降伏の時
元釜石捕虜収容所長から孫への遺言
稲木誠 小暮聡子
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刊行日 2022/04/28 | 掲載終了日 2024/02/14
ハッシュタグ:#降伏の時 #NetGalleyJP
内容紹介
元釜石捕虜収容所長が克明に記した終戦後1カ月の手記。戦後、釜石市に届いた1通の手紙から始まった元捕虜との友情。そして孫が紡いだ奇跡のような出会いと絆。戦後77年、祖父から孫へと引き継がれた「戦争の記憶」をたどる瞠目の一冊。
■第1部 手記「降伏の時」
岩手日報に2021年1月~4月にかけて掲載された故稲木誠氏の手記を掲載。終戦直後の釜石捕虜収容所の出来事を克明につづる
■第2部 回想録「フックさんからの手紙」
1975(昭和50)年、釜石市に届いたオランダ人元捕虜「フックさん」からの手紙をきっかけに始まった文通。週刊時事に連載された「戦後の物語」を収録
■第3部 遠い記憶の先に終止符を探して
ニューズウィーク日本版記者で稲木氏の孫・小暮聡子氏が元捕虜と家族らを取材。戦後70年特集の一環として「本当の終止符」を探った迫真のルポを掲載
■第4部 過去から未来へ
釜石捕虜収容所にいた元捕虜3人の家族と交流を続ける小暮氏。奇跡のような「リユニオン(再会)」をつづる
おすすめコメント
第二次世界大戦中、連合軍捕虜収容所は日本国内に約130カ所あったとされます。岩手県の釜石捕虜収容所もその一つで、所長として終戦を迎えた故稲木誠氏が、捕虜引き揚げまでの1カ月間の動きを克明に記録していました。
本書は史料としても貴重な手記「降伏の時」をはじめ、戦後に元捕虜のオランダ人と文通による交流をつづった回想録と、孫の小暮聡子氏によるルポを収め、世代を越えた「戦争の記憶」を丹念にたどるノンフィクションです。
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出版情報
発行形態 | ソフトカバー |
ISBN | 9784872014303 |
本体価格 | ¥1,900 (JPY) |
閲覧オプション
NetGalley会員レビュー
僕らが住むこの街でかつてどんな出来事があったのかということを、特に今このような状況だからこそ知っておかなくてはならないのだと思い知らされた。その上でしっかりと客観的な事実に立脚して考え抜いた先にしか確かな未来は存在しないのだ、と。
そして。
どんな状況であっても相手の立場を想像すること。その大前提があったうえで、たとえ国と国が戦い合った兵士同士だとしても、たとえ看守と捕虜という間柄だとしても、たとえ異なる国で生まれ育ったとしても、僕らは手を取り合うことができる。かつてこの街を発端に発生したいくつかのささやかな奇跡は、まだ世界に絶望するのは早いのだと教えてくれる。
本書は、太平洋戦争末期、岩手県釜石市にあった釜石捕虜収容所所長の、
戦後1か月間を克明に記した手記とその後の顛末などが収録されている。
60歳を過ぎて懸命に記された彼の筆致に、ページをめくった瞬間、
77年前にタイムスリップしたかのようなリアリティを感じた。
時代は軍国主義。御国に抗えば自分の命をも落としかねない戦時中という異常事態。
同じ国の人同士でも、自分自身の保身や打算、見栄などを優先する、
利己的で自己中心的な態度をとったとしても致し方ないのに、
見ず知らずの、それも自国の敵国の捕虜の人々に対して、
掛け値なしで誠心誠意尽くしてきた稲木氏の誇り高い行動と想いは、
遠く離れたオランダの一人の捕虜、フックさんへ確かに届いていた。
その事実は、半世紀を超えてこの本を読んだ人たちに届き、胸を打ち、
そしてまたその中の誰かの誠意へと繋がり、拡がっていく。
正直者が馬鹿を見るなんてことが多く、やるせない事件や事故が相次ぐ中、
うつむきがちな私に、この本は自分の人としての尊厳を思い出させてくれ、
品格ある人でいたいと思わせてくれる。
周りがなんと言おうと、たった一人だけであろうと、そこだけは失いたくない。
228ページと比較的ライトな分量であるが、上質なノンフィクションノベルの風情。
また、東日本大震災時に甚大な被害を受けた釜石市の新たな力強い一面も知る事ができ、
濃厚な読書体験となった。
お孫さんをはじめとする、こちらを書籍として形に残して下さった方々に
心よりお礼を申し上げたいと思う。
