パンとサーカス
島田雅彦
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刊行日 2022/02/21 | 掲載終了日 2022/03/21
ハッシュタグ:#パンとサーカス #NetGalleyJP
内容紹介
政治的関心を失った民衆には、食糧<パン>と見世物<サーカス>を与えれば支配は容易だ。
ディストピア日本に文学で革命を起こす、
一大スペクタクル小説!
CIAエージェントになった寵児(ちょうじ)、
ヤクザの2代目空也(くうや)が
アメリカの間接統治に盲従し、利権を貪る政治家、資産家に鉄槌をくらわせる。
名作『七人の侍』や『スパルタカス』のパッションを再現し、韓流ドラマの傑作に並ぶ一大エンターティンメント!
大ボリュームの本作より、第一部(~267ページ)までを限定公開です!
「私の暴走にどうかお付き合いください」――著者
分断と諦念にあえぐ日本に小説で革命を起こす
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★★
出版情報
ISBN | 9784065268742 |
本体価格 | ¥2,000 (JPY) |
NetGalley会員レビュー
初読みの作家さんで、内容紹介で気になり読んでみました。
ディストピア日本を通して現実社会の私たちに、社会問題などを問いかけられていました。
公開されている部分は鉄槌が下される前にが始まる前に終わってしまったので、ディストピア日本は一体どうなったのでしょう。
サーカスが始まる前までが公開されているので、どのような鉄槌が下されていくのか先が気になります。
面従腹背。
自分達が生き長らえないと。
これからどんな活躍が繰り広げられるのか。
詩人。マリアの今後が気になる。
文句言うのは反則か。将来、このような世界になるのであろうか。
三千世界。桜田マリア。
タイトルが有名な比喩であったのに目を引かれ、どんな本なのか興味を持った。
物語の初めでは、登場人物の生活や性格について一人ずつ描かれていく。謎の詩人とそれを助ける聖母(飲食店勤務)、ヤクザの親分の息子とその仲間「未来のコントラ・ムンディ(仮)」。主人公は親分の息子と思いきや、話は仲間の方にフォーカスされていくことに驚きを隠せなかった。
そして再び親分の息子が登場するようになったとき、この4人がパズルのピースのようにぴたっとはまって絵画となる。「誰も信用するな。自分すら疑ってかかれ。」(8章) の言葉の通り、パン(健康で文化的な最低限度の生活)とサーカス(身近に溢れるさまざまな「たのしい」情報)を与えられて日本という国で生きてきた自分の常識も思考も疑いたくなる作品だった。
羊飼いたちは羊たちの福利厚生よりもカウボーイたちの要求をこなすことに熱心なことに慣れた羊たちは声を上げて環境を変えることを諦めてしまった。羊飼いたちに虐げられた少数の羊たちは心にナイフを隠してメシアを待ち侘びていたが、ハーメルンの笛吹きが現れてメシアが現れないなら一緒にサーカスを開演しようと声をかけたところで中断だとどんなサーカスなのか、羊たちは目を覚ますのか気になって堪らないです。
いわゆるハードロックの作品として多彩な人物が登場する。舞台が政治であることもあって現実の事件や政治課題を彷彿とさせる場面が多く、楽しませるという以上の社会批判、政治哲学が覗く。民衆を支配するのはパンとサーカスさえあればよいーそれを逆手にとって始まる世直しテロがこの後の展開になるが、小気味よいアイデアと、政権と反社という真逆の立場に立つ二人の若者がつなぐ人々が紡ぐ世界の広がりはまさにハードボイルドの骨頂であると同時にこれからの政治に「もしかしたら」という希望のようなものを感じさせてくれるのではないかと期待もしている。
自分が生きて来た日本という国の深層部で蠢くよからぬ者たちの馴れ合いと慣習に気づくことなく過ごす、いやそう仕向けられている仕組みを突きつけられた気がする。パンとサーカスの意味するところを知り慄然とする思いと、ああやっぱりそうなのかと諦念を深くする部分とがクロスした。
