月夜の森の梟

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刊行日 2021/11/05 | 掲載終了日 2021/11/12

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内容紹介

●近年、稀にみる圧倒的共感を得た朝日新聞連載の書籍化

「年をとったおまえを見たかった。見られないとわかると残念だな」(「哀しみがたまる場所」)

作家夫婦は病と死に向きあい、どのように過ごしたのか。残された著者は過去の記憶の不意うちに苦しみ、その後を生き抜く。心の底から生きることを励ます喪失エッセイの傑作、52編。


◯本文より

あと何日生きられるんだろう、と夫がふいに沈黙を破って言った。/「……もう手だてがなくなっちゃったな」/私は黙っていた。黙ったまま、目をふせて、湯気のたつカップラーメンをすすり続けた。/この人はもうじき死ぬんだ、もう助からないんだ、と思うと、気が狂いそうだった。(「あの日のカップラーメン」)

余命を意識し始めた夫は、毎日、惜しむように外の風景を眺め、愛でていた。野鳥の鳴き声に耳をすませ、庭に咲く季節の山野草をスマートフォンのカメラで撮影し続けた。/彼は言った。こういうものとの別れが、一番つらい、と。(「バーチャルな死、現実の死」)

 たかがパンツのゴム一本、どうしてすぐにつけ替えてやれなかったのだろう、と思う。どれほど煩わしくても、どんな忙しい時でも、三十分もあればできたはずだった。/家族や伴侶を失った世界中の誰もが、様々な小さなことで、例外なく悔やんでいる。同様に私も悔やむ。(「悔やむ」)

昨年の年明け、衰弱が始まった夫を前にした主治医から「残念ですが」と言われた。「桜の花の咲くころまで、でしょう」と。/以来、私は桜の花が嫌いになった。見るのが怖かった。(「桜の咲くころまで」)

元気だったころ、派手な喧嘩を繰り返した。別れよう、と本気で口にしたことは数知れない。でも別れなかった。たぶん、互いに別れられなかったのだ。/夫婦愛、相性の善し悪し、といったこととは無関係である。私たちは互いが互いの「かたわれ」だった。(「かたわれ」)


●近年、稀にみる圧倒的共感を得た朝日新聞連載の書籍化

「年をとったおまえを見たかった。見られないとわかると残念だな」(「哀しみがたまる場所」)

作家夫婦は病と死に向きあい、どのように過ごしたのか。残された著者は過去の記憶の不意うちに苦しみ、その後を生き抜く。心の底から生きることを励ます喪失エッセイの傑作、52編。


◯本文より

あと何日生きられるんだろう、と夫がふいに沈黙を破って言った。/「...


おすすめコメント

小池真理子さんが、亡くなった夫の作家・藤田宜永さんとの死別、その喪失と向き合う日々を描き、連載時から多くの読者の共感を得たエッセイ「月夜の森の梟」を11月5日に発売します。

 涙で読み進められないほどに悲しく、それでいて愛にあふれた美しい文章に、同じくかけがえのない人との別れを経験した読者から多くの共感の手紙、メール、FAXが届きました。また、著名人からも絶賛の評が寄せられています。

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小池真理子さんが、亡くなった夫の作家・藤田宜永さんとの死別、その喪失と向き合う日々を描き、連載時から多くの読者の共感を得たエッセイ「月夜の森の梟」を11月5日に発売します。

 涙で読み進められないほどに悲しく、それでいて愛にあふれた美しい文章に、同じくかけがえのない人との別れを経験した読者から多くの共感の手紙、メール、FAXが届きました。また、著名人からも絶賛の評が寄せられています。

是非ご一...


出版情報

発行形態 ハードカバー
ISBN 9784022518002
本体価格 ¥1,200 (JPY)

閲覧オプション

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NetGalley会員レビュー

まだ結婚して13年ですが、かたわれ、半身という言葉がよくわかります。
ありとあらゆる事を話し合い、喧嘩し、愛や恋とも違うような体温や脳の一部をシェアするのが当たり前の相手、夫との時間や、毎日過ぎ行く太陽、風、季節の移り変わりなどが、読んだ後くっきりと感じられるようになりました。
これから、今まで手にいれてきたものをひとつひとつ失っていくであろう道が先に見えはじめています。
喪失の悲しみを綴ったエッセイなのに、人生や愛の美しさに泣きました。

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大切な人を失う哀しみや苦しみが痛いくらいに伝わってくる。
それと同じくらい、いやそれ以上に二人が出会えた喜びや人生の奇跡に温かな気持ちになった。

自らの「かたわれ」と言わしめるほどの愛は、いかようなものであったのか。

命の期限を下された夜に啜っていたカップラーメンの音が不似合いで、振り返って「あれはないよな」と思う描写。
人生は残酷でいて滑稽なんだなと思った。

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死に別れた旦那様との思い出や気持ちを綴ったエッセイ。
こんなに長い年月、長い時を一緒にすごしてきてもこんなに仲が良いご夫婦がいたものか…と感動する。
思い出の端々に楽しそうな顔や声が浮かんできて、自然の中で本当に仲良く楽しく暮らしてらしたんだなと感じました。
人は誰でも死を迎えるし、親しい人の死を受け入れなければならない時がくる。
私はどんな風に感じ、思い出し、受け入れて癒されていくのかと読みながら考えさせられました。

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気づかない内に、自分の中の欠けていたところが優しくなでられているような感覚に陥りました。小池先生の語り口調がとても穏やかで、真綿で包まれているようで…
優しくて泣けてくる。
大切な人との別れ、そして変わったけど変わらぬ日常。
特に、自然の移り変わりを描かれる場面にはお二方の自然を愛する思いが溢れておりました。
個人的には猫の描写がとても好きでした。猫のしっぽを握りながら藤田さんが歩いているといいなと。
どの文章にも、夫である藤田さんへの思い、身近な大切な人達への思い全てが本当に誠実で、ユーモアがあって、素敵です。

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購入したいと思います。

夫が先に逝くという事は、1/2の確率で、やがて確実に起こります。
その不安は、漠然と、でも常に心のどこかにあります。
もしもそれが、夫が藤田さんが亡くなられた歳に起こるなら、後10年ありません。

この本を読んで、不安が消えた訳ではありませんが、少し、柔らかな気持ちになりました。

夫が先に逝く時が訪れた時、読み返せるかどうかは分かりませんが。
この作品を、持っておきたい…と、思いました。

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毎夜、つがいのもとへ、とどけと鳴く梟の、せつない鳴声を聞き続ける。
そんなふうにページをめくり、言葉を追う。
静かに、深く、途絶え途絶えになりそうに細く、でも決して切れたりしない強く熱い梟の声。
目の前の美しく微笑むその人が、実は、「背中に匕首を刺されたまま」わたしに対しているなんて思いもしない・・・でも、喪失は順番こそ違え、かならず訪れるもの。そのときにならなければ、本当にはわからない。
ごく、あたりまえに、喪失は日常の中いて、気づく人はやはり、その喪失を知っている人なんでしょう。
慰めて癒えるものじゃない。SNSで検索しても、答えはない。ただ、同じ悲しみに住む人だと共感できるときには、なにか、なにか、ホッとする。
梟の鳴き声のようなこのエッセイが、どこかで耐えられない喪失の中にいるひとにとどけばいいのに。
わたしは、何もできないから、猫になります。だまって、真理子さんの横でいます。そんな、時間でした。

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