「カッコいい」とは何か
平野 啓一郎
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刊行日 2019/07/16 | 掲載終了日 2019/07/30
ハッシュタグ:#カッコいいとは何か #NetGalleyJP
内容紹介
「小説以外では、この十年来、私が最も書きたかった本で、実際に執筆していても頗る楽しかった」
――平野 啓一郎
マイルス・デイヴィス、三島由紀夫、仁義なき戦い、ナチスの制服……
「カッコいい」を考えることは、いかに生きるべきかを考えること!
「カッコいいとは何か?」がわからないまま、20世紀後半の文化現象を論ずることは不可能である。第二次世界大戦後の世界を正しく理解するためには、「カッコいい」の理解が不可欠だ。
「カッコいい」という概念は、一体何なのか?
クレージーキャッツからハリウッド映画、ナチスの制服、ダンディズムまで、その本質を歴史的にたどっていく。
出版社からの備考・コメント
校了前のデータを元に作成しています。 刊行時には内容が若干異なる場合がありますが、ご了承ください。 ※発売前の作品のため、ネタバレのレビュー投稿は極力お控えいただけますよう、ご協力のほどよろしくお願いいたします。
出版情報
発行形態 | 文庫・新書 |
ISBN | 9784065170489 |
本体価格 | ¥1,000 (JPY) |
NetGalley会員レビュー
平野さんとの出会いは”マチネの終わり”。その後”空白を満たしなさい”等、小説を何冊か読了。毎回心に刺さるメッセージを受け取り優れた分筆家であることに違いないですが、彼は小説も書ける、学者だと気が付かされた。本書は現代日本社会で多用される”カッコいい”をkey wordに古今東西人間は何に”しびれてきたか”を広範な視点から分析。音楽、美術、文学、ファッション、宗教、政治利用に至るまで、平野さんの興味が尽きるまで書き倒した論文。あとがきにも”ずっと書きたかった””手応えを感じている”と表現しており、当に力作。
カッコいい、格好いい、恰好いい。何をもってよしとするのか。ファッションにおいて、音楽において、美術において、スポーツにおいて、生き様について、様々なシーンでかっこいいが多用される。そこに明確な基準はない。しかしないからこそに面白い。かっこいい論争を語ることでその人の本質を見ることができるかもしれない。
「カッコいい」という感覚を初めて知ったのはいつだろうか?
子供のころ世間が言う「カッコいい」の代表は石原裕次郎や加山雄三だったような気がするけど、わたしが最初にカッコいいと思ったのはアベベだったような気がする。マラソンを走り切っても涼しい顔をしていて、余裕でジョギングをしていた彼を見てわたしはカッコいいなぁと思ったような気がする。2位以降の選手がフィニッシュラインを越したとたんに倒れ込むのとは別次元の強さだった。
もう少し大きくなってからカッコいいと思ったのはロック・ミュージシャン。大人たちは不良と呼ぶけれど、長い髪も変わった服装も演奏する音楽もカッコいいと思った。
カッコいいというのには2種類あって、ある時点にカッコいいと感じるものと、いつまでたってもカッコいいものがある。ファッションなどの場合にはカッコいい時期に限りがあって、後から冷静になってみると何がカッコ良かったのか分からないものもある。
流行っているからカッコいいのか、カッコいいから流行っているのかというのは判断が難しいけれど、カッコいい人というのはいつの時代にもいる。
カラヤンや、マイルス・デイヴィス、エルビス・プレスリーのような人たちに、音楽性はもちろんだけど、一目見た時のカッコよさから惹きつけられた人も多いんじゃないかな?カッコいいって理屈じゃないから、そう感じた瞬間にシビれちゃうんだよね。
カッコいいっていう感覚は個人差がかなりあるはずなのに、同じ人、同じものに多くの人が惹きつけられてしまうって不思議だな。
「カッコいい」という言葉は所謂流行語といってよいのだろう。本書でも起源としている説でもせいぜい戦時中の軍隊起源説が一番古く20世紀第2クォーターまで遡るのがせいぜいのようである。しかし、流行語であるがゆえに最近ではちょっと前のように頻繁に使わなくなったように思う。「カッコいい」と言う言葉に少しくダサさ感が漂い始めているように思えるのである。最近ではcoolなんて言う英語がそのまま、使われている様である。まあ、だからこそ『「カッコいいとは何か?」がわからないまま、20世紀後半の文化現象を論ずることは不可能である。』という話になるのであろう。本書は「カッコいい」を通しての戦後日本の文化論となっている。
カッコいいは単なる外観のカッコいいだけではないというのが著者の主張である。生き方がカッコいい、見た目は平凡、滑稽に見えて本質は優れていてその差がカッコいいという見た目だけではなく本質的なもの。すなわち 、「カッコいい」を考えることは、いかに生きるべきかを考える事になるのである。
そういう意味もあってか、本書ではナチスの制服をカッコいいとする事に批判的であるのだが、例えばプラモデルやウォーゲームの世界でのドイツ軍どうだろうか。ニッチな趣味の世界であるためにマスコミに晒されることがあまりないためか、タイガー戦車がカッコいいといってもナチズムと結びつけと批判されることはあまりないように思う。ゼロ戦にや大和にしてもしかりである。私らの世代(50年60年代)の理科系少年はこういった機械るいに痺れるようなかっこよさを感じていたように思うし、それは少しく大人になっても同様である。
本書では、音楽やファンションのなかでの「カッコいい」がかなりのボリュームで論じられているが、違った側面からの考察も面白いかもしれない。
かっこよくなりたいより、自ら内的に追体験したい。それがゾクゾクする正体。
あまりのかっこ良さに電気が走るといった経験は僕にある。
それはパンクロックだった。目を見開き何かを吐き出す音楽は、当時何者でもなくダサい学生だった僕の心を突き破ってきた。
本書には各時代へのファッションや音楽の定義、ローリングストーンズやビートルズはもちろんモーターヘッドの話など多彩である。
ダサいとカッコいいは時代と共に変化する。昨日までダサかったものが急にカッコいいものとして捉えらられることもしばしば。
価値観は流動的で絶対ではない。
だから背筋がゾクってするあの感じを思い出す。
ダンディズム、カリスマ、そして個人の領域へ。
あの頃の自分のように突き破るような生き方をしているだろうか?僕はまた原点を見ている。
本が好き!倶楽部
せいちゃん
マーケティングでも「物語」「体験」だけではなく、生理的興奮、「ドラクロワ=ボードレール的な体感主義」としての「しびれる」か否かが要。自分の中に、何かに「カッコいい」と憧れる「分人」を持てたら、この世を生きる糧になるのでは。
おすすめの新書、平野啓一郎さんの力作です。
形容詞の中で「かわいい」と「カッコいい」は近しい関係にあるように個人的には思っています。
が、世に「かわいい」を分析した本は数あれど、「カッコいい」を扱う本は見たことがない。
そんな中で登場した平野さんのこの本を、心躍らせながら拝読しました。
新書にしてはなかなか多いページ数ですが、人物、音楽、ファッションなど様々な視点から「カッコいい」の分析が行われているため、思いの外スラスラ読み進めることができました。
「カッコいい」と「恰好がいい」の違いなど、「なるほど」と思う内容が満載でした。