
当たり前と思っていることが当たり前ではない。
勝手な思い込みや先入観を持つべきではないと改めて思った。
寺地さんの作品から、いつも大切な気付きをもらうことができる。
寺地さんの作品、本当に大好き。
ネタバレしない為に敢えて深くは触れてません。
是非是非沢山の方に読んでいただきたいです。
#川のほとりに立つ者は#寺地はるな#netgalley#NetgalleyJP
心が苦しくてギュッとなりました。登場人物みんながいろんなことを抱えていて、それはフィクションの世界にだけあることではなくて、私が生きるリアルな世界にもたくさんあることで。
自分の物差しで物事を測るな、と昔から親に言われていたけど、自分自身のことについても物差しで測ってしまっていることがあるのでは?
自分から見る自分はどんな人?他人から見る自分はどんな人?
自分のことや周りの人のことをもっともっと見たいと思いました。
近頃、ようやく認識が広がりつつあるディスレクシアを取り上げられているのがすごくよかったです。
寺地はるなさんの作品はハズレなし!
今回も最高です。
カフェ店長・清瀬は職場で部下のフォローに忙しい日々。そんな中、しばらく会えてなかった恋人の松木が病院に意識不明で運ばれる。
コロナ禍の中での働き方や女性の不自由さ、周囲の人の生きづらさの事情などが子細に描かれている。寺地さんらしい作品
#川のほとりに立つ者は #NetGalleyJP
普通って何だろう?自分が当たり前と思う事が他の人にとっても当たり前とは限らない。そんな事分かっているつもりだったけど、本当に理解していたのだろうか?出来ない人を努力していないと決め付けていなかっただろうか?と改めて思った。歳をとるにつれて、知っているつもりになって考えが偏っている部分もあるのではないかと反省した。先入観無く澄んだ眼で他者を見られる人になりたいと思う。
ADHDや学習面の障害がある人に対してどのように接するか、要所要所で考えさせられました。全てにおいて何が正解なのかわかりませんが、他人との関係の中で思い込みや主観だけにとらわれないようにと改めて思いました。
物語の主軸はミステリー要素があるので、謎の正体を知りたくてあっという間に読み進められました。
恋人が親友のつかみ合いの喧嘩の末に入院?しばらく音信不通だった彼のことを知ろうとする中で様々な出会いがあって、上手くやれない事情を抱え周囲の理解も得られず、不器用に生きることしかできなかった登場人物たちの思いがあって、それでも気にかけてくれる人の存在、安心できる居場所の大きさを改めて痛感しました。
カフェの店長として忙しい日々を過ごす清瀬。恋人の圭太には頑なに伝えようとしない隠し事があり、2人はギクシャクしていた。そんな折、圭太が幼なじみの樹と喧嘩して意識不明で病院にかつぎこまれたと連絡を受ける。物語は、清瀬と圭太を語り手として進みことの次第が明らかになっていく展開。
文庫本、ホイッスル、ノート、飴ちゃんの包み紙、何気ないアイテムが記憶に残る。
家族、恋人、友人、同僚、人と人との繋がりに助けられたり傷つけられたり難しい。さまざまな人がいて、それぞれの事情を抱えて生きている。
「川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない」という著者からのメッセージ。そんなのほっとけばいい?無理だと諦めればいい?いいえ、だからこそ「なんか理由があるのかもしれんって想像する力」が必要で、「あなたの明日が、良い日でありますように」と願えるようになりたいと思う。気付くことから再スタート。
清瀬の友人、篠ちゃんの真っ直ぐな視点が様々な気付きを与えてくれていた。思慮深く実直な圭太の書いた卒業文集の作文も心に響いた。2人の存在が清瀬を成長させていく。
ディスレクシア(発達性読み書き障害)を持つ登場人物の本は私にとって2冊目。小説という表現により広く伝わり理解が深まると感じた。
「川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない」この言葉が何度か出てくるが、最初はぼんやりとしていた意味が、終盤になるにつれはっきりとしてくる。知らないことを認める。数は知らなくとも、知ろうとすることはできる。どんな様子か。どんな困りごとを抱えているのか。ADHD、ディスレクシア、その他にも困難を抱える人は沢山いる。いっちゃんの困難に一緒に立ち向かおうとする松木。徐々に品川さんを理解しようとする清瀬。川のほとりに立ったなら、そっと水に手をつけて川底の様子を伺い知りたい。私の仕事もそうだから。
