流星シネマ
吉田篤弘
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刊行日 2020/05/15 | 掲載終了日 2020/05/15
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内容紹介
人生の季節は冬に向かっているけれど、
何度でも再生し、何度でもやり直せる。
見えないもの、
聴こえないものを
大切に紡いできた、
優しい物語の名手による
待望の長編小説。
都会のへりの窪んだところにあるガケ下の町。
僕はその町で、〈流星新聞〉を発行するアルフレッドの手伝いをしている。
深夜営業の〈オキナワ・ステーキ〉を営むゴー君、
メアリー・ポピンズをこよなく愛するミユキさん、
「ねむりうた」の歌い手にしてピアノ弾きのバジ君、
ロシアン・コーヒーとカレーが名物の喫茶店〈バイカル〉を営む椋本さん、
ガケ上の洋館で、〈ひともしどき〉という名の詩集屋を営むカナさん――。
個性的で魅力的な人々が織りなす、静かであたたかな物語。
出版情報
発行形態 | ソフトカバー |
ISBN | 9784758413497 |
本体価格 | ¥1,600 (JPY) |
NetGalley会員レビュー
音楽だ!200ページ辺りで気づいた。
ずっと“音”のことが書いてあったのに、〈流星新聞〉に気を取られていて気づくのが遅れた。
同じことは物語でも。
〈川はまだ流れているのですね〉。
暗渠となった川に水の存在を認めたとき、過去と今がつながる。
鯨は再びやって来るかもしれない。音楽に導かれて。
中学生の夏、舟で川を下って海に出ようとした僕とゴー君とアキヤマ君の三人。
人生の季節は冬に向かっているけれど、
何度でも再生し、何度でもやり直せる。
クラフト・エヴィング商會の吉田篤弘さんの作品が好き。不思議な世界をふわふわ生きてるような小説家吉田篤弘ワールド。この作品もふわふわ浮いてる。私の人生の着地点はどこなんだろう。オキナワステーキが食べたくなる。タイトル、装丁、扉も好みでした。
昔鯨が迷い込んだというガケ下の町で、
西側にあるのに一番北にある〈バイカル〉
深夜も営業しているステーキ屋、
誰でも自由に利用できる本とピアノのある編集室、
真夜中に聞こえるバイオリンの音…
個性的な人々と優しく穏やかな日常。
目に映るものひとつひとつが大切に思えてくるような物語です。
作中の「流星新聞」と同じように、登場人物たちの何気ない日常を見たままに淡々と描き出しているようだ。ただし、そこで描かれている日常は、登場人物たちからしてみればとても日常ではなく驚天動地の出来事なのかもしれないが、作者は静かな文体でまるで日常の中に溶け込んだ些細な出来事のように描いている。この空気感がとても心地よい。作中にも描かれているが、雨音がしているゆえにかえって静かに感じる「静寂さ」とでもいえばよいのか、モノトーンの中に封じられた空間のように心に滲みる。そうした日常の中で太郎は深く静かな思索(詩作といってもよいかもしれない)にふけり、過去に回帰したり新たな一歩を踏み出したりと自らの居場所を確たるものにしていく。せわしなく過ごしている現実の中で、こういう落ち着いた作品を読めることは僥倖である。
臭いが大嫌いなのに、どうしてその存在に惹かれるのか、と思っていた煙草、そうか、たしかに人が持ち歩ける最小の火だからか、とこの本を読んで納得。
他にも、編集者とは、など、物語の中でそっと述べられる解釈が、じんわり身に沁みてくるのが吉田作品の魅力だと再認識させてくれる一冊。
ただ、本気で夜中にステーキが食べたくなるので、その環境にないなかで読むのは危険。
どのシーンも静かな映画を見ているようで映像が次々と浮かんでくる。
人との繋がりが濃すぎず薄すぎず、ちょうどいい。
読み進めていくとタイトルの意味がわかる。
最後の章を読んで、不意に涙が流れた。この作品は未来に向かって一歩を踏み出す前の物語だ。
埋もれていた記憶の断片が繋がりし時、過去、現在が曖昧となる・・
太郎は町の《流星新聞》の発行を引き継ぐことになる。その町は鯨が迷い込んだことがあるという伝説の残る街だった・・。
太郎を含め、多くの詩的な町の人々が描かれ、埋もれていた過去の断片が時間の塵を舞い上がらせながら繋ぎいき一篇の映画ができるようである。その映画はモノクロセピアでありながら、時には音声が入り、時にはカラフルになり過去の中に現在がフラッシュバックするような逆説的な時の流れを感じる。
カラフルながらも穏やかで静かな未来がこれから広がるような読了感を得た。
一つの町を舞台に様々な人々と触れ合い、穏やかに生きながら、1日1日を大切に過ごしている物語です。
一言で表すと、「海岸の波」のような印象を受けました。
時に穏やかに、時にちょっと早く流れるかのように時間の流れが、読んでいると一定ではありませんでした。でも勢いがあるわけではなく、心地よいリズムの範囲内で違う音を奏でているので、ゆったりした気分になれました。
