有村家のその日まで
尾崎英子
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刊行日 2018/11/19 | 掲載終了日 2018/11/19
ハッシュタグ:#有村家のその日まで #NetGalleyJP
内容紹介
有村文子はイラストレーターの仕事をしながら、マンションの隣の部屋に住む中野晴也の娘、あおいの面倒をみている。あおいの母・雪乃とは親友のように話せる仲だったが、ある日突然の心筋梗塞で亡くなってしまったのだ。まだ5歳のあおいは、しっかりしてみえるが心の傷は大きい。年が明けて1月3日、姉で医者の美香子から母の仁子ががんであることを知らされた。美香子も兄の優からさきほど知らされたばかりだそうだ。久しぶりに家族がそろって仁子のもとへ集まると、仁子はいつもと変わらぬ調子。標準治療を「つまらないから」という理由でやめ、すごい乳酸菌がきくとか、友人にお金を貸しているとか、拝み屋にみてもらっているとかの話題ばかり。金銭問題で一度は距離を置いた父の照夫は妻の大病に戸惑っている様子だ。近い将来訪れる仁子の最期の日を、有村家の子供たちとそのまわりの人々は、仁子らしく迎えられるよう奮闘するが――誰しもが迎える”家族の死”と、在宅医療の現実をリアルに描いた感動作。
出版情報
ISBN | 9784334912482 |
本体価格 | ¥0 (JPY) |
NetGalley会員レビュー
お母さんが病気で近い将来亡くなる事が確定した有村家の家族の物語。
死が日常と切り離されたものではなく、普段の生活の中に存在していてとても自然でよかった。
明るくハチャメチャで頑固なお母さんに振り回される家族たち、特別に大きな事が起きるわけでもないのだけど、お母さんと家族の生活や心情を丁寧に描いた感動作。
仁子さんの強烈なキャラクターは、看取りというテーマを深刻にさせず、読むことができました。振り回されるのは大変ですが、最後には私も泣かされてしまいました。誰にとっても無関係ではない話ですね。
子ども(主に娘)からの視点での親の看取りの話。
少々破天荒な母に振り回されてきた家族が、近い将来確定された母の死にどう家族が向き合っていくかが淡々と語られている。
破天荒な言動はそのままに、徐々に行動が制限されていく母を見て、一喜一憂していく家族は自分を含めてどこの家族にもあてはまり、ひとごとではない感情の揺さぶりがわきあがります。
迷惑をかけられていると感じながらも愛する「妻」、独身でいながら偶然にも育児もどきをしながらみる「母」、普段から看取りを目の当たりにしている医者としてみる「母」、実の母との違いを感じながら見る「義」母、一緒に暮らしながらいつしか道をたがえた「姉」、不思議な「祖母」、知り合いのお姉ちゃんの「ママ」。すべてが一人の最期を迎えた女性とのかかわりです。
その経験の有無でとらえかたはそれぞれだと思いますが、なぞっていて(追体験・想像)いいお話です。
「家族もの」にめっぽう弱い。
家族だからこそ起きる様々な問題に数多く直面してきたと思うから。
家族の物語を読むとついつい自分を投影してしまう。
家族が病気になること。理解できないと思うような行動をすること。
それでも、死んでしまった人が残してくれた、たくさんの愛情があったこと。
ページをめくりながら苦しい思いになったり、やさしい気持ちになったり。
最後の章では、思わず涙がこぼれました。
良い本、でした。
家族の死を迎えるまでの物語。
なかなかエキセントリックなお母さん、仁子が癌に冒され、治療もそこそこ、怪しげなサプリや拝み屋さんなどに頼ったり、家族としてはお金はかかるし怪しいし・・・。
それでもその夫、照夫の愛にはとてもいいなと思った。
「結婚すると大変なのはわかってるから次は友達として会いたい」というのもいいなあ。
いろんな愛が詰まった、静かで温かい気持ちになれるお話でした。
有村家の「その日」とは「母の最期の日」のことだ。
有村家の次女である文子はある日、姉からの電話で母・仁子が末期がんであることを知らされる。
あ、これは辛い。
この時点で号泣を予感するが、異様なまでに明るく、ぶっ飛んだ母とそんな母に振り回される夫や子どもたちの物語はただただ悲しいのではなく、破天荒な家族が引き起こす笑いとちょっとわかりずらい家族間ならではの愛や優しさがじんわりと伝わってくるものだった。
仁子は友人に金銭の貸し借りを頼まれれば見返りを求めず貸してしまい、怪しげな健康食品をすすめられれば疑うことなく求め、スピリチュアル方面に傾倒し、病気の治療も「つまらない」からという理由で辞めてしまう。
他人事であれば笑い話だが、自分の母ならおそらくキレてしまうのだろうな、と笑いながら読んでいた。
そんな母でも、家族は母のしたいように、と最期まで彼女のしたいようにとさせてやる。
よその〝おかあさん〟とは少し違うかもしれない、でも、うちの母は母なのだ、と。
これって究極の愛だよなあ。
仁子の死を見届け、ふと、これは私にとっても遠い将来の話ではないのだと思う。
小さい頃、夜寝る前に親の死について考えて泣いてしまうことがあった。
あの頃は最終的にはまだまだ先のことだと思っていたけれど、
自分が年をとっていくにつれて、親もすっかり年をとっていたのだなあと気がついた。
親の死、それは親をもつ者が受け入れざるを得ない現実で、逃れることは決して出来ない未来だ。
悲しみを避けて通ることなど出来ないのだろうけど、仁子が最期に笑えたように、
自分の親が最期の瞬間にこの家族と一緒にいることができて楽しかったな、と思えるように見送ってやれたらいいな。