読み始めは少し状況が分かりづらくて、全員怪しい?と思って読んだけど、松木のパートから急に色々見えてきて、そこからは速かった。思えば冒頭の材料の少なさは、しばらく疎遠になっていた清瀬の混乱そのものだよね、と納得。
差し伸べられた手を取るかどうか…感謝されず拒否される…そういう想像を忘れないでいたいと思った。
主人公の恋人とその友人が殴り合い、意識不明になってしまった真相が、謎解きのように明かされていく展開で、ぐいぐいとひき込まれ一気読みでした。
寺地作品は、どんな人にも様々な背景があり、しんどさがあることを教えてくれます。お互いの事情に向き合って理解しよう受け入れようとすることの大切さが感じられます。世間一般の正しさや普通に縛られることなく、その人らしく生きることができる世の中になるにはどうしたらいいのか考えさせられます。
今作品では、主人公は周りの人から手を差し伸べられて気づくこともありますが、自分から差し伸べた手は振り払われてしまいます。でも振り払った人は別の場所で自分らしく生きようとしていて、人には全てその人の場所があり、探すことを諦めては行けないと思わせてくれました。
知らないを知る、知った上でどう関わるか。それを各々の立場から、俯瞰的に教えてくれている作品です。何気ない一言で、何気ない対応で相手は自分をどう見るか。自分が見たものは全てを表しているのか。今一度自分の発言、行動、捉え方を見直すきっかけを与えていただきました。
人の心の動きを丁寧に紡ぎ出す寺地さんへの信頼感に支えられる、てことがあるのだなと不思議な流れの読書だった。正直にいって、途中で出てくる登場人物の言動があまりにもきつくてたまらなかった。この悪意がこのまま続くのなら本を閉じたくなった程。しかしそこで信頼感。この流れはどう落ち着くのかを見せてほしい、という気持ちと期待を込めて読み進めることになる。
人の心は、そんなに単純に割り切れるものではないんだよね。
そして誰かに寄り添う、理解する、ということもなかなか一筋縄では行かないものなんだな。
表題は、冒頭から引用される、テーマとなる本の中の一節なのだが、いかにもそういう本がありそうで、架空の話のようだ。実在したら注がついているはずだろうし。
自分が正しいと思っていることは、みんなにとっても同じなのだろうか。
いっちゃん然り、品川さん然り、周りから見た松木も然り。
刑事から話される衝撃の事実。
全てが繋がる。
一面から見ていたものが多面的に見ると、物の見え方が変わってくる。
その人に合った生き方、行動、学びがあっていい。
それを誰も否定できない。
周りから理解されなくても、寄り添う人があっていい。
いや、いて欲しい。
川のほとりに立つ者は水底に沈む石の数を知り得ない。
でも、清瀬は水底の石がそれぞれ違うことを知っている。
これが全て。🤔
Bonne Journée! 英語だと、Have a nice day!
この言葉を、毎日のように使っている。もはやただの挨拶言葉として使っている。
明日がいい日でありますように。
日本語にすると、とたんに嬉しい言葉になる。
ただの挨拶言葉ではなくなる。これは、普段日本人が言わないからだろうか。
この物語を読み、いつも会話の最後に出てくるBonne Journéeという言葉に意味が、感情が生まれた。
もうずっと連絡を取っていない、付き合っていた彼(松木)が友人との喧嘩で二人とも意識不明で入院。
松木のノートを読んでいくたびに、すごくこの彼の誠実さが感じられた。
私はたぶん清瀬側の人間だと思う。恵まれているけど、気が付いていなかっただけ。
なので松木の誠実さがすごく心に響いた。
とても素晴らしい物語でした。
自分の見ているものが全てじゃない。無意識のうちに自分の中に築かれている価値観。それが当たり前、と思って生きてきましたが、この本を読んで視界の狭さに気付かされました。人と関わることの複雑さは心も体も疲れますが、この本はそれを伝えた上で人と関わることで得られる愛情や思いやりもたっぷり味わうことができる、素敵な本だと思います。
『あなたはわたしのことを、どれだけ知っている?』
さて、どうなんだと思ってしまう。