歴史には個々人が抗すべくもない大きな流れ、うねりのようなものがある。しかし個々人が為してきた日々の営みがつくりだす小さな流れがある。そうした流れはあるときは本流と違う方向に流れ小さな渦をつくったり、本流の下に沈み込み伏流水の如くに隠れてしまっている事もあったりする。
多くの流れはやがて本流に呑み込まれうさん?雲散霧消してしまうものだが、地下水が岩の隙間を縫って湧き水になるが如くに、本流の中にひょっこり顔を出し、小さな渦をつくる事もあろう。
釜石捕虜収容所に収監されていた元俘虜が釜石市市長ヘ送った手紙はそうした渦を作り出す湧水であったのだろう。
本流とは別の流れをつくりだす水の流れのようにこうした小さな流れが別の小さな流れと合流し少しづつ大きな流れとなり、やがては大きな流れ本流の流れをも変えていくこともあろう。
国内にあった捕虜収容所は、戦後刑死者を含め多くの戦犯者を出したようである。本書著者の稲木誠もBC戦犯として巣鴨プリズンに収監されたひとりだが、自分が勤めていた収容所にいた元俘虜フック氏からの手紙で自分のやり方が間違いでなかったと確信する。これがきっかけで始まった元所長と元俘虜の文通はやがて孫の小暮聡子に引き継がれる。元収容所長の孫と元捕虜の家族との交流。戦争で敵国通しであったことで産まれた交流。
たとえ国同士が戦争をしていても互いの国の人々が尊敬と敬愛の念を持って接する事ができれば遺恨とはならず新たな戦を産むこともないのかもしれないし、本書に描かれるような人々の営みが国同士の諍い流れを変えていく流れに成長していくのかもしれない。
人類にとっての最大の悲劇は戦争といってよいだろう。殺人が合法化し、破壊に何の保証もない。兵士を含め人々の心の中に消すことのできない傷を深く残さざるを得ない。それはあの第二次世界大戦が終わって77年経ってもなお続く被害者の苦しみやそれぞれの国の中に残る混乱にみることができる。ではどうしたらこの戦争を避けることができるのだろうかと思うとき、現在のウクライナ・ロシアの戦争が生み出している憎しみの連鎖に呆然としてしまう。しかしそれでも一縷の望みをこ「降伏の時」に感じることができた。本来、敵味方であった捕虜と収容所所長、その子どもたち、孫たち、それぞれの立場を想い、それぞれの悲しみに寄り添い、新しい関係に歩みだす人々がより良い未来を模索しているのではないだろうか。
先日、「教育と愛国」を観てきた。その中の愛国教育を進める東大の老教授が言い捨てた「歴史に学ぶことは何もない」と言う言葉に背すじの凍る思いがした。捕虜と所長をつないだ絆は、反する立場の中でも同じ人間として相手を尊重する稲木さんという人間としての在り方と戦争を通して見た日本という国への冷静な視点なのではないだろうか。そうした一人一人の人間の思いが歴史であると言えるだろう。事実を歪曲せずしっかり記述し伝えていく、もちろん正の部分も負の部分も。小暮さんの祖父探しはとても貴重なものになっていると思う。
戦争は残酷なものである。それは勝者・敗者関わらずである。そのことが本書をとおしてありありとわかる。戦争を起こしてはいけないということは大切であるのだが、そもそも「戦争とは何か」「大東亜戦争とは何だったのか」と言うことを見つめ、考えることもまた大事である。その考えるための記録の一つとして本書がある。
自分の精一杯で、誠意を尽くしてきたことが、ある日全面否定され断罪される。著者の経験ほどの激しさではなくても、人生の中で同様のことは起こる。例えば自分の全てより優先させてきた子育てで、お前は毒親だったと糾弾されるようなこと。
ひとつの経験に終止符を打ち、幸せになるその道筋をこの本は示してくれているように思う。
辛い過去から学んで未来の平和を願う
時は、終戦の1945年8月15日に遡る。
玉音放送によって日本の敗戦が伝えられた時、
捕虜を管理していた日本軍と、捕らわれの身だった連合軍捕虜の立場が逆転した。
ここに、元釜石捕虜収容所長が克明に記した終戦後1カ月の手記で話が始まる。
私自身、恥ずかしい話、捕虜収容所に視点を置いた文を読むのは初めてであった。
実体験を記した記録だからこそ、心にぐっと伝わるものがある。
>>
「われわれが経験したことの多くは、人々の残虐さのせいで起きたのでない
主な原因は物質の不足だった。だがそこに人々の残酷さが加わったとき、
状況はさらに過酷になった」
捕虜収容所での残虐な仕打ちの一つが、捕虜を理不尽に殴ることだった。
「ハヤク」という日本語を理解して即座に反応しなければ殴られる
(P189)
<<
戦争という混乱した状況の中で、
何が行われていたのか?