空也、マリア、寵児、そしてまだ化ける余地を見せている蓮華操、役者はとりあえず揃ったところで第一部が終わるわけだが、これは紙の本で読み継ぎます!ありがとうございました。
為政者は、国民を愚民にするために、
パンとサーカスをあてがい、思考停止にさせ、不満を意識させないようにする。しかしどうしても誰かの(組織の)犠牲になるものは現れ、怒りを噴出したいと溜め込んでいる。ほとんど悪の中に、善の心を持つ登場人物たちが、政治の世界を変えていけるのか。ヒリヒリしながら見守る。
バイオレンスな部分はあるけど、登場人物の言うことに説得力があり、なるほど〜といちいち唸りながら読んだ。
当たり前だけど、どう生きるかは自分次第だということを改めて突きつけられた気がする。
登場人物がみんな確固たる信念を持って行動していて、カッコイイと単純に思えた
作者は同世代なのですが、作品を読むのはデビュー作の『優しいサヨクのための嬉遊曲』以来ですので、かれこれ40年近く久しぶりでした。作風変わったーというのが第一印象でしたが、これまでの40年の変遷がわからないし、この作品だけかもしれませんが主人公のエージェントは作者の生写しか影武者でしょうか(笑)
休みの日をほぼ丸一日使って読んだ感想として、こんなに悲しい生き方が本当に世の中にあるのかな?と思いました。賢くて閉じてわたしなら病気になってしまうと部屋で1人もくもく読書をしながら思いました。
人は繋がりの中で生きているなとやたら感じた小説です。時に露見するストリクトジョークにふっと鼻で笑ってしまいます。いやあ面白いなあと思いました。
学生時代の親友だった二人。
一人はCIAのエージェントにもうひとりは家業を継いでヤクザになった。
寵児がスパイとして留学先のアメリカから日本に戻ってきたことで、二人の友情は再び動き出した。
思考停止した日本国民と政治家たち…
続きがとても気になります。
救いはあるのでしょうか・・
内容を知らぬまま紙の本を手に取ってちょっとした辞書並みの分厚さにひるむ。新聞連載だったとのこと。暴走に付き合ってください、というコメント通り、全編通した密度とスピードでぶっとんでた。すべてが強烈な皮肉と風刺じゃないかなとうけとれる。風刺や政治を楽しめる人なら堪能できるだろう。
あまりに分厚いし、発刊からまた時間が経っていないせいもあるか、全編通しての内容に関する感想やレビューはそう出てきていない気がする。
この長さで、こう収束させる構成は何を意味するのか?
展開は相当世界中を飛び跳ねてくるくる変わるのだけれど、視点や中心になる人物は決まっているので(相当個性的だけど)、どこかに着地点を見つける予感はあれど、分厚い本の残りがだんだん減っていくのに、この残りのページ数でどう収束させるのか・・・焦るようなドキドキ感、感じた人はいないだろうか?
すべての人物や出来事にモデルがありそうで、めちゃくちゃ面白いのだけれど、この終わり方が計算されたものなのか、いまいちよくわからない。もっともっと続いてほしい気持ちで読み終えた。
まとまった分析をどこかで読んでみたいなと思う。
(意味不明ということはないのだが。読者に投げかける感じでもない)。
すべての固有名詞にダブルミーニングが仕込まれてそうだなと思う。砂漠谷絵里(エリサバクタニ)とかいう名前の人物が出てきた時にまず笑った(大して重要な役ではないのだけど。
島田雅彦を読むのは随分と久しぶりだ。
発売前、相当前にゲラは配布されてたけれど、長編の一部のみだったので 手をつけていなかった。第一部だけ読んでも全然話がわからないので・・・(💦)
相当いろんなものが詰め込まれていました。まとまった感想を書けなくて御免なさいという気持ちです。
Cf.
パンとサーカス(羅: panem et circenses)は、詩人ユウェナリス(西暦60年 - 130年)が古代ローマ社会の世相を批判して詩篇中で使用した表現。権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によって、ローマ市民が政治的盲目に置かれていることを指摘した。パンと見世物ともいう[1]。(Wikiより)