生皮
あるセクシャルハラスメントの光景
井上荒野
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刊行日 2022/04/07 | 掲載終了日 2022/04/15
ハッシュタグ:#生皮 #NetGalleyJP
内容紹介
動物病院の看護師で、物を書くことが好きな九重咲歩は、創作講座の人気講師・月島光一から才能の萌芽を認められ、教室内で特別扱いされていた。しかし月島による咲歩への執着はエスカレートし、肉体関係を迫るほどにまで歪んでいく――。
7年後、何人もの受講者を作家デビューさせた月島は教え子たちから慕われ、マスコミからも注目を浴びはじめるなか、咲歩はみずからの性被害を告発する決意をする。
なぜセクハラは起きたのか? 家族たちは事件をいかに受け止めるのか? 被害者の傷は癒えることがあるのか?――メディア、SNSを巻き込みながら、性被害をめぐる当事者たちの生々しい声を描き切る傑作長編小説
出版社からの備考・コメント
本データは編集中の原稿を元に作成したものです。完成までに変更がございますことをご了承ください。
おすすめコメント
創作講座の人気講師がセクハラで告発された。
被害者と加害者、その家族、受講者たち――。
当事者の生々しい感情と、ハラスメントが
醸成される空気を重層的に活写する、著者の新たな代表作
創作講座の人気講師がセクハラで告発された。
被害者と加害者、その家族、受講者たち――。
当事者の生々しい感情と、ハラスメントが
醸成される空気を重層的に活写する、著者の新たな代表作
販促プラン
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出版情報
発行形態 | ハードカバー |
ISBN | 9784022518163 |
本体価格 | ¥1,700 (JPY) |
NetGalley会員レビュー
なぜセクハラは起きたのか?
相手にも同意があったのではと考える人がいると思うと被害に遭ったことを語れることのできる人は、ごく一握りだ。
読みながら、女たちの心情に触れる度に私の生皮も剥がされているように感じた。
隠しておきたい。つけこまれた自分にも、もしかしたら非があったからではないのか。軽口たたくなんて容易いことなのに空気が読めない。
なぜ被害者が自分を責めねばならないのか。憤りを感じる。
そして、心の痛みを感じないために事実を曲げて受け入れようとした葛藤は既視感があり、私の裡を覗かれたようにドキリとした。
セクハラは決して許されることではない。
セクハラが起きてしまう構造、それぞれの言い分、傷ついた人たちのその後。
すべてがひりひりと痛々しく、読んでいてつらい部分もありました。
思い返すと自分もこんな言葉を受けたことがあったなとか
一方で、こんな空気にうまく乗ることが大人だと勘違いしていたこともあったなとか
記憶をたどって今一度考えさせられました。
軽口を叩けるようになって一人前、「そんなことで」傷つくな!
と思っている人にこそ読んでほしいです。
7年前のセクハラを告発した咲歩。「なぜ逃げなかったのか」「女性が誘ったのではないのか」など告発者に対し、心ない言葉を投げ掛ける人たちの声が聞こえてくるようだった。
なぜ、性暴力を受けた側が批判されるのか。読んでいてとても苦しかった。
同意はあったという権威者。女性同士でも批判する人。こういう構図だから、現実社会でも同じように繰り返されるのだなと痛感する。あれはセクハラだったのではないか?そんな記憶が思い起こされた。
セクハラを告発した人に対し「なぜ逃げなかったのか」と思ったことがある人にこそ読んでほしいと思う。どんな思いをして逃げられない状況となったのか、そしてこの本のタイトルの意味を知ってほしいと思った。
初老のカルチャー講師月島からの性被害を告発した咲歩。月島と周辺関係者の現在と過去の語りで話は進む。編集者と作家(の卵)の立場からくる関係性の危うさ、パワハラ、セクハラの実情をうかがわせる。被害者が抱える自己憐憫、自己嫌悪からの再生。一方でモブキャラ女性たちの後日談がないのは著者の意図だろう。
セクシャルハラスメントの被害者の心理と加害者の心理がとてもわかりやすい。尊敬する師の行為は、尊敬しているがために断れなかったり、そんなはずはないと思ってしまったり。結局嫌々受け入れてしまった自分をも許せずに声も上げられず、心の奥深くにずっと澱のように溜まったままでいる。読んでいてまさに生皮を剥がされるような気分になった。被害者も悪いという意見もあるが、悪いのは絶対に加害者であると思う。「セクハラ」という概念がない時代はもっと多くの人が苦しんだのでしょう。被害者が少しでも少なくなっていくことを願う。