何を感じたのか?
読み進めていくことは、正直言って辛いところもあった。
でもこれが一つの事実である。
この過去の事実が、捕虜収容所長の手記、当時捕虜だった人からと視点を変えて語られている。
捕虜収容所長と当時捕虜だった人との文通のやりとりは、国を超えて心を温かく灯してくれた。
世界では戦争が行われている中、未来の平和を願う気持ちも、また芽生えた。
のり@本が好き倶楽部
戦争で捕虜になった人たちは、さぞや非人道的な扱いを受けて、食事もろくに与えられず、汚い物を着て、風呂にも入れず睡眠もろくにとらせてもらえない。そんな風に思っていました。
実際、そういう収容所もあったのかもしれません。
筆者がライターになって、おじいさんの無念を晴らしてくれたのだと思います。
ふた世代も前の戦争のことなのに、元捕虜の家族にあたたかく迎え入れられたことは素晴らしいと思いました。
中学校や高校の課題図書としてお勧めだと思います。
こういう人たちもいる中、なんで今の時代に戦争なんかやっているんだろう、と。違和感を感じました。
1944年4月~1945年8月、陸軍少尉として釜石の捕虜収容所の所長であった稲木さんは、捕虜となった兵士たちをできる限り人間らしく扱おうと努力してきました。
終戦後、連合軍の飛行機がパラシュートで落としていった物資の中に入っていた雑誌『タイム』見せてもらった稲木さんは、その印刷技術の高さや記事のわかりやすさに驚いたのです。一般市民向けの雑誌がこのレベルということは、国力の差がそれだけあるということなのだと。
終戦の日から捕虜引揚げまでの1カ月間、稲木さんは兵士たちのこと、そして自分の気持ちを克明に記録していました。兵士たちが乗った引揚げ船を見送った時、どんな気持ちでいたのでしょうか。ホッとした気持ちと、寂しくなるなという気持ちがないまぜだったような気がします。
そんな努力を重ねた稲木さんですが、戦後、元捕虜収容所長であるということからB級戦犯となり、巣鴨刑務所で5年間服役されたのです。稲木さんは、自分は軍人であったのだから仕方ないと思いつつも、どうして自分が戦犯とされてしまったのかを悩み続けていたのです。
終戦から30年たった1975年、元捕虜だったオランダ人の「フックさん」から釜石市長に届いた手紙にはこう書かれていました。
「私は戦争中に俘虜として釜石にいたものですが、釜石での取り扱いは良く、市民にも親切にしてもらいました。」
この手紙を読んだ稲木さんは、自分がやってきたことは間違っていなかったと再確認ができたのではないでしょうか。立場は敵味方であっても、心は通じていたと。
【降伏の時】
戦争経験がない若者へ送る、
第二次世界大戦時に釜石にあった捕虜収容所の所長が
捕虜の外国人を引き渡すまでの1か月間が日記で綴られた内容でした。
日本にも捕虜を収容するような話があったんだとビックリしました。
捕虜といえば、その戦場で負けを覚悟してなる印象で、
釜石の捕虜の所長は、日本人として捕虜をどんな扱いにしていたのか
どうせひどい仕打ちだったんじゃないかという思いを持ちながら読みはじめました。
内容はメインの第一部に稲木誠さんが書いた日記の紹介
第二部は、捕虜のオランダ人のフックさんの手紙について
あと第三部、第四部まとめ、あとかぎとなっていました。
捕虜は通常、ひどい扱いをするイメージをもっていたが、本書の釜石の所長の稲木さんは
それとは、ほとど遠い扱いをしていました。
体罰などは当たり前にせず、危険が訪れれば一緒に避難し、食事も欠かさずに配給するという
