エンド・オブ・ライフ
佐々涼子
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刊行日 2020/02/05 | 掲載終了日 2021/01/17
ハッシュタグ:#エンドオブライフ #NetGalleyJP
内容紹介
全国の書店員が選んだ
「Yahoo!ニュース|本屋大賞 2020年 ノンフィクション本大賞」受賞作
「命の閉じ方」をレッスンする。
◎ベストセラー『エンジェルフライト』『紙つなげ!』に続く、著者のライフワーク三部作の最終章。
◎著者がこだわり続けてきた「理想の死の迎え方」に、真っ正面から向き合ったノンフィクション。
◎2013年に京都の診療所を訪れてから7年間、寄り添うように見てきた終末医療の現場を感動的に綴る。
200名の患者を看取ってきた看護師の友人が癌に罹患。「看取りのプロフェッショナル」である友人の死への向き合い方は、意外なものだった。最期の日々を共に過ごすことで見えてきた「理想の死の迎え方」とは。
著者が在宅医療の取材に取り組むきっかけとなった自身の母の病気と、献身的に看病する父の話を交え、7年間にわたる在宅での終末医療の現場を活写する。読むものに、自身や家族の終末期のあり方を考えさせてくれるノンフィクション。
出版情報
発行形態 | ハードカバー |
ISBN | 9784797673814 |
本体価格 | ¥1,700 (JPY) |
NetGalley会員レビュー
本屋大賞ノンフィクション本大賞受賞で話題になったのもあり、どんな作品かと訊かれる。
帯などから終末期医療や在宅医療、生命の閉じ方とあるから言うに及ばずなので、電車の中では読めなかったですね。と返せば、大体の人は察しがつくのかあぁーとなる。
読んでどうだった?と訊かれたら、信仰の意義とTDLのもつ凄さ(語彙力下さい)を考え、思い知ったと答えた。
信仰のある人が死と向き合った時の強さというか、悟りの様なものは、死を思うと怖い怖いとしてしまう自分からすると羨ましくさえ思えしまうものだった。
在宅医療とはどんなものなのか、そこにある利点難点を著者自らの体験談も書かれていて、お母様を献身的に介護するお父様の姿にどうしたらそこまでできるのかと、
同じように最期を自宅で看取った母と重ねずにはいられず、そして重なれば後悔ばかりがわき起こり、辛くもあった。
ここに描かれるのは死と向き合う当人と周りの人達のひとつの例に過ぎないかもしれないけれど、こんな風に考えて行動できる人達がいるのことを知れて本当によかった。
緩和ケア、終末期医療に勤しんできた看護師がガンを宣告され、
それを受け入れ最後の時まで生ききる記録
自分の最後の時に思いをはせる時に、
自分がどうしたいか、どうありたいかを考えることは
「今を生きる」ことにつながるのだと思いました。
育児や仕事など日々の生活で精一杯の自分ですが、
今日1日を悔いなく生きる、生ききるということが何よりも尊いのだと感じました
かわいそうとか、大変だとかいう言葉で片づけてほしくない。
そこには長さでは測れない、命の質というものがあるはずなんです。
森山さんや訪問看護専門の仕事に携わる人たちの仕事ぶりに心を打たれました。
介護される人の立場に立つ。言うのは簡単ですが、実際に行うことの覚悟が伝わってきました。
命の閉じ方。まだまだ・・、と思ってないで考えて伝えておきたい。
人はいつか死ぬ。
生まれた時から死に向かって刻一刻と近づいている。それがいつかは、わからないけれど。
それがいつか、を突きつけられるのが癌などの病だ。
この本は、在宅医療を通して人々の生き方を伝えてくれる。自分は死ぬ。あとどのくらいで。しかも身体も1日と言えないスピードで悪くなっているのを自覚させられながら。そこに打ち勝ち続けるのが正しい患者のあり方なのか?
