最後の講義 完全版 福岡伸一
どうして生命にそんなに価値があるのか
福岡伸一
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刊行日 2020/02/29 | 掲載終了日 2020/10/18
ハッシュタグ:#最後の講義完全版福岡伸一 #NetGalleyJP
内容紹介
NHK『最後の講義』で感動を呼んだ番組が書籍に。
生物学者・福岡伸一教授が伝えたい「生命とは?生物とは何か?」が明らかに!
「あなたは人生最後の日に何を語りますか?」NHK BSで放送され、大反響をよんだ「最後の講義」が、本になってよみがえりました。
登壇するのは『生物と無生物のあいだ』などベストセラー著書で知られる生物学者・福岡伸一教授。
「生命とは?生物とは何か」?を問い続けて数十年。
「1年前の自分と今は別人。実は完全に入れ替わっている…」。
固定概念を揺さぶる目からウロコの刺激的なメッセージが連発します。
福岡ハカセと「生命」を考える知的エンターテインメント、ここにあり!
胸を打つような講義と生徒との熱い質疑応答は実に3時間にも及びました。
本書は「最後の講義」を書籍化するに当たって、
未放映だった部分も収録した完全版!
未来を託された若い世代へのメッセージを余すことなくお楽しみください!
出版情報
ISBN | 9784074391387 |
本体価格 | ¥1,200 (JPY) |
NetGalley会員レビュー
機械の山を登るは、迷い込んだ生命の森
本書を僕なりに解釈し、ちょっと乱暴に捉えてしまうと、自分の仏教観に触れるように琴線が鳴る。
出てくる言葉は科学的のなにものでもないが、その言葉が僕の中の何かと統合する。
合成と分解を繰り返すエントロピー増大の法則こそ刹那の生死ではないだろうか。
本書での大切な考えは3つ。
1つ目はエントロピー増大の法則。
2つ目は機械論的な生命観。
3つは目動的平衡の生命観。
大事な考えをここでは紹介しないが(というかできない笑)、理論と体現を片手にし、動的平衡の世界へ誘う筆者と学生の質疑応答トークは必読。
顕微鏡を発明したレーウェンフックとフェルメールの奇妙な関係は時代を超え、こうして繋がっていることを知るのが非常に嬉しい。
「1年前の自分と今は別人。実は完全に入れ替わっている…」
この一文に惹かれて読みました。
しかしこの分について考えたときに「記憶は?」とか質問が出てきます。
それもしっかり最後に質疑応答で答えられていてとても分かりやすくなるほどとおもうことができました。
なぜ、生命だけがエントロピー増大の法則に逆らって生きながらえているかというと、最初から頑丈に作ることをあきらめて、自分自身をゆるゆるやわやわに作っておき、それを常に分解して、捨てて、作り替えるという戦略を取ったからです。(本文より)
わたしたち生物は常に生まれ変わっているのです。厳密にいえば、昨日のわたしと今日のわたしは違うものなのです。それなのに、同じものの様に見えるし、昨日の記憶を今日も持ち続けていられのは、そのように設計されているからなのです。
それに気付かない人間は、自分はいつまでも同じだと思い込んでしまうのです。だから、自分が存在する世界を永遠に続くと信じてしまったり、自分は永遠に生きられると思ってしまったりするのです。そして、変わらないことがいいことだなんて妄想を抱いたりしてしまうのです。
そんな考えは所詮妄想ですから、いつかは終わります。どんなに強大な力を持っていた王様だって、いつかは死にます。あんなに頑張った徳川幕府だって15代で終わったんです。永久に続くなんてことはないのです。
この世に生まれてきたら、いつかは死ぬのが運命です。だから、生きている間に何ができるのか?何をしたいのか?無理する意味はあるのか?そんなことを考えさせられた本でした。
「生物と無生物のあいだ」「世界は分けてもわからない」「できそこないの男たち」等々ユニークな論陣を張る福岡先生が最後の講義に選んだのは、やはり「動的平衡」である。本講義で一番気になったのは「ベルクソンの弧」モデルの提起による動的平衡の可視化である。このモデルで動的平衡が説明できているのかは少々疑問ではあるが、説明としては美しい。何となく解ったような気にさせる喩えである。
聴講生との質疑応答も面白い。それぞれの立場の聴講生が自分の立場で講義を解釈し発した質問に対する回答がうまく最後の講義を補完している。
好きを極める。目標を持つ。一心不乱に打ち込む。ゲーム以外に、というとゲームが悪くなるだろうがゲームを作ったり糧にできる側にいけないのであれば、やはりゲーム以外にと言いたくなる。自分の好きなことに熱中し、突き詰めていく力を持ってほしい。自分の力を引き出すものに出会ってほしいと思った。
以前に「動的平衡」を読みましたが、今回の講義のほうが 「動的平衡」の本質がわかったような気がします。
私達の体は、パーツでできているように思うけれど、そうではない。すべてが関連ながら変化し調和して1つの生命体になっている。
本を読みながらも、講義を聞いているようで すごくわかりやすく楽しい本でした。
新型コロナウィルスとの攻防が続く今だからこそ、動的平衡の視点でヒトの身体を捉えることが大切なのかもしれない。
平衡でありながら、ゆるやかな老いのカーブを下る私たちの身体。
決してそれは機械論的生命装置ではないということを、嫌というほど思い知らされている昨今、取り替えのきかない命について、日々考えさせられている人も多いのではないか。
福岡先生が私たちに伝えたいことが凝縮されたこの一冊は、筒のような私たちの体に沁み渡る。
私のイメージとしては、人間が食べ物を食べて、それを栄養にして活動するだった。先生が言っている「動的平衡」によると、その食べたものが体内の器官やら皮膚とかになり、うんことなり吐き出されるのは栄養の残りかすでなく、元は皮膚やら内臓器官やらという物だということになる。体内において常に破壊が起こっていて、同時に再生が起こっていて、何年もすると、その人の身体はまったく別の物によってつくられた物になるという考え方を説明したものだった。何か生物のイメージが変わったな。。
「動的平衡」概念の提唱者である著者が、虫が大好きな子が研究者になるに至る経緯や、生命とは何かを語る上でもちいられる、鮮やかな概念を平易に語る。非常に興味深い。フェルメールおたくで知られ37点現存する作品を37、素数、しびれる!全て見たい!となり独自で展覧会を開催するまでのオタクとなるとか。生き方につながる学問。機械論的な生命観の中にいては、己な体さえ理解できない、まさにひざをうつことばかり。彼の研究は難解なのかもしれないが、導入は万人に価値あるもの、わかりやすく語られている、中学生の息子に読ませたい!
人の体は動的平衡の生命観によって、作ることより壊すこと、変わらないために変わり続けている、ということができる。またそのために相補性で保たれる、とはどういうことか?
素人の私にも分かり易くたとえられて、今回も福岡先生の本は興味深く読み進められた。
勤務先の学校にもすでに購入しております。