『ハラスメント』という言葉を日常的に耳にする様になったのはいつからだったか…少なくとも私の若い頃には無かった様に思う。本作の様な『セクハラ』となると男女の感じ方の差や、特に女性には他人に語り難い部分が多くなる様に思える。被害者は生皮を剥がされいつまでもも新しい皮は再生されずに血を流し続ける様な苦痛を感じている。決意し告発し、加害者は社会的制裁を受けたとしても被害者の苦痛は瞬時に癒される訳では無く、身近な家族にも苦痛は伝播してゆく。苦しみがどこまで続くのかと思うと何とも形容し難い気持ちになる。自分は被害者ではない、そんな出来事は無かったと思い込もうとして偽の皮を被るが、心身共に疲弊し、生活が破綻していく。素性も分からない人々からはSNS上で非難される…告発するも地獄、しないも地獄。結果、自ら命を絶つ人もいる。自分には関係ないというのは大きな間違いだと思う。被害者も加害者も明日は我が身。人への接し方には細心の注意が必要な社会になったのだと殺伐とした気持ちにもなる。
痛々しいタイトルでしたが、読んでいても苦しくて痛かったです。正当性の主張の仕方がリアルでした。この苦しさは、怒りなんだと思います。でも被害者たちの痛み、苦しみを正しく理解することはできません。ただ想像することしかできない、とこの作品を読んで強く思いました。
セクハラに対して、被害者と加害者の認識の違いがここまで違うのかと読んでいて驚いた。本作での月島の言い分には嫌悪感しかないが、現実でも多くの加害者が月島のように考えているのかもしれない。私はやはり被害者側からの観点で考えてしまいがちだが、加害者側からすればその行為がセクハラ-一方的な-に当たると本気で思っていない場合があるのだとしたら尚更怖くなった。善と悪の境目が微妙で人それぞれに感じ方が違うからハラスメントが起こってしまう。当事者に深入りしないようにすれば見て見ぬふりになってしまう。本当に難しい問題だと改めて思った。
セクハラの被害者と加害者の認識が、あまりにかけ離れている事に驚きと恐怖を覚えた。
同意はあった、自然な事たと思えた、小説の為に必要だった…。あまりにも身勝手な言い分なのに、権威のある側から言われるソレは、受け取る側の言葉を失わせる。そこにのうのうと胡座を描く姿はおぞましいと感じた。
被害者が告発することで、周囲からさらに好奇の目に晒され、家族ですら心がすれ違ってしまう事にも、憤りを覚えずにはいられない。加害者は被害者個人だけではなく、周囲の人間関係まで傷つけ破壊してしまうのだから。
こういったことは、セクハラだけではないのかも知れず、男女間だけではないのだろう。「ハラスメント」と言われる事全てに同様の辛い事実が潜んでいるのかも知れない。
生皮を剥がれ、いつまでも血を流しているように、被害者の傷は容易くは消えない。どんな言葉で誤魔化してもそこに傷ができてしまったことは事実であり、誰もが皆、目を背けてはいけないのだ。
今、巷を騒がせている映画監督によるセクシャルハラスメント報道。そんな現実の問題を思い出させる作品。
レイプを受けたと認めたくない、大したことじゃなかったと思いたい、そんな彼女たちの意志を裏切って心は悲鳴を上げ続けている。そんな中、一人の女性が声を上げる。
応援する声に混じる「なんで今頃声を上げるんだ」「自分でホテルに行ったんだろ」「男の方が被害者だ」と断罪する声が彼女たちを苛む。
いつも思うのは、暴力を振るわれ、脅され、命の危険を覚えるほどでなければレイプと認められないのかという疑問。被害者にも権威を利用する下心があったんだから仕方ないという論理は果たしてそうなのか。
やっと法律も整備されつつあるけれど、嫌だという意思表示に反して行われる行為は全てレイプだと認められる世の中であってほしい。
「嫌よ嫌よ好きのうち」なんていう身勝手な論理や、被害者をさらに貶めるセカンドレイプもなくなってほしい。
被害者がなかなか声を上げられなかった心情や、同じ立場にある女性たちの複雑な思いが、小説という形で描かれたことで本当に共感できた。
要は、当事者でなければ本当の事情も辛さもわからないということ。外野である者たちは、決して軽々に彼女たちの傷口に塩を塗りつける行為に加担してはならないとしみじみ思う。
物語では、声を上げたことで主人公が過去から今に一歩を踏み出せたことが嬉しかった。それを支えてくれる夫がいてくれたことも。
痛い、痛い、本当に全編心が痛かった。読んていて女性は皆生皮を剥がされる痛みを感じるのではないだろうか。権力をかさに、折しも似たような事件が今日もニュースを騒がせている。大事なのは、まず声を挙げること、次なる犠牲者を出さぬよう世間に知らしめることなのだ。これができる女性ばかりではないだろうけど…。若い女性にはぜひ読んてほしい。傷ついた心と体は決して元の状態に戻ることはないと知ってほしい。