五ヶ月ぶりに再開した彼氏が『意識不明の重体』だったという一人の女性が主人公となる物語があり。『意識不明の重体』になった彼氏のことを『わたしはいったい、どれだけ知っているんだろう?』と思います。まさかの結末でした、ミステリーでしょうか。
ある日突然彼氏が意識不明となり、
部屋を調べていくうちに色んなことが明らかになる。
でも、自分の思い込みと真実は全然違っていて…
全てが繋がったとき、見る世界が変わっていく。
自分の当たり前、直感、思い込み。
その全てが正しいとは限らない…。
相手には相手の生き方があり、考えがあり、
それを伝えられないときもある…。
とても深く考えさせられる作品でした。
ディスレクシアや発達障害、ADHD。
今は色んな名前がつけられるようになっているけど、
診断名がついて安心する人もいれば、
それによって見方が制限される人もいる。
難しいなって思った。
でも、言い分はすごい分かったな…。
あぁ、そういう気持ちになるのか…と。
努力をしているのに結果に繋がらない。
それが特性だとしても、努力不足だと言われる。
仮に自分の障がいをカミングアウトしても
次は気をつかわれる…。
ただ、みんなと一緒に行動したいだけなのに。
色んな診断名が出るようになって、
生きやすくなったのか、生きづらくなったのか。
それって本当に難しいなって思ったな…。
他人の気持ちを考え、寄り添っていくって難しい。
どんなことも、視点を変えて色んな可能性を考えて
行動していくのが大事なんだなって感じた。
様々な感情が揺り動かされ、刺激され、自分の気持ちをどう表現していいのかわからない。
それくらい心に突き刺さる言葉がちりばめられ、自分が今まで気づいていなかったことに気づかされる作品だった。
寺地さんの作品を読むと、「普通」とは何かを問われている気がする。自分の恵まれた環境に気づかず、「当たり前」としてしまう危うさ。自分の言動によって、自分の知らないところで傷ついてしまっている人がいる可能性を改めて突き付けられる。決して押しつけがましくなく、私たちの心に静かに問いかけてくる。私たちは完璧ではない。人の接し方に正解もない。この作品を読んだとしても、すぐに変われるわけではないかもしれない。それでも、この作品を読むと、心に大切なものが植えつけられ、人と接する時に大切なことを思い出させてくれる。そんな希望を感じながら本を閉じた。いつまでも手元に置いて時々読み返したくなる作品。
寺地さんはどんどん代表作を更新してゆく。数ある作品の中でも、とても強い覚悟とメッセージを感じた。私は自分の物差しでしか物事を測れない。ちょっと変わってる人。仕事が出来る人、できない人。あの人はこういう人と決めつけてレッテルを貼っている。
多分、それと気付かずに、たくさん人を傷付けてきたかもしれない。読んでいてそれを痛烈に感じた。
川のほとりに立つ人に私もなりたい。
川底の石の形を想像できる人に。
「川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない」
この文章がとにかくあとをひく。
川を見下ろしているその顔はどんな表情をしているのか、読み終えながら想像した。
もっともしっくりきたのは無表情だった。
一線引いた立ち位置で他者について考えるとき、ほとんどの場合自分ごとにはならない。
体も汚れない、川に入るつもりもない。
無意識に見下ろしている、こともあるのだろうか。
想像力の欠如で傷つける、傷つけたことすら気づかないこともある、圧倒的な立ち位置の違いがそこかしこにあるのだろう。
選択肢すら与えられない場合もある、と知っていたはずなのに。まだ知らないことが私にはある、と仄暗い後ろめたさを感じた。
なんだかとてもゾッとした。
読んでいてすごく『分かる』気がしました。自分が見たもの、知っていること、理解できること以外に目を向ける、思いを巡らすことは本当に難しい。けれど、そうであれるように生きていきたいと思いました。読ませていただき、ありがとうございました。
世界中 誰1人として同じ人間はいない
あたりまえたが 普段自分の物差して自分の価値観を人に押し付けてしまっているのでは?と
ハッと気づかされた作品。
冒頭 少し重いストーリーなのかと感じ
恐る恐る読み始めたら 一気に読み終わっていました。
隣にいる大切な人。
言葉を交わすだけでは、信じられなくなる時や、迷う時もある。
そっと景色を見渡してみて。
こっちだって。見失わないように。そう、導いてくれるように。
信じたいものと出会える。
それはやさしく心に灯りがともり、明日を生きる希望になる。