採算度外視で向き合うスタッフの姿。いろいろな患者のタイプに向き合い、併走していく。そして1人の看護師の在宅医療の姿。
父を癌で亡くした私には、あれもこれもできたはずなのにしなかった事への悔恨が癒えることなく、この本を読んだからと言って昇華はしていない。けれどもしかしたら、この本を読みお別れをするための時間を過ごせたことは幸せだったのかもと、心のどこかで思えるようになった。
自分と向き合うこともまた、死を考えることつまり生き方を考えることなのだ。
今の時代殆どの人は病院で最後の時を迎えるが、それに違和感を抱いている人もいると思う。しかし家族がその様な状態になった時、在宅医療を選択するのは大きな決断と覚悟が必要だ。そんな時ここに紹介されている訪問診療所や看護士と出会うことができればどんなに喜ばしいだろうか。病気を治すことや、延命することだけが医療では決してない。本人や家族の望む最後の時を過すために尽力する彼らの姿には只々脱帽するばかりだ。何処もが同じ様には決して出来ないとは思うが、医療関係者には少しでもいいから参考にしてもらいたい。
入院中、読みました。
大したことない入院でしたが、弱っていたのは確かです。
しっかり生きなくちゃと空回りしている自覚も、ちょっぴりありました。
半生を、信じたかった人に全否定された時期でもあります。
そんなときだったから、本当は、このタイトルの本を読まないほうがいいのかもとも、思っていました。
でも読んじゃった。
読んでよかったです。
地続きの自分の人生を、ここからも丁寧に紡ごうと思えました。歩いた土の中に、子どもたちが受けとれる何かを一粒だけでも贈れるように。
佐々さんの本は2冊読ませてもらってます。
今回も気になり読ませてもらいました。
人を最期まで看取るというのは自分が思っている以上に
覚悟がいるものと改めて感じました。
またその看取りを行っている在宅医療の方々に深く感銘しました。
私も両親を看取ることがあろうかと思いますが、少しでもこの話が役立てばと思います。
#エンド・オブ・ライフ
#NetGalley Jp
かなり前ですが母親が何度か転移を経たのちのガンで逝くのを見守りました。残された時を知り、自宅で一緒にすごしました。沢山話をし、事故や災害でいきなり大切な人を失うのはつらかろう、私たち幸せね、と泣きながらいいました。
その後また別の縁あって地獄の在宅介護も目の当たりにしました。摘便やいろうや、なにもかも。
この本はそれをみてきた自分には、ふりかえりのようなものでしたが、それをこえて深い何かを残しました。森山さんありがとう、佐々さん、書いてくれてありがとう。
紙つなげ!はかなり前に既読。こちらもすさまじい迫力でした。
『紙つなげ』『エンジェルフライト』と、佐々さんのノンフィクションには心動かされてきました。
今回も!と期待して読み始めたのですが、ある意味で想定外、そしてずしんと響く作品でした。
前作から今作までの間の佐々さんご自身のこと、ご家族のこと、在宅介護のこと、若い友人を見送らねばならなかったこと。佐々さんの悩み、戸惑い、考えたことが、飾らない言葉で伝わってくるように思いました。
自分自身のが見送った家族のこと、未来の自分のこと。たくさんのことを思い出し、たくさんのことを考えました。
ぜひ他の方にもお勧めしたいと思います。
終末医療は辛く、悲しい。私は出来れば見たくない部分だと思っていた。この本に描かれた渡辺西賀茂診療所の在宅介護への取り組み。患者さんに寄り添うスタッフの姿はとても美しかった。スタッフのひとり、森山さんの仕事ぶりと闘病。そして作者の母親の闘病と、父親の献身的な介護の様子が、時間が行ったり来たりしながら描かれる。どうしてここまで出来るんろう??と何度も思った。
「自分がしている、それ以上の物をもらっている」と彼らは言う。
作者の母親の介護をする父親は、
「やりたいからやっている。生きていてくれたらいい」と言う。
死にゆく人は、助けてもらうだけの無力な存在ではなく、豊かなものを沢山教えてくれる存在。
森山さんの生き方を通して、教えられた。
生きたようにしか、最期は迎えられない。そんなふうに考えたことはなかった。でも生きて死ぬことはひと続きなのだ。私はどんな風に人生を閉じることが出来るのか。今までと違った意味で怖くなった。
わたしは家族を在宅で見送る愛と覚悟を持ち、そして自身もまた自宅で生涯を終える事を選択肢にできる人間でいられるだろうか。この本は人生の閉じ方だけでなく、そこに向かうための生き方を見つめ直す機会を与えてくれた。