ここの捕虜ってこんな好待遇だったんだと驚愕しました。
そして、日本人に誇りを持てということがあるが、まさに誇りにもつべきことだと実感しました。
敗戦の放送が流れ、捕虜たちの歓声のシーンなどがリアルに描かれており、
タイトルにあるように敗戦のときとはまさに、このシーンだと感じました。
捕虜は勝者になり、捕虜の所長は敗者となり立場がガラッと変わる。
もともと、扱いが悪くなかったので、酷いことはされなかったようだ。
もし、捕虜に酷い扱いをしていたら、、、それがたくさんあったら、、、今の日本はなかったのかなとも感じました。
第二部にあるように、捕虜から手紙がくるほど感謝されるようなことは
普通なら考えられないことである。
本書を読んだことで、体験していない戦争について、少し理解できた。
戦争、捕虜の扱い、
それを知ることができた本でした!!
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戦場のメリークリスマスの様な収容所も
存在したのでしょうが全てを
一概にして語ると間違いを犯しやすい。
戦勝国だからと言って法律で
一律に裁こうとすると
本国の国民感情を配慮して
弾劾する事にしか目が行かなくなる。
全ての人を疑う刑事と
全ての人を信じるホテルマンがバディの映画がありましたが
それが容易だからという理由で
物事の一面だけを注目していると
反省すべき所を見逃し
信頼できる他国の友人達への
敬愛も抱く事なく
人生のバランスシートが赤字のままで
一生を終えてしまうかもしれない。
第二次世界大戦中、岩手県釜石市に存在した俘虜収容所所長だった稲木誠さんによる、俘虜引揚までの1ヶ月間の手記と、戦後始まった元俘虜との交流の記録、孫の小暮聡子さんの取材によるルポをまとめた一冊。俘虜だからといってぞんざいに扱うのではなく、俘虜であってもできる限り健康的で人間らしい生活を送れるよう懸命に努力していた、責任感にあふれ、真面目で誠実な稲木さんの姿が、綴られている文章からひしひしと伝わってくる。また、小暮さんの取材により、元俘虜の方々の話も明らかになることで、一方の話だけで済まされることなく、一冊の中で両者の話が展開され、どちらかに肩入れすることなく読み進めることができた。
自分がよかれと思って精一杯努力してきたことが、ある日水の泡になってしまう無念さ。それでも、誰かがその努力を見ていて、自分の思いが伝わっていたことがわかった時の喜び。戦争中は敵味方に分かれていた者同士が、戦後当人同士たちが亡くなった後も、家族がその思いを引き継ぎ、交流を深めていく様子に、わずかでも希望を感じることができた。
戦争がいかに悲惨で残酷なものか。元俘虜の方の言葉にもあったが、戦争は地獄以外の何物でもない。戦争を経験したことのない自分にとって、戦争を知るためには、経験したことのある方々の話を聞いたり読んだりすることしかできない。ウクライナでの戦争が続いている今、多くの方々に読んでほしい一冊。
1945年8月15日から9月 15日までの1カ月間、敗戦の日から捕虜が引き渡すまでの日々をつづったノンフィクション。
第二次世界大戦中、日本国内の約130カ所に連合軍捕虜の収容所があったこと・捕虜たちの生活は過酷を極め、終戦までに約3500人が死亡したことなど、過去に何があったのかを学ぶことができました。
人間を人間として扱われず、過酷な日々が続いていた状況に胸が締め付けられました。