そして、隣には大切なきみがいてほしい。
願いをかけて。
大切なきみを想いたい。
大切な人がもっと愛しくなる物語。
「せっかく助けてやっているのに」と相手の態度を非難することは、最初から手を差し出さないことよりも、ずっと卑しい。
読んだ瞬間、すごく恥ずかしくなった。
勝手に上の立場に立った気でいて。
こう思っちゃうことある。
人にどこまで打ち明けるのか。
どこまで立ち入るのか。
距離感ってすごく難しい。
「普通」ってなんだろう。
カフェの店長29歳の清瀬は、恋人の松木が、樹という男友達と一緒に転落し怪我で意識を失い、病院に運ばれたという連絡を受ける。何がどうなって墜落したのか?考えてみれば、彼(松木)の事はほとんど知らないことばかり、彼の親に病院運ばれたことを伝えても、連絡自体が迷惑だと親に言われ、実家ととも疎遠の様子。 回復を待つ間、清瀬は彼の部屋で「3冊のノート」を見つけた。天音さんからの「松木さんが悪い」の一言や彼が気に入っていた『川のほとりに立つ者は』の小説など、断片的な事柄が少しずつ繋がりを見せ、清瀬は自分は何も知らずに、松木を信じることが出来なかったことを気づ後悔する。。。「正しさ」ばかり追い、共に生きる痛みとその先の希望を描いた、感動の夏の物語。
大好きなお話でした。主人公が本当に普通で。当たり前に自分の側の人間だと思える。人間関係のちょっとしたすれ違い。自分の狭量さを感じる場面等とてもリアル。ADHDって言葉は知ってても、知ってるはずなのに。主人公みたいに日常じゃ私もピンとこないのだろう。自分の常識で勝手に人のことを批判していたり。考えさられる。松木が言っていた様に「清瀬のまじめで頑張り屋という長所は、そのまま他人への狭量さという短所に変わってしまう」でも、清瀬は松木やいっちゃんからではなく、自分の経験でそれにちゃんと気付くというのも良かった。
自分自身の無知を思い知らされるとともに自分だけでなく世の中の多くの人がまだ理解しきれていない難しい問題を扱っているなと感じました。
そしてこの問題は声高に叫ぶよりもこうした静かな作品でじんわりと知ってもらうことが皆がゆっくりと考えるきっかけになるのではと思いました。
寺地はるなさんの作品は目を背けてはいられないことを突きつけながらも希望のあるラストシーンがいつもとても素晴らしく、今回本屋大賞にノミネートされてたくさんの人に読んでもらえたら良いなと思います。
寺地さん初の本屋大賞ノミネートおめでとうございます。
主人公の清瀬をはじめ、松木や樹など登場人物がみんな愛おしくなるような小説でした。松木の秘密に隠された真実には、人を一つの事柄で勝手に決めつけたりしてはいけない、きちんと話すことの大事さも伝わってくるし、松木の樹への思いも伝わってきますね。
とてもいい小説でした。
寺地さんの文章は読みやすく、いつも優しく心を刺してくる。日常生活でほんの少し引っかかっているところ、知らなくても生活はできるけど、知っていたら少しでもお互い歩み寄れるのかなと思うことがこの作品には書かれている気がする。
1/30再読して以前送った感想がとっても頓珍漢だったので改めたい。
無知というのは罪にもなるし、人を救うこともあるんじゃないかなぁと思う。目に見えているだけのことが真実ではないということは理解していても、やはり隠していること、隠されていることには他人を傷付けてしまうこともあるのだから。自分の普通は他人にとって普通ではないかもしれないしその逆もまた然り。清瀬のように『何かを知らずにうやむやにすることをよしとしない人』は大切なことだけど、それだけでは人を救えないんだよということを教えてもらった気がする。色々考えることが多くてとても感想が書き辛い作品だった。
周囲の人が何を考えているのか。どう思っているのか。何に悩んでいるのか。何も知らないまま、何も想像しないままではただただ人を傷つけてしまうかもしれない。それなのに、私は主人公清瀬のように、何か「普通」を決めつけて人を見ていないだろうか。何かを見落としていないだろうか。いろいろ考えてしまう1冊で、松木のことを知り、いっちゃんのことを知り、まおのことを知り、清瀬のその過程ってとても大切なものだなと思いました。
川を人の心の中だとすると
そばにいるだけでは
川の底に沈んでいる石のかたち
悲しみや痛みや苦しみは分からない
何故こんな風に生きづらいのか
相手を心の目で見るということ
愛の力で想像するということ