空気に触れるだけでも痛い
セクハラ被害に遭った女性が、時をおいて週刊誌に告発し、その騒動を描いている。
加害者、被害者、関係者の目線でそれぞれ綴られているが、原因、遠因、結果それぞれがまとわりつくようで安定した状態ではいられない。この違和感はと訝しんでいたが、タイトルの真意が明かされたときに腑が落ちました。
加害者側のもっともらしい言い訳に嫌悪感を憶えながらも、不謹慎な例えですが「交通事故」の処理のように感じてしまいました。被害者からすると責任は0:100の筈なのに、警察の実地検証、保険会社の査定が入るといつの間にか結果は0:100から10:90、30:70、下手すると50:50までになってしまう恐ろしさ。問題の根深さに慄く次第です。
瘡蓋ができ痛みが安定するの待つしかないのかと不安に慄く作品。
性被害は身近にある。私も幼い頃、痴漢も含めて何度か遭っている。誰にも話せず、傷が癒えることもない。無理矢理なかったことにして生きている女性は少なくないと思う。井上荒野さんの作品はいつも読みやすく疲れない。男性と女性のセクハラに対する認識の差が埋まらない事など、すんなりと理解できる文章だった。
「セクハラ」、何と軽い言い回しなのでしょう。
その軽さから、冗談のように使っていなかったかと、自分の言動を振り返りました。
性被害・性暴力を「セクハラ」の一言でまとめてしまっては、被害者の痛みが、真の痛みが伝わらないのだと思った。生皮を剥がれ、何年経っても血が滲み、ふとした弾みで血が噴き出す。
当事者にしか分からない苦しみや自己嫌悪感に対する自分の認識の浅さを反省しました。
加害者側の言い分や考え方は腹立たしかった。優位な立場を利用した犯罪であることを分からせるにはどうしたらよいのだろう。
句会結社の集団で行ったハラスメントには開いた口がふさがらないが、自分の周辺を見渡すと、趣味のサークルの中や閉じた集団内ではハラスメントは横行している。
どのような言葉がけをすればよいのかを考えさせられた。
小説講座の中年講師が元生徒の主婦から性被害で訴えられる。元生徒の女性作家にも彼の所業を肯定された彼は。視点は講師、訴えた主婦、加害講師の娘などに交互に変わり、その視点からの考えを示してゆく。加害男性は恋愛と思い被害女性は性被害と思う認識のズレ。いわゆるこれはセクハラだけでなく、講師という立場を利用したパワハラでもあり、心を壊す虐待でもあるのだなと。
生々しすぎて痛みがささってくる。まるで自分が体験したかのような痛みが残る。どうしてセクハラというかレイプが起きたのかという経緯を両者の思考を踏まえ書かれているので、読んでいて辛いものがある。完全にセクハラした方に罪の意識がないこと、むしろこの俺が目をかけてあげたことを有難く思えという思考が恐ろしいし、とても悲しい。文字で表現する職業に関わる方なのに、完全に相手の気持ちを想像する力が欠如していて、恐ろしい。こういう問題のときにでる「拒否をされなかったので同意である」「断ればいいだけ」というアレだが、本当は「怖くて何も言えなかった」ということもあるのだ。それがよく伝わってくる物語だった。
セクハラ被害者、加害者、セクハラを容認した周囲の人だけでなくセクハラを告発した週刊誌を見た人まで、殆ど全ての人の意見を入れた構成だから最後の作者が本当に言いたかった言葉が傷から血が流れている様を見せつけるくらい響く構成で凄いと思いました。正直言ってNetGalleyになかったら手に取らなかった作品だったけど読んで良かったと思いました。ハラスメントはする人ではなくハラスメントをしてもそれを正さずに容認する環境が変わらない限り無くならないのだと学びその場に居たらそれは駄目だと言える勇気を持ちたいと思いました。
受け入れ難い事実を目の当たりにした時、心の防衛機制が働く。あの人がそんなことをするはずがない、自分が悪かったのかもしれない。自らを責め、違和感と罪悪感を抱き続け、「やっぱりあれは加害だった」と受け止められるようになるまで長い年月が掛かる。何故今更? ではなく、耐え抜いてようやく今、なのだ。それほどの間痛みが消えずに残っているのだ。被害者と加害者の認識の乖離がリアル。また被害者のうち被害を受け止めきれなかった人の認識も歪んだまま、その溝は傷口であり、完全に塞がることはない。生皮はまだ、剥がれ続けている。
何だかものすごく怖くて苦手なものを読んでしまったかな、と思いつつ読了して見えてきたものは思っていたより単純でなかったなという不思議さです。
とても静かに恐ろしいものに触れている感じがしました。両者の言い分を見ているとわたしはやっぱり女性側に近い見方をしましたがでもこの人もなんか可哀想なんだよなと。
人付き合いとは視点ごとに全く異なるものになってしまうのでしょうか。