また、相手との距離感が近すぎないところが魅力的でした。ある出来事があると、どうしても深く追求したくなりますが、この作品では程よいところまでで終わらせます。物足りない人達もいるかと思いますが、その分安心感が優っていて読めることができました。登場人物達みんな、ちゃんと生計立てているのかという心配はありましたが、穏やかだからこそ、周りの存在を大切にしている印象を受けました。深夜のステーキ食べてみたいです。
波によって、消えていくものもあれば、突然現れるものもあります。この作品でも人の出会いや別れ、再会が描かれています。でも悲観的ではなく、前向きに捉えています。明日もまた頑張ろうと思わせてくれます。
波を見るかのように、何も考えない状態や穏やかな気持ちで読んでみてください。そうすると、明日からちょっと頑張ってみようかなと勇気付けてくれるのではないかと思います。そういう作品でした。
主人公の青年は流星新聞というタウン情報紙の編集をしています。といってもここには編集長のアルフレッドと僕しかいません。新聞の編集室には本棚があって、町の人たちの図書館のような役目もしています。
大きな事件なんて起きないこの小さな町に、1つの言い伝えがあるんです。200年くらい前に鯨が川に迷い込んできたというのです。だから昔この辺りは鯨眠町と呼ばれていたのだと。そして、25年前にも同じように鯨が川へやってきて、そのまま死んでしまったことがあったのです。
小さな町で、みんなのんびり暮らしてます。それぞれの好きなことを、それぞれのペースで。こんなおだやかな時間が流れていく町でのくらしって、なんだか羨ましい気がします。都会へ行って大勢の人の中で消耗してしまう人生よりも、こんな風にゆったりとした生活ができたら、無駄な悩みなんて生まれないだろうなぁって想像しちゃいます。
吉田さんの作品は気になりつつ、機会を逸していたので、NetGalleyで見つけて、大喜びでリクエストした。
予備知識もほとんどないまま、読んでみた。
初めのうちは、とらえどころがないような、手ごたえがないような、不思議な感じだった。
目次の「なんだか分からないところ」に「その通り!」と思った(ごめんなさい)
でも、詩集屋のカナさんが「僕」にかけた言葉「あなた、シを書きなさい」を読んでから、
そのシが「詩」なのか、「死」なのか、わからず、考え続ける僕を見ていて、
この作品自体が「詩」なのだと思った。
(「死」も扱っているけれど、そちらの「死」は「詩」のお蔭でやがて浄化されていった)
あらすじに「人生の季節は冬に向かっているけれど、何度でも再生し、何度でもやり直せる」とあるが、その通りだと思う。
今、新型コロナ問題で、死を身近に感じる。でも、できるならば、詩の方を身近に感じたい。
ちょうど、先日、読友さんから、イタリアの医療従事者を支援しようと現地の作曲家が『Rinascero(再生)』という曲を作り、著作権をBergamo市民病院に寄付し、Youtube等通じた再生のたびに、広告、著作権など、すべての収入がBergamoの医療崩壊を救うための寄付金となったことを教えてもらった。
その曲を聞きながら、もう一度、この作品を読み直してみたい。#NetGalley
『Rinascero(再生)』より
「私は再生する あなたは再生する
嵐が私たちを圧倒する
私たちを屈服させるけれど壊滅させはしない
私たちは運命と戦うために生まれた
でもいつも私たちが勝ってきた
最近の日々は私たちの日常を変える
でも今度私たちは少し学ぶだろう
私は再生する あなたは再生する」
http://www.youtube.com/watch?v=D5DhJS5hGWc
人は快く前へ進むために忘却を厭わない。疼きをあやしながら時に持て余すことを知っていても。
著者の奥ゆかしい採譜が、登場人物たちの記憶を丁寧に浚う。
ぽちゃんぽちゃんと滴る音色に意識を束ねられてしまうような【流星シネマ】のエンドロール、一種の放心。
太郎たちが暮らすガケ下の町の地形はへこんでいる。アルフレッドが云うことには、遠い昔に流れ星が落ちてそうなったらしい。太郎たちはこの町で日々起こったことを新聞にして残してきた。けれど春が訪れる前、アルフレッドは故郷の国に帰り、町にはカワサキのバイクに乗ってきて黙々とステーキを食べる怪しい男がやって来る。巡る季節の先にある、忘れられない思い出と結びつく言葉にしがたい何かを、詩情に溢れた筆致で描いた長編小説。
ひとびとの考え方や話し方が心地よく、読んでいる間ずっとうっとりしてしまった。語られている個々のエビソードは一見するとバラバラで、頭の中をあっちへ行ったりこっちへ行ったり跳ねてしまう。けれどふと、気づく。耳をすませば、温かな静謐さの中、どこからか優しい音色が聴こえてくる。太郎たちと一緒にその源泉を追いかけていると、いつしかすべてのエピソードが結びついてきて、心が震えるクライマックスへと辿り着けるようになっている。
言葉にしえないものを、それでも言葉にしようと試みた結果が小説なのではないか、と私はいつも感じている。そして、それは必ずあるのだと信じている。だから、見えるものや聴こえるものだけでなく、見えないものや聴こえないものさえ感じ取ろうとする彼らの生き方が素敵だと思った。ガケ上の給水塔の近くの古い洋館に棲むカナさんがとりわけ素敵で、あんな風に年を取りたいと憧れた。
風邪を引いた苦しい晩にも手を伸ばしたくなるような、優しくて芯のある物語だった。