読後放心状態になるほど心を打たれました
家族との関係、発達障害をもつ
友人との関係
生きづらい世の中に一石を投じる作品
(特別優待を頂きありがとうございます、
大好きな本をたくさん読み、家族のかたち
人と人との関わりを学び、書店のお客様にも
伝えられたらと思います)
何と言ったらいいのか、サスペンスようなハラハラ感、まおが醸し出すぞわっとする感じ。でも、これは友情の話でもあったり、社会の話でもあったり…。
だけど、やっぱり人と人との話であるように思う。
喧嘩別れしたまま、長らく会っていなかった恋人松木が、意識不明の重体になり、主人公の清瀬は自分の知らなかった「ほんとうの」松木について知ろうとする。
時に主人公が読んでいる本とリンクしながら、話は進んでいく。
誰かを理解することは簡単なことではない。
誰かの痛みを分け合おうとすることも、誰かを助けようとすることも、時にその気持ちが相手を傷つけることになりかねない。
だけど、それでも自分とは違う誰かの行動の背景を想像しようとすること、理解しようとすることを止めてはいけないのではないか。
その人にとってのヒーローになれるのが、たとえ自分ではなかったとしても、相手にとっての明日がよい日になるように願える人になりたいと思う作品でした。
やられました……何度「私のことだ」と思ったでしょう。スタッフに対する苛立ちからの、事実を知ったあとの反応。フィルター。相手ごとに話題を変えるとか、友人とは言え弱さを見せないとか。何が正解とかないから余計に考えてしまいます……。
スタッフの品川さんとか、樹とか、本当はたくさんいらっしゃるはずなのに、認知されにくい、理解されない。私もぼんやりと「情報」があるだけだから、当事者の気持ちが知れてぐっときました。
松木、優しいなぁ……でも清瀬にはもう少し明かしてね。
他人の気持ちになって考える。
それはどれほど困難なことなんだろう。
その立場にならなければ見えない景色があり、わからない想いがある。
他人の悩みや辛さを知りたい、寄り添いたい、と思うことは優しさだろうか。それとも押し付けなんだろうか。
社会の中で生きていく上で、他者との接点を断つことはできない。誰もが、誰かと関わり合いながら生きていく。そのことの難しさと尊さを、じっと見つめるような物語でした。
カフェ店長の清瀬は、
恋人である松木の「隠し事」をきっかけにすれ違ってしまう。
そんな中、松木が喧嘩をして、
怪我をし意識不明で病院へ搬送されたと連絡を受ける。
松木の部屋を訪れた清瀬は「隠し事」の真相を知っていく。
多くの人にとって当たり前であること、
自分にとって普通であることに対して、
そうではない人と出会ったときに、
想像力を働かせることって本当に難しいことだと思う。
だけど、人はそれぞれ違う、それだけは忘れちゃいけないと思った。
それと同時に、
人に理解してもらいたいなら、
それを言葉に出して伝えることも大切。
そしてその伝え方も大切だと感じた。
承認ありがとうございます。
知っていたつもりでも争いを避けるために目を背けていた、事実を知った時、人は成長出来て優しくなれる、そんな素敵な物語だと思いました。
恋愛に悩んでいる全ての方に読んで欲しい。
そんな作品でした。
なんて傲慢なのか、とショックを受けました。登場人物の誰もが正しさ、優しさ、偏見、利己的、いろいろな意味で傲慢。そして、いちばんは読んでいる自分の傲慢さに衝撃です。無知を自覚し、想像するということが、人々の生きやすさに繋がるのか、考えさせられます。
読みながら、誤解されたまま離れた人や
優しく出来なかった人を思い浮かべてました
事なかれ主義でやり過ごす日常を小説として露わにされると、耳が痛いです
読む薬のジャンルに入る小説
読後、誤解や嘘、強さ、温かい気持ち、
あらゆる感情味わう為に、登場人物の言動をじっくり読んでおいてほしいです
野菜たっぷりの即席塩ラーメン食べたくなるよ
2023年本屋大賞ノミネート作
昨今ADHDや発達障害が世間に認知されるようになってきているが、知っていても「自分が」そうだとは思わないのが普通で、しかし他者から見ると自分もどこか変わっているのかもしれない
子供を暴力的だと決め込む、他人の気持ちに立って考えられない、考え事に集中してしまい周りに気づけなくなる、スマホをよく忘れる・・・あからさまな登場人物以外にも程度の差こそあれ誰でもそうなのではないか
互いに理解しあい認め合うことでより深い絆で結ばれるような気がします