個人的な理想の死に方はガンでの余命宣告後、数ヶ月~数年以内に逝くことだが、この本を読んでますますその思いを強めた。
ここまでケア体制が万全なところは国内でもそう多くないと思うけれど健康とされているうちにある程度いろいろ調べておきたいと考えさせられました。
物語ではない本当の命の軌跡がそこにありました。2013年間から7年もの長期に渡る週末医療と在宅介護の取材と執筆活動。人の命が語りかけるメッセージに溢れていて、心を動かされました。
死は誰にも平等に訪れるけれど、過程は人それぞれ。在宅介護の素晴らしさと大変さの両方を知ることができました。
最後までその人らしさを失わない医療とは…。高度医療が進み、延命治療という道が開かれて、人間は幸せなのか?週末医療のあり方を真剣に考えてみたくなりました。
在宅医療を支える、訪問看護師ががんになり、その最期までを友人として、ライターとして見続けたノンフィクションです。在宅のもっとも幸福な過ごし方とは何かを、著者は見せられたのだという。在宅医療が選択肢のひとつとして、選びやすくなる社会になるといいと思います。
終末期を生き切った患者さんに寄り添ったエスノグラフィーのよう。自分や近しい人が癌などにかかり、余命が宣告されたら、どのように生きれば最も後悔が少ないのか、示唆を得た。やりたいこと、会いたい人、たとえそれをやることで命が多少短くなっても、やらせてあげたい。そしてその生きざまが、亡くなった後も、関わった人に影響を与え続けたら、その人は生きているといえるのかもしれない。
私も母の最後は在宅で看とりました それなりに満足していましたが、こんな世界があるとは、もっと早くにこの本に出会いたかった この本には様々な人たちの在宅での命の閉じ方が描かれていましたが、最高の最後の過ごし方のヒントになると思います
自分の命が後わずかとなった時に何をしたいか?それは人それぞれですが、無理して命を縮めてしまってはいけないという周りの気持ちが重荷になることもあるのです。たとえ、その行動で体力を使い果たしてしまい、死期が早まってしまったとしても、その人の何かをしたいという気持ちは尊重されるべきだと思います。
この本のはじめの方で紹介されていた潮干狩りへ行った家族の話を読んで、患者さんの意思が一番大事なんだなと思いました。その人が望むことをできるだけ実現してあげることが、周りの人間の使命であるような気がしたのです。
この方が亡くなった時に、周りに集まった人たちが涙を流しながらも拍手したというシーンでは、思わずもらい泣きしてしまいました。
自分が死ぬということを受け入れるのは、とても大変なことです。最後まで受け入れられない人もいます。それはそれで仕方ないことなのです。それでも、その人らしく生き続け、死んでいく。それができればいいんじゃないかと思います。
そんなわたしたちのために訪問治療をしてくださる医療機関の方々の尽力に感謝するばかりです。
とても素晴らしい本でした。ありがとうございます。
なぜ、死は誰にでも訪れるものだから…とわかっていながら、私自身と家族には無縁のことだとつい思ってしまうのだろう。
この美しい本に書かれている命の終わりと、それを見守り、支え、献身のかぎりを尽くしている人々の物語は他人事ではないのだ。
ご自身の家族のことも交えながら、丹念に冷静なわかりやすい文章で書かれた佐々さんの取材力が素晴らしい。こんなに愛されている人が、こんなに求められている人がなぜこの若さで死んでしまうのか…。
こんなにも心を揺さぶられるようなノンフィクション、どうかノンフィクションだからと敬遠せずに手を伸ばしてほしい。このテーマに踏み込み、書ききってくれたのが佐々さんで本当に良かった。
「エンジェルフライト」といい「紙つなげ!」といい、佐々さんの文章には淡々とした文章の中に隠しきれない燃えるような命の輝きが溢れている。
在宅医療についてのノンフィクション。多くの患者を看取ってきた看護師は、末期がんになった自らの最期をどう受け止めるのか。この看護師を軸に多くの患者の終末期を取材。死期が迫った人たちが潮干狩りやディズニーランドに行ってる様子は圧巻であった。在宅医療は最期まで家で好きなように過ごせるということだ。患者さんたちの生き様もすごいが、この診療所がここまでやってくれるのかと、ただただ驚く。 患者も家族も心強いだろうなあ。死に場所の選択肢がもっと増えるといいな。 "おとうちゃんに拍手👏👏"
誰もが迎える最期の日。その日までをどう生きるのか。またどう生きられるか。医療の進歩はめざましく、考えられなかった延命も可能になっている。しかしすべてが可能なわけではなく、様々な選択とともにある。在宅医療のここまで完備された中で過ごせる奇跡のような時間に、驚きと医療従事者への敬意をこめる。
