4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した
マイケル・ボーンスタイン / デビー・ボーンスタイン・ホリンスタート 森内薫訳
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刊行日 2018/04/27 | 掲載終了日 2018/08/27
ハッシュタグ:#4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した #NetGalleyJP
内容紹介
最年少の生還者がつづった感動の実話
1940年にドイツ占領下のポーランドに生まれたマイケルは、ゲットーや収容所暮らしを余儀なくされたのち、わずか4歳でアウシュヴィッツに送られた。なぜ、子どもが次々に殺されていった収容所で、彼は6か月も生き延びられたのか?
悪や絶望がうずまく世界の中で、ひたむきに前を向いて生きたマイケル一族の姿が胸を打つとともに、家族の絆や、希望を失わずに生きることの大切さをあらためて教えてくれる良質なノンフィクション。
おすすめコメント
ニューヨークタイムズ・ベストセラー、米国amazonで★5つの傑作!
「この作品は若い読者向けに書かれた物語形式のノンフィクションだが、そこにつづられた苦難と、それと同じほどの希望は、あらゆる世代の読者に強く訴えかけた。瞠目すべき一冊」(ニューヨークタイムズ紙)
「この感動的な回顧録は、人間の悪の可能性と、それを跳ね返す力の可能性を記した重要な証言である」(パブリッシャーズ・ウィークリー誌)
原書は10代から読めるように執筆されました。小説のような味わいなので、日本でも幅広い世代の方にお薦めです。ホロコーストについて初めて知るという方にも読んでいただきたい一冊です。
出版情報
発行形態 | ソフトカバー |
ISBN | 9784140817384 |
本体価格 | ¥1,800 (JPY) |
NetGalley会員レビュー
あらゆる奇跡が重なり繋ぎ止めた命。と共に失われた多く命。
あまりにも残酷で無慈悲。
目の前には常に死が待ち構えている。
そんな中でも生きたいと思える家族の存在。
家族の絆は生きる希望になる。
何度も訪れる別れ、簡単に扱われる命。読むのは正直辛い。しかし、この過去の惨劇を忘れてはいけない。
読んでいるうちに、なぜこんな事になったのか、様々な疑問を持つはず。
10代から読めるように執筆されたとのことで、抱いた疑問は、戦争や過去の惨劇について学ぶきっかけとなるだろう。
若い世代向けに書かれているが、すべての世代におすすめできる心揺さぶるノンフィクション。
著者の1人、マイケルはごく幼いころにアウシュヴィッツに送られ、奇跡的に生き延びた過去を持つ。マイケルがサバイバーとなれたのは、いくつかの偶然の所産だが、その陰には、一族の強い絆と、家族の深い情愛があった。
長年、過去について沈黙を守ってきた彼だが、1枚の写真との出会いをきっかけに、アウシュヴィッツの証言者となることを決意する。
当時4歳と幼かったマイケルのおぼろげな記憶を掘り起こし、裏付けたのは、同じ苦難を乗り越えた同胞のユダヤ人や家族の証言、そして丹念な文献調査だった。
ジャーナリストであるマイケルの娘、デビーは、マイケルの話や他の人々のエピソードを再構成し、読みやすく、心打つ物語にまとめている。
ユダヤ人コミュニティに迫るナチスの手、アウシュヴィッツでの残酷な出来事ももちろん胸に迫る。
だが、それらに加えて、この物語を力強いものにしているのは、帰還後のマイケル一家の姿だ。何もかもを失い、ゼロから、いやマイナスから始めることになった彼らは、手を取り合い、挫けずに生き延びていく。
全員が命を長らえることはかなわなかった。けれど、亡き人々の思いもまた、次の世代につながれていく。
これは、ユダヤ人としての民族の歴史にとどまらず、すべての人に響く普遍的な物語だ。