人は外に出している部分と、内に秘めている心、どちらがよりその人らしいのかを考えさせられる作品でした。
些細なすれ違いや誤解、言葉が足りなかったり思い込んだりなどの齟齬により、さらなる思い違いに発展する。
ヒロインはそのやり取りに翻弄される。ここの描写はとても現実味があり、ハラハラとさせられました。
対人関係に苦労する人への対処など、自分にも心当たりがある事柄で胸が締め付けられました。
ページ数は200頁ちょっとですが、ストーリーのそぎ落とし方が絶妙にうまいと思いました。
そんなに分量がないにも関わらず、がっちりとした読みごたえを感じる。
とても面白い物語だと思います。
ADHDなど現代、徐々に認知され始めている障害を抱えた人物が登場していて、より身近に考えさせられる1冊でした。
普段何気なくしていることにも配慮が欠けていたり、相手の状態や気持ちを想像出来ていないことが多々あるんだろうなと思いました。
川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない。加えて、どんな石かもわからないことがほとんどだと思いますが、自分が出来る限りの想像力を働かせて人と接することができる人間になりたいと強く思いました。
少し、内容に触れてしまうでしょうか?(笑)
では、情報を入れないで読みたい方は、このレビューはオススメしません。
・・・・・
ある人にまつわる印象が、語る人によって、随分違う…という事は、良くある事ですね。
『良い人』だと思ってた人が、『嫌な奴』と聞かされると、なんだか裏切られたような気分になるでしょう。
『嫌な奴』だと思ってる相手の高評価を聞くと、『本当は嫌な奴だよ』と、ついつい伝えたくなってしまったり…。
他人の言葉に、気持ちは揺らいでしまうものです。
他人の評価に耳を傾ける事は大切です。
それでも、自分が抱いた印象や好意は、やっぱり大切なのだと思います。
そして、自分にとって『嫌な人』にだって、寄り添ってくれる人がいて、その関係を壊すような事は、わざわざしなくて良いんだ…と、思います。
自分の嫌いな人に、『孤独』という罰を与える必要はないんです。
その人が本当に嫌な人なら、自らまた、他人に嫌われる事でしょう。
自分と関係ない場所で、誰かと幸せに生きていくなら、それで良いんです。
だって、自分には関係のない人なのだから。
自分はただ、自分にとっての大切な人との関係を、温かなものにしたい…
と、読書の後に思いました。
ある日カフェで働く清瀬は恋人が怪我をして意識がなく入院したという連絡を受ける。
知っているつもりだった恋人の秘密が次々と見つかり、、、
人は自分のものさしで人を測ってしまうけど、それは正しいことなのか?平等という名の社会は本当に平等なのか?
いろいろ考えさせられる作品でした。
今、私の目の前で起きた出来事の善悪は私だけの価値観であって、私の隣にいる人が同じとは限らない。
なんて当たり前の事を忘れがちに生きている者にとって、強烈なアッパーカット。
とにかく真っ新な気持ちで読んで欲しい作品です。
川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない。
主人公の清瀬は物語のなかで、不知を自覚し行動を起こします。
川のほとりに立った時、そこからしゃがんで水中を覗きこみ、時には拾い上げてそこにある石を知ろうとする。
いろんな色や形があることを受け止め、その色や形になった理由を想像する。
自分の理解が及ばない人に、こうであるべきという押し付けはせずに、ただ「明日がよい日でありますように」と祈る。
理解できなくてもいい。ただ「私には分からない」と諦めるのではなく、そうなった理由を想像する。知ろうとする。
その1ステップがあれば、もっと人に優しい世界になるのかもしれません。
自分事になるとつい冷静では居られない場面もありますが、自分が傷ついたとき、他人を傷つけてしまったとき、そういう時こそ思い出したいお話です。
知らなかったというのが人を傷つける事があるという事。
そして、少しばかり知った気になってその相手に「こうでしょ」と独りよがりな気遣いを
する事がかえって相手を傷つけているという事。そんな事を考えさせられた。
気遣われたくない、それで傷つきたくないから隠す…といっても。
知らなければ分かり合えないと思ったし。作中では結局品川さんご自分の事ぶちまけてるじゃないかと思ったし。