死についてよく考える。
それは私が納棺師の仕事に6年ほど携わってきたからであろう。
約2000人の故人さまへの末期の水を取らせていただいた。
その中で感じたことは、人は亡くなった後にも生きた痕跡が強く残るということだ。
口の周りのアザは酸素呼吸器の跡。
ペースメーカーやストーマーはもちろんチアノーゼや拘縮した手足。
本書は、これまで私が感じた、生きた痕跡を証明するかのように、隣り合う生と死に向き合う人々の断片を描く。
「僕は生きることを考えています」(p59)
潔くダイレクトに伝わる言葉である。
見えないところで、誰も知らないところでもがく。
死を受け入れること。
口で言えるほど簡単ではない。
だからこそ生きた痕跡に手をあてられる人たちの存在が必要不可欠である。
医療従事者はもちろん、私のように死に関わる仕事に携わっている人(葬儀屋)には必読であるには間違いない。
#エンド・オブ・ライフ
#佐々涼子
#集英社
🌊🌊🌊
終末期医療、在宅医療の現場を自身の家族のエピソードも含めて書かれたノンフィクション。
スピリチュアルペイン 自分の人生はなんだったんだろうなどと考えること。感情よりもっと奥深くにある魂の苦しみ。
エリザベス・キューブラーロス受容の五段階 死が近づいて来るとたいていの人はまず否認をする。次に怒り、取引きの感情がきて、抑鬱、そして受容という段階をたどる。
🗻🗻🗻
この本を読みはじめた時に「私、命の本が読めるようになったんだ」と思いました。
本好きな私でも今年はなかなか本の内容が頭にはいらなかったから。
この本はそれなりに気力が必要だけど、出会えてよかった。
「生きていたように死ぬ」この言葉を胸に刻みます。
#NetGalley.JP
#読書記録
#本好きな人と繋がりたい
#読書好きな人と繋がりたい
#本が好き
#本のある暮らし
在宅医療、終末医療の現実というものを初めて読みました。ただ漠然と大変だろうと思っていたけれど、それだけではないという事がよく分かりました。最期が近い事がわかっているからこそやりたい事ややりたくない事があり、在宅だからこそ実現できる事もある。介護する側もただ与えるだけではなく被介護者から与えられる事も教えられる事もある。元気な時は死についてあまり考える事なく日々を過ごしているけれど、人は皆確実に自らの死に近づいている。どういう風に死ぬか、その為に今をどう生きるかを改めて考えてみようと思った。
余命わずかになった時、人はどんな風に自らの”死”と向き合うのか?在宅医療を専門とする診療所への密着を通じて、生と死を考えるノンフィクション作品。
佐々さんの本は「エンジェルフライト」も「紙つなげ」も読んでいて。ご自身の個人的な話が挿入されているところが、佐々さんの作品の特徴だなと感じていました。今回の作品にも、ご自身の家族の話(難病の妻を介護する自身の父親)や、自分と宗教の話(縋るものが欲しくなって海外を放浪)取り入れていられていましたが、このことが作品に深みを持たせているように感じました。
人は、いつか必ず死ぬ。その死をどう迎えるか、どう看取られるか。それは、どう生きたかでもあるし、看取った人に今後どう生きるかを伝えることでもある。在宅で逝くということを真摯に追うノンフィクションだ。こういう死に方が出来れば幸せと思うが、そこには肉親や医師の献身的な看護がなくては成り立たない。今年逝った母を何度も思い浮かべつつ、自分はどう逝くのだろうと思い読んでいた。なかなか逢いに行く事も出来ず親不孝な息子であったろうが、誰に小言も言うでなく静かに逝った母は、私に何を伝えたかったのだろう。
2013年、著者は在宅医療の作品を書くために、訪問診療をする診療所を取材し、訪問看護師の森山と出会う。だが、2018年8月、森山はステージVの癌と診断される。
この作品は、2013年、森山たち診療所のスタッフが理想と誇りをもって訪問看護した数症例に、森山の癌宣告からの最期の時までの生き様が加わり、さらには、著者自身の、パーキンソン症候群で寝たきりの母親の父親による自宅介護の様子が重ねられる。
ピンピンコロリではなく、病んで衰えていく人の死が、きれい事ではなく描かれる。正直いって、読むのがしんどかった。けれど、胸に感動がじんわりと広がる。