理不尽な運命に負けず、毅然として立ち向かった庶民の歴史を生き生きと描く本書は、多くの人の心を捉えることだろう。
数々の戦争、原発事故などのように、人間が行った罪の中で忘れてはいけない、風化させてはいけない事だと思います。若い世代から大人まで、幅広く読んでもらいたい作品です。事実は小説よりも・・・と言いますが、本当に残酷なことが行われていたんだなと、目をそむけたくなるような大虐殺が行われていました。今でこそドイツにそんなイメージないけれど、こういったことがあったのは忘れてはいけない。そして今でもどこかでこういったことが日常的に行われている紛争地域もあるということを私たちは知らなくてはならない。非常に考えさせられる本でした。
脱出を果たした本人の記憶と、その娘でジャーナリストである著者が調査を重ね、更に物語性も加えて書かれたという、他に類を見ない一冊。アウシュビッツに送られた子どもはみなすぐに殺されたのに、なぜこの子は生き延びたのか。読むべき本に出会いました。
どんな権利があって理由もなく他者を虐げるのだろうか。
よくもこんなひどいことができるものだ。もはや正常ではない。
加害者にだって親や妻、子どもがいるはずで、自分が虐げている人々と重なることはないのだろうか。
いや、戦時下においてはそうした人間らしさが失われてしまい、何もかもが狂ってしまうのだろう。
ホロコーストに関する本を読む度にそのあまりの悲惨さに目をそらしたくなる。
戦争よ、はやく終われ。辛い時間よ、はやく過ぎてしまえ。と。
だけど、これは現実に起きてしまったことだ。
目を背けても逃げ切ることはできない。目を背けてはいけないのだ。
タイトルの当時「4歳の僕」はいくつもの偶然が重なり奇跡的にアウシュビッツから生還することができた。
しかし、物語はそこで終わりではない。
ユダヤ人たちが解放された後にも本当の意味での戦争は終わらない。
人種や信仰に対する差別はそこら中に存在し、それらは火種となりちょっとしたきっかけで戦争になり得てしまう。
そうした火種が燃え上がることのないよう、私たちはこうした悲惨な過去があったことをいつも心に留めておかなくてはいけない。
改めてそう思わせてくれた1冊だ。
大勢の子どもたちが写った一枚の写真がある。アウシュヴィッツ強制収容所が解放されたときにソ連軍が撮影した記録映画の一場面である。誰も生きて出られないとされた強制収容所から解放された喜びと安堵、希望に満ちているはずの子どもたちの目は、しかし、一様に虚ろで不安そうな表情をうかべている。疲れ切ったその表情からは、アウシュヴィッツで過ごした日々の過酷さが伝わってくる。
子どもたちの中でも、ひときわ虚ろな表情で写っている前列右側の男の子が、本書の著者であるマイケル・ボーンスタイン氏である。このとき、マイケルは4歳だった。
本書「4歳の僕はこうしてアウシュヴィッツから生還した」は、マイケル・ボーンスタイン氏が、自らの経験を語ったノンフィクションである。
ユダヤ人であるマイケルは、ポーランドのジャルキという町にあるユダヤ人ゲットーで生まれた。彼が生まれる2年ほど前に、ドイツ軍がポーランドに侵攻し、ジャルキもナチスの支配下におかれた。ユダヤ人は財産を奪われ、仕事を奪われ、なにより自由を奪われた。「第三帝国(ドイツ)への貢献は、そして帝国をより豊かにより強くするのを助けるのは、ユダヤ人の責任だ」とドイツ軍は主張し、ユダヤ人からすべてを奪い取ったのである。
ナチスドイツのファシズムについて記述された様々な文献を読むたびに、怒りと恐怖で胸がいっぱいになる。いったい、どうすればこれほどに人間は残酷になれるのだろうかと思う。過酷な強制労働、冷酷無比な大量虐殺行為、不衛生で満足な食事も与えられず痩せ衰えていくユダヤ人たち。なんの罪もない、ただユダヤ人であるというだけで迫害されたのだ。
