超プロヒモ理論 浮いた家賃は1000万、寄生生活13年の逃げきり幸福論

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刊行日 2021/06/25 | 掲載終了日 2021/07/06

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内容紹介

世間の「普通」や「常識」にすがらず、自分の幸せは自分でつかめ!

「3回目デートで告白してからお付き合い。クリスマスは一緒に過ごすもの」

「満員電車に揺られて9時に出勤するのも、目には見えない人間関係のゴタゴタも、辛いことが多いのも全部あたりまえ。それが仕事というものだ」

「男性は社会に出て女性より稼ぐのが普通、女性は家事育児も両立して給料が男性より少ないことだって普通のこと」

…本当にそうなのか?

男女の関係性も、仕事も、人間関係も、世間の価値観に縛られすぎている!

起伏の多い人生と壮絶な恋愛経験、幼稚園の帰り道に降ってきた天啓から「自分にはヒモが合っている」と悟り、一度も会社勤めをせず10年以上もの間ヒモとして生活を送ってきた「ふみくん」。

結果、世間一般の価値観とは別のところに落ち着いてしまった究極の“悟り型”恋愛観、人間関係、仕事観…

不況にコロナに・・・ままならない世の中で、やりたくないことはやらなくていい!

自分の幸せは他人や世間が決めるものではない!

唯一無二&前代未聞の“プロヒモ的幸福論”を紹介。

Chapter1 なぜプロヒモに?流されに流された結果、”ヒモ”としてのスキルだけが身についていた

Chapter2 ヒモがいままで受けてきた恋愛相談から男女の関係性を考える

Chapter3 人間関係全般「逃げてもいいし嫌われても良い」

Chapter4 これからの社会にいかようにも順応できるプロヒモ的思考~仕事・お金・生き方について僕が考えていること~

【著者紹介】

ふみくん

本業:ヒモ、副業:ライター。32歳。早稲田大学人間科学部卒。学生時代から10年間、10人の女性の家に居候を続け、1000万超の家賃を浮かせてきた。彼女の言動は全て肯定する優しさを持ち合わせ、料理をはじめ家事を施し女性の家にすみつづけている。沖縄在住。“ヒモ“ではなく”プロヒモ“である由縁は、女性に合わせて自分の“あり方”を変え、「『飼いたい』と思わせるために努力を惜しまない」という点に“プロ”を見出している」ため。


世間の「普通」や「常識」にすがらず、自分の幸せは自分でつかめ!

「3回目デートで告白してからお付き合い。クリスマスは一緒に過ごすもの」

「満員電車に揺られて9時に出勤するのも、目には見えない人間関係のゴタゴタも、辛いことが多いのも全部あたりまえ。それが仕事というものだ」

「男性は社会に出て女性より稼ぐのが普通、女性は家事育児も両立して給料が男性より少ないことだって普通のこと」

…本当にそう...


出版情報

発行形態 ソフトカバー
ISBN 9784576210995
本体価格 ¥1,300 (JPY)

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NetGalley会員レビュー

タイトルに惹かれ読みました。
ちなみに、面白そうだと思ったわけではありません。
どっちかと言うと、タイトルを見てイラっとして、
いかにも善良そうに描かれているそのイラストにもイラっとして、
サブタイトルに幸福論だなんて書いてあることにもイラっとして、
どんな能書きを垂れてるのかって、つい出来心で(ひどい)本を開きました。
面白くなかったら(むしろ、面白くないであろうとタカをくくっていたので)すぐ読むのをやめようと思って、ダウンロードしました。

が、全部読んでしまいました。

私は自分自身のことをワガママで利己的な人間だと自覚していますが、
とても作者さん……親しみを込めて、ここはふみくんと呼ばせてください、ふみくんには敵いません。
これは嫌味ではないのです。
ある意味気持ちがいいというか、その徹底ぶりに感動すら覚えました。
何より驚いたのは、人間関係における“しがらみ”のようなものを一切排除して生きているにもかかわらず、それなりに周りに人がいることです。
ヒモの寄生先となる女性たちはもちろん、声を掛けてくれる友達までいる。
私は、一見ワガママにふるまいながらも、やはりどこか人様の顔色を伺って生きています。
嫌われたらどうしようとか、好かれるにはどうしたらいいんだとか、相手の気持ちと「脳幹をつなげられるわけでもないのに」(←この表現好きです)くどくどと考えてしまう。
かつて起こったことを嘆き、これから起こるであろうことを予想して怯え、自分軸で生きているつもりで、結局は他人軸で生きているのです。
これは私だけじゃなくて、乱暴な言葉でくくってしまえば、「みんな」そうじゃないかと思うのです。
この社会で生きていく上でそれは避けられないことと諦めているし、
現在思春期の子育て真っ最中ではありますが、そのように子どもたちに伝えることすらあります。
ある程度は我慢しないといけない、と。この世は理不尽なものなのだ、そこから逃げてはいけないのだ、と。

でもふみくんは(いやある意味、常に顔色は伺い続けてはいるのですが笑)他人軸に合わせようとしません。
そんな時間と精神的な負担は無駄だときっぱり切り捨て、気を遣わなければいけない相手や、気を遣わなければならない状況の一切合切から逃げ続けて、それでもふつうに(ふつうの定義は置いといて)暮らしています。
無理をする意味って何なのと、ストレートに投げかけてきます。
これが許されるのは、無敵キャラというか最強キャラというか、そういうふるまいが許されてしまうごく一部のスーパーハイスペックピーポーだけって思い込んでいました。(私の中で叶恭子さんがそう)
ふみくん自身は全然そんな人ではないですよね。
それでも、ふみくんを結婚式に誘わなかった友人が言います、「だっておまえ、そういうの無理だろ?」と。
ふみくんの非社会性を受け入れ、理解する友人がいる。(でもここで結婚式に参加するふみくん、笑えました)
強がっている風でも、無理をしている風でもなく、自分軸第一主義を貫き通す姿勢に何故か嫌味がない。いや、ふみくん流に言えば、そこに嫌味を感じる人は、そもそもこの本を読まなければいいだけなんです。ふみくんと関わらなければいいだけ。この視点が大事なんです。
まぁさすがに「そうかわかった!じゃ私も明日からヒモになるわ!」ってわけにはいかないですが、ちょっとくらいは「逃げて」もいいんじゃないかなって。
「無理し続ける」ことから逃げても、そこで人生が終了するわけじゃないんだなって、そう思えました。
そしてそう思った瞬間に、ふっとどこかに詰まっていた、何かがぷすっと抜けました。
しかも「自分が無理をしている」関係は「相手にとってもストレス」!
これが目から鱗。つい自分の感情に目を向けてしまいがちだけど、自分が辛いだけじゃなくて相手も辛いのだとしたら、無理をすることの生産性の低さよ……。

長くなってしまいましたが、私の中で、結構価値観シフトになった一冊でした。
意地悪を言えば、この生活を続けるであろうふみくんの、20年後に書いたものを、ぜひ読んでみたいです。
そのころふみくんは、今を振り返ってどう思うんだろうなぁ。

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