最期まで自分を持って生きようする人と、懸命にささえ、願いをかなえようと奮闘する家族と介護スタッフたちを見ていると、人の尊厳を感じずにいられない。とくに、心を打ったのは、2人の母親だ。死の間際に、ひとりは潮干狩りへ。もうひとりはディズニーランドへ行く。2人とも体力的にはとても無理なのに、気力で乗り切る。母親としての愛情、強さに圧倒させられる。
だが一方で、介護の側にたったとき、自分に果たしてそこまでできるだろうかと不安になる。ヘルパー長は、「介護者次第で、その人が変わる」「物みたいに扱ったらその人の気持ちは変っていってしまう」(P137)という。また、著者の母親が一時入院したとき、病院の看護師の口腔ケアがあまりにぞんざいだったことに対して、父親は、「教科書に『口腔ケアをしなさい』と書いてあったから、口腔ケアをしているんだろうな。『この人は、口の中が気持ち悪いだろう』という思いで世話をしないから、こういうことになるんだ。」(P159)といっている。介護するときの心構えは、こうしたところにあるのだと思う。
さて、全力でいくつもの看取りをしてきた森山だが、いざ自分が患者側になったときの変化は、驚きだった。なぜ医療をしっかり学び、深く携わってきた森山が?と思ったのだが、そうではなかった。いくつもの看取りを体験してきたからこその、最期の生き様だったのだ。そして、これこそが森山の目指す在宅医療だった。
他人事だった「死」がそうじゃなくなり、友人と自分のことのように迫ってくる。
家族や地域が解体した今日、死をともに味わって?くれる相手は貴重だ。
それはリアルな人間でなくて、本の向こうの人間であっても、貴重だ。
佐々氏の作品はエンジェルフライト以来二冊目。
死を題材にしたフィクションですが、普段見聞きする事ができない世界を知る事ができる素晴らしい作品。
病気を克服する事が出来ると素晴らしいですが、現代の医療技術では対処できないケースもままあると思いますが、病院で寝たきりで過ごすのではなく、在宅医療という形を通じて、より家族間でのつながりが強まったり、人生を全うしたと思えるのでは無いか?と思える看取りのシーンのご紹介などを読むと、こんな風に過ぎて行くのなら最後を迎えられるのは幸せな事だなと思った。
しかしそれを実現する為のご家族の負担は計り知れない。家族の為という言葉で片付けようとすると、そういう風潮が逆に家族にとっての負担となったりする。渡辺西加茂診療所のようなサポート体制があるとものすごくありがたいと思うのですが、そういう存在を知らない、世の中にあまり知られていないのが残念すぎる。
著者はそういう事を世に知ってもらうことも目的とされているのだろう。
私の住む神奈川県にもそのような組織、存在はあるのだろうか。
死と向き合うことが殆ど無く過ごしているが、おそらく突然向き合わざるを得なくなる。そのときになって考える事ができるのだろうか?それも縁だったりすると書かれているが、まさにそうなのかもしれない。
新型コロナ感染症の拡大は未だ止まらないが、これに感染すると在宅でとはいかないだろう。
最後まで意思を持って人間として生を受けた感謝を世に返す事が出来ない辛さはどんなものだろう。
色々と考えさせられる素晴らしい作品でした。
助け合い、支え合うコミュニティの存在がこれからの世の中において益々重要度が高まるように思えるので、環境づくりなど自分も関われるところがないか模索しよう。
突然、「あなたの余命はあとわずかです」と、言われたらどうする?この本は、病を患い余命幾ばくもない人たちが、そこから先の生き方を模索する物語。そしてここに登場する人たちは、病と戦うのではなく、宿主として協定を結び、最期まで自分の好きなように生きていく。
もし自分の身に同じことが降りかかったら、どんな選択をするのだろうか、と考えさせられた。
「死」は誰にでも必ず訪れる。わかっているつもりだった。でも、どういうことかわかっていなかった。
人生の残りの時間が少なくなったとき、家族や自分はどれだけ幸せに、自分らしく生き、最期を迎えることが可能なのだろうか。人が最期に望むのは心地よい場所。家にはその人の人生があり、そこで最期を迎えたいと願う人は少なくないはず。しかし、在宅介護は家族の思いだけでは負担も大きく現実は厳しい。今後、少しでも多くの方が専門の医療従事者のサポートを受ける事ができるようになり、後悔のない自分らしい最期を迎えられることを心から願う。この作品は、著者自らの母親を在宅介護する父親、在宅看護師である友人の病、在宅医療の取材をとおして知り合った人々と向き合い寄り添いながら、終末期について考える機会を与えてくれる。そして、亡くなられた方は私たちに悲しみだけでなく、幸福も遺していくのだと教えてくれました。