感情天皇論
大塚英志
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刊行日 2019/04/04 | 掲載終了日 2019/05/09
ハッシュタグ:#感情天皇論 #NetGalleyJP
内容紹介
天皇の「ことば」はなぜ国民に届かなったのか?
一九五九年、皇太子明仁のご成婚パレードの日、一人の少年が皇太子とその妻に石を投げた。三島由紀夫はその行為に「天皇と国民が個人として対話をする」というテロルを見て戦慄し、石原慎太郎はそれを隠蔽しようとした。そして即位した明仁天皇が行ってきたのは、かつて庵野秀明が描いた人類補完計画が成ったかの如き、統合の実践としての感情労働だった。『少女たちの「かわいい」天皇』から一時代を経て書かれた、「終わり」の明仁天皇論。
出版情報
発行形態 | 文庫・新書 |
ISBN | 9784480072191 |
本体価格 | ¥980 (JPY) |
NetGalley会員レビュー
〝著者・大塚英志〟さんの思い出
僕は昭和末年に大学卒業の見込みが立ち、東京の出版社に就職した。上京したのは平成初年の春だ。
会社では軽装版ノンフィクション書籍の部署に配属された。隣の編集部のある人の机上に『物語消費論』があった。大塚英志の三冊目の著書だ。僕は田舎にいる時から『「まんが」の構造』『システムと儀式』は大好きで読んでいた。机の主が出社してきたので昼休みに声を掛けた。「この著者、好きなんです。面白いんで」その人は「へえ、知り合いから送られてきたんだけど、だったら読んでみようかな」。
後日、「面白かったから著者に連絡したんだ。書いてくれるって」。
こうして、光文社カッパ・サイエンスから『少女民俗学』が出ることになったのだ。
担当編集は白石厚郎さんといった。本来はカッパ・サイエンスの理系っぽいタイトルを主にやっておられた。
傍から見るとサクサクと進行して、あっという間に発売された(記録では5月刊らしい。4月頭に厚郎さんと雑談してからアッという間だった)。ささやかな打ち上げを、会社近くの穴蔵のような小さなビストロでやった。僕も呼ばれてお相伴に与った。
ところがその夏、宮崎勤事件が発覚した。7月に捕まり、8月には自供が報道され、6千本のビデオとか、ロリコンアニメやホラー映画の影響が云々されだした。大塚さんはそれを我がことのように敏感に受け取り、裁判に関わることになってしまった。厚郎さんは「ぜひ続きを」と頼んでいたが、大塚さんの繊細な心に事件は重荷となるだろう、と心配した。不安は的中し、大塚さんは事件に忙殺されて続編は形にならなかった。
あの時は本当に残念だった。せっかく脂が乗ってきた若い著者なのに、不毛な事件に関わって貴重な若い時間を棒に振るとは、と思った。だが、あの時ご苦労なさったのが、今の大塚英志の思想を鍛え上げたのかもしれない、という気が、今はしている。
今回『感情天皇論』では、あの昭和末期に大塚が書いた『少女たちの「かわいい」天皇』という論考を、《ほとんどこれはセカイ系としての「天皇」に同一化する人間をただ甘美に描いているだけだ》と自身、完全に否定した。見事だ。そして《昭和のある時期までは盛んだった天皇制否定の議論は平成に入ると消え、逆に天皇制が「必要」であるならいかにあるべきかを考えることを怠った》と、非常に大きな議論を鮮やかにスパッと切って見せた。ここに本書のキモがある、と僕は思った。
正直、昭和末年に僕が好きだった大塚英志は、明解でよく腑に落ちる文章を書いてくれる、やさしい著者だったが、世に出て以降の大塚の文章はやや読みにくい、韜晦もあるような、僕の苦手な文章を書く人になっていた。だが『感情天皇論』は、かなり明解だ。読みにくいところもまだあるけど、こんなにハッキリしている。三十年前の青年・大塚英志が帰ってきた、いや、ずっと健在だったのだ、ということがよくわかりました。