ユダヤ人迫害は、マイケルのような幼い子どもであっても関係なかった。むしろ、幼い子どもや老人ほど、労働力として使えない、反体制的な思想を持つようになるかもしれない、などの理不尽な理由からと躊躇なく殺害された。生き残った子どもも人体実験のモルモットのように扱われたりして、結果として殺された。本書の序文でマイケルはこう語っている。
収容所が解放されたときに生き残っていたのは2819人で、そのうち8歳以下の子どもはわずか52人だった。
解放後のマイケルの人生も本書には記されている。戦争後も彼らはユダヤ人であるということで白い目で見られ、嫌悪され続けた。ホロコーストの恐怖からは解放されても、ユダヤ人に対する偏見という恐怖からは解放されることがなかった。
それでも、マイケルとソフィーは自由を求めて生きた。今を生きているものたちの絆と死んでいったものたちの思い出を糧としながら。
長くマイケルは自分の過去を語ろうとはしてこなかった。だが、本書冒頭にある写真の存在を知り、その写真が「ホロコーストは嘘で、存在しなかった」とするサイトに利用されていることを知ったことで考えを変える。
もしも私たち生存者がこのまま沈黙を続けていたら、声を上げ続けるのは嘘つきとわからず屋だけになってしまう。私たち生存者は、過去の物語を伝えるために力を合わせなければいけない。
マイケルが語ってくれた過去の物語を私たちはこれからも語り継いでいかなければならない。
ホロコーストの体験記。
4歳というのに驚く。まだまだ親の庇護のもと、笑って暮らせているはずの時期と思うと、更に胸に来るものがある。
解放されてからの記述は、フィクションではわからない、本当のリアルがそこにあるようにおもう。
大人でさえ生き残った人は少なかった、過酷な環境において、なぜ彼は選別されずに4歳で生き残ることができたのか。本人も知らなかった数々の奇跡。あまりに幼くて覚えていなかったことも、多くの資料を調べることによって主観的にならずに、ありのままの歴史を伝えていこうとする誠実さを感じました。強制収容所からの生還記録であるとともに、一族の愛の物語でもありました。幅広い世代に読んで欲しい作品です。
人間というものは、恐ろしくもあり愚かでもあり、強くもあり、そして弱い生き物だなと思いながら読んだ。
主人公である僕が生き残ったのは、何故か?
ずっと自分の体験を語らずにいたのが、話すことにしたきっかけは何か?
アウシュヴィッツから生還後、ポーランド人やドイツ人が彼らにどんな対応をしたのか?
これらを読み、知ることは今の世界の状況と、これから地球人として世界をどんな方向に向けたら良いのか、を考える上での道しるべになるだろう。
人の尊厳を踏みにじることは、どれほど愚かなことか。生き延びた主人公の言葉の後ろに、命を奪われた何万という人たちの声が重なっていることを、私たちは感じるべきだ。
そして、常に「前を向いて進む」ことの大切さも同時に心に刻もう、「僕」の家族の言葉のように。
一部の人が決めたルールや思想が正しい、それ以外は認めないとされたときに人は生きていくために何でもする。命令されれば電気ショックのスイッチを押し続ける実験をいつも思い出してどちらの立場にもなりうることから目を背けてはいけないのだと思う。
この本は「アンネの日記」とセットで、新たな読者に歴史の真実を届ける作品だ。
子どもの頃に読んだ「アンネの日記」。
同じナチス・ゲシュタポに怯え、虐げられてきた生活を綴っています。
アンネの日記は咳も出せない隠れ家生活ですが、この作品はオープン・ゲットーである奇妙な街「ジャルキ」での生活。
ユダヤ人評議会議長である主人公の父親の努力で、他のデットーより少しは耐えやすい生活を送り、強制収容所では祖母の献身的な保護によりなんとか生きながらえて終戦を迎える。
父と兄は強制収容所送りから戻れず家族の半分を失ったが、ほとんどの家族が全滅の状況で当時では奇跡。
終戦後アウシュビッツの事を語る間違ったネット上の意見と、残酷な自分の当時の記憶を比べ「生存者が声を上げなければならない」と自覚しこの作品を書いた。
主人公は当時4歳。自分たちの家族を知る生存者への地道な取材により完成した貴重な作品。