松木だって危うく清瀬に誤解されたままだったかもで。それは松木としては致し方なしと思っていたのかもしれないけれど
清瀬にとっては人生に影を落としてしまうかもしれない出来事だったと思ったし。
…難しい。この気持ちの落としどころを表現することが難しい。
けれど、この解決出来ないモヤモヤを。
時々思い出せればいいのかもしれない。
沢山の方に読んでもらえたらいい作品だなと思った。
私はこの作品を読めて良かったです。
無知が人を傷つけることもあるだろう。
だけど無知が罪なのではなく、無知によって人を傷つけてしまったことに気づけるか、知った後にどう向き合うかを考えることが大事だと思う。
ここから、まだここから築ける関係もあるはず。
知らない、で終わりたくない関係を繋げて生きていきたい。
「今」を生きる人たちに、今こそ手に取ってもらいたいと強く思った。
見えているものだけで判断するのではなくて、その背景にあるものまで見ようとする心のゆとりと想像力を持ちたい。
理解はできないかもしれない。必ずしも助けられるとは限らない。
それでも、私たちは見えていないものを知ろうとする気持ちを忘れてはならないと思う。
「自分だけが~している」など、内へ内へと意識が向きがちな時こそ、それまでつけていたフィルターをはがして、顔を上げて周囲を見渡す余裕を持ちたい。
前を向いて歩き出すきっかけをくれる一冊です。
ひとの苦しみの声が聴こえやすくなってきた時代だからこそ、属性や思い込みで誰かを傷つけてしまうことも多いだろう。誰もが生きやすい世界にはまだまだ程遠いかもしれないけれど、見方を変えることで小さな一歩を踏み出そうとする主人公の姿に勇気を与えられた。
コロナ禍にあった二人の男女。何を不要不急とするのか、誰しも戸惑い悩んでいたあの空気を思い出す。そうして会えずにいた二人が再会したのは、一人が意識不明になったから。自分の知らない恋人の一面を、他の人から聞かされるたびに、恋人の事がわからなくなっていく……。
描かれる二人のすれ違いがもどかしい。しかし、自分を省みれば、同じような事を経験した人はとても多いのではないか。第三者の言葉で、仲の良い誰か、家族や、恋人、友人の事が、わからなくなってしまう経験。
物語の終わりで、主人公が、人に手を差し伸べようとして、羞恥を感じる場面がある。誰かを理解しようとする行為、それ自体はとても大切だけど、誰かを理解したと思う事は、とても傲慢なのかもしれない。それでも他者と向かい合い、自分でどう行動するかを選択していく。その行為に真摯に向き合いたいと思う作品だった。
ミステリー仕立ての恋愛小説、樹と松木の友情はとても素敵だった。松木のヒミツのノート存在、なぜ二人は意識が戻らないほどのケンカをしたのか謎が謎を呼ぶ読んでいてワクワク感が止まらず一気読みでした。あなたも読んでこの謎を解き明かしてください。
一気に読んだ。
コロナ禍の……その前から起こっていた日本のえぐみが書かれているのではないかと思う。
主人公の清瀬はカフェの雇われ店長。コロナ禍の店舗の運営に、問題のあるスタッフに翻弄され疲れ果てている。今自分が何を食べていいかわからなくなるほど。恋人の松木とも上手くいっていない。1日をどうにかやり過ごし家に帰る途中、病院から松木が意識不明の重体で入院していると連絡が入る。
歩道橋の上で殴り合っていたところを階段から落ちたという。殴り合っていたであろう人は松木の幼馴染岩井。幼馴染の恋人と名乗る女性まおが「悪いのは松木」と一方的に清瀬を責める。
なぜ松木と幼馴染が殴り合いになったのか?
事件をきっかけに清瀬は未だ意識が戻らない松木を知ろうと動き出す。
恋人の松木がどのような人間なのか調べる中で、清瀬は自分と向き合うことになる。
自分の中にあった偏見。
これまで貧乏くじを引いてしまったと嘆いていた環境も自分次第で変えられることに気づいてゆく。
作中に出てくる外国文学『夜の底の川』と、登場人物の状況がリンクするように進んでいくのも興味深かった。
『夜の底の川』の結末と、清瀬が気づきによって手繰り寄せた結末が同じもののようで違っていたことに安堵した。
新型コロナの世界的蔓延は、人や社会の弱さや課題を浮かびあがらせたと思う。
本書の登場人物と私たちはそんな社会で生きている。
本作はコロナ禍の4年で炙り出された日本のえぐみが書かれていると思う。
そのえぐみを他人事ではなく私はどう受け取って生きていくか